太田述正コラム#7942(2015.9.30)
<科学の発明(その4)>(2016.1.15公開)
 「・・・<なお、>ウートンは、イギリスとフランスとでは、両国が極めて異なった法諸制度を持っていて、何が事実であるかを確立する諸アプローチが異なっていることから、事実の概念の出現の仕方が極めて異なっていたことを示している。・・・」(B)
⇒イギリス法と大陸法の違いに由来するところの、犯罪事実の有無の認定を法の専門家ではなく一般市民が行う(コラム#省略)、といったことを指しているのでしょう。(太田)
  エ 法則
 「・・・科学革命における瞠目すべき諸業績の一つは、自然の諸法則の発見だった、とウートンは執拗に主張する。
 古代人達もこの用語を用いたけれど、それは、通常、「汝殺すなかれ」といった道徳的諸法(則)に言及するものだった。
 フランスの科学者であるルネ・デカルトは、自然の意味を理解しようとする試みの中心に普遍的諸法を置いた最初の人物だった。
 科学は、諸説明に係るものではもはやなく、未来の信頼すべき諸予測に関するものとなったのだ。・・・」(A)
⇒このウートンの主張は、古典ギリシャ科学の何たるかを振り返ってみれば、ナンセンスです。
 「ギリシャ人の・・・自然科学に対する考え方の特徴は,この世にある物質や現象を抽象的に考察し,万物はただひとつのものから発展してできたと考えました。タレスは,紀元前 620年に「万物の根源は水である」と述べています。・・・ギリシャ人の科学は,奴隷制の上になりたった都市国家の中で発展したために,直接自然と接して生まれたものではありませんでした。そのため,抽象的なものは異常に発展しましたが,物に即したものはいくつかの例外を除いて見るものがありませんでした。例外とは,博物学におけるアリストテレスと医学におけるピクラテスです。」
http://www.dino.or.jp/shiba/geohist/geohist01.html
 すなわち、当時、「法則」に相当する言葉こそ存在しなかったかもしれませんが、古典ギリシャの科学も、我々の言う「法則」を追求するものであったことは明白であり、当然、それは、事象の説明だけではなく、未来予測にも使われたはずなのですからね。
 問題は、それが、基本的に、「物に即したもの」、すなわち、経験科学ではなく、演繹科学に留まったところにあったのです。
 それに対し、(数学は別にして、)近代科学たる演繹科学を確立したのが、何度も繰り返しますが、イギリス人だったのです。(太田)
  オ 実験
 ラテン語では、エクスペリエンティア(experientia(羅)=experience(英))とエクスペリメンタム(experimentum(羅)=experiment(英))とは、多かれ少なかれ同意語的であったので、17世紀に「実験」という言葉が使われるようになるまでに何かが変わったに違いない。
 ウートンは、科学革命までには誰も諸実験を行ったことがないと主張しているわけではなく、何が新しかったかと言えば、それが今や、諸結果の再現、及び、確立された知識への疑問提起に関するものになったことなのだ。
 対照的に、科学革命までは、諸実験が、「基本的に演繹的であった知識の体系の「諸欠缺(gaps)を埋めるために」用いられたのだった。・・・」(A)
⇒ここでのウートンの主張は間違っていませんが、欧州人たるデカルトやガリレオを重視してみせる彼の「悪意」の「歪曲」をこの際、正しておくことにしましょう。
 「『ノヴム・オルガヌム』・・・は、1620年に・・・フランシス・ベーコンにより発表された・・・著作である<ところ、>・・・ベーコンは古代のギリシア哲学や中世のスコラ哲学<は>具体的な成果を挙げていないと<し>・・・、このような学問の不振の原因<に>は方法論の問題がある<のであり、>・・・独断を避けて客観的な観察と組織的な実験を行い、そして集められた情報を帰納法によって整理することで正しい解析に到達することができると<した>。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%B4%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%8C%E3%83%A0
という次第であり、(欧州人たるデカルトなんぞではなく、)このイギリス人たるベーコンこそ、科学における実験の重要性を、世界で最初に指摘した人物
https://en.wikipedia.org/wiki/Experiment
なのです。
 しかも、その指摘は、「鉄が磁石によって磁化されること、磁化された鉄を赤熱すると磁力が失われること、などを実験によって示し・・・1600年には、これらの成果を集大成した著書・・・<を>出版<し>た・・・<イギリス人たる>ギルバート」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88_(%E7%89%A9%E7%90%86%E5%AD%A6%E8%80%85)
等による、実験を用いた科学上の新法則群の発見、を踏まえたものであったわけであり、ベーコンの『ノヴム・オルガヌム』は、イギリス人によるそれまでの科学的実践を祖述した、まさに経験論的著作なのです。
 対する、デカルト(1596~1650年)ですが、彼は、その主著たる、『方法序説』(1637年出版)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B9%E6%B3%95%E5%BA%8F%E8%AA%AC
にも『省察』(1641年出版)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%81%E5%AF%9F
にも、実験への言及すらみられないところの、合理論/演繹論から一歩も出ることのない人物であり、しかも、経験論/帰納論を唱えたベーコン(1561~1626年)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%8D%E3%83%BB%E3%83%87%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%88
の方が、約1世代も先達です。
 次に、欧州人たるガリレオよりも、上出のイギリス人たるギルバートの方こそ科学史上、より重視すべきは、下掲の英語ウィキペディアの記述からも明らかでしょう。
 「ガリレオは、実験と数学の核心的結合を通して、運動(motion)の科学に独創的な諸貢献を行った。
 しかし、当時の科学において、より典型とすべきは、磁力と電気に関するウィリアム・ギルバートの質的諸研究だ。」
https://en.wikipedia.org/wiki/Galileo_Galilei
 ギルバート(1544~1603年)が主著(前出)を出版したのは1600年であるのに対し、ガリレオ(1564~1642年)が主著『二大世界体系についての対話(Dialogue Concerning the Two Chief World Systems)』を出版したのは1632年(ウィキペディア上掲)であり、ギルバートは、ガリレオよりも、生きた時代も活躍した時期も、約1世代も先達であることを、ここでも想起すべきでしょう。
 以上だけからしても、デカルトを持ち上げ、ベーコンを無視するなど、ウートンは正気の沙汰ではない、と言われても致し方ありますまい。(太田)
(続く)