太田述正コラム#0357(2004.5.22)
<開放的な社会礼賛(その1)>

1 始めに
 
 これまで私がことあるごとに、アングロサクソンと日本の提携を主張し、ヒンズー原理主義を批判し、イスラムの病弊を嘆き、ロシア的なるものを指弾し、中国の現状に懸念を表明してきたこと等の背後には、開放的な社会を是とする私の価値観があります。
この価値観は、開放的な(=多様性に富み、言論の自由が認められた)アングロサクソンや日本のような社会は、より高度で適切な意志決定が行われるため、政治・経済・文化等あらゆる面で非開放的な社会に比べて優位に立つ、という認識に根ざしています。
 この認識が正しいかどうかに、最近、経験科学のメスが入りました。
 それが今回ご紹介するAとBの二つの研究、A:Deborah Gruenfeld and Jared Preston, Upending the Status Quo: Cognitive Complexity in U.S. Supreme Court Justices: Who overturn Legal Precedent (Personality and Social Psychology Bulletin, August 2000) と、B:Katie Lilienquist, Katherine W. Phillips and Margaret Neale, The Pain is worth the Gain: The Advantage and Liabilities of Agreeing with Socially Distinct Newcomers, 2003 under review
(以下、Stanford Business May 2004 からの孫引き)です。

2 研究内容の紹介

 (1)研究A
 この研究は、米最高裁の判例の多数意見、少数意見を分析し、次のことを明らかにしました。

少数意見が少なくとも一つ以上存在している場合の方が、そうでない場合に比べて多数意見は、より多彩(diverse)な根拠に基づき、より高度(complex)な論理を用いて展開される。
 しかも、多数意見と少数意見の人々の数が接近すればするほど、多数意見は、より偏見のない(openminded)論理で展開される。
 更に、多数意見は、それまでの通説を破棄しようとする場合に比べて維持しようとする場合の方が、より高度な論理で展開される。(通説を破棄しようとする場合は、責任(accountability)を問われるだけに、自己防御的言い訳が先に立つということだろう。)
 上記傾向は、多数意見と少数意見の人々が抱く左翼的、右翼的といったイデオロギーいかんにかかわらず成り立つ。(この点は、これまでの同種研究を覆す結論だ。)
 要するに、権力は腐敗するという箴言の正しさが証明されただけでなく、なぜ腐敗するかも解き明かされた。マキャベリは絶対権力を持った君主の意図的悪意の結果として腐敗が生じると主張したが、絶対権力の下では、意図するとしないとに関わらず、腐敗が生じうるのだ。

 (2) 研究B
 この研究は、米ノースウェスタン大学の四つの寮(fraternityないしsorority。友好クラブを兼ねる)に属する242名の学生を被験者にして行ったものです。
 まず、彼らに架空の殺人事件の状況を説明し、20分で一人一人に犯人を推定させます。その上で、特定の寮からの出身者だけのグループを三つつくり、それぞれのグループ内で20分議論して犯人を一人にしぼりこむように指示します。5分たったところで、新人達を、この新人と同じ人を犯人だと推定している人がいるグループに送り込みます。
 この研究が明らかにしたことは、次のとおりです。

 同じ人を犯人だと推定しているもともとのグループ員と新人とが同じ寮の人間の場合には、もともとのグループ員は、単なる推定が確信ないし過信に変わり、当該グループの最終結論に自分たちの判断が反映されることに自信満々になる。
 ところが、新人が異なる寮の人間の場合には、もともとのグループ員は、寮の中の人間関係に悪影響が生じるのではないかとの不安観にかられ、グループ内の異なった意見の調整に努めるようになる結果、彼らはより慎重かつ的確な判断をするに至り、グループ全体が裨益する。
 すなわち、アウトサイダーを入れるとグループのパーフォーマンスが向上する、という経験則が事実であることが検証された。

(続く)