太田述正コラム#8016(2015.11.6)
<小林敏明『廣松渉–近代の超克』を読む(その4)>(2016.2.21公開)
 「こうして対象面と主体面のそれぞれの二重性から、「所与がそれ以上の或るものとして『誰』かとしての或る者に対してある」という入れ子型の「四肢構造」なるものが導き出されてくるのである」(99)
⇒概念を完全に共有する他者から完全に共有しない他者にわたる、無数の他者との人間(じんかん)のネットワークの結節として自分が存在する、と私なら総括するところです。(太田)
 「廣松の現代物理学への並々ならぬ関心は、ひとつにはレーニン以降の硬直したマルクス主義科学観に対する不満共結びついているが、それ以上に重要なのは、相対性理論をはじめとする現代物理学におけるパラダイム・チェンジが哲学的にも決定的な意味をもっているという廣松自身の確信である。
 この関係について廣松はおもに『科学の危機と認識論』と『相対性理論の哲学』のニ著を残しているが、他にも『事的世界観への前哨』やマッハ<(注8)>についての論文などがあり、一介のディレッタントの範囲をはるかに超える論議を展開している。・・・
 (注8)エルンスト・ヴァルトフリート・ヨーゼフ・ヴェンツェル・マッハ(Ernst Waldfried Josef Wenzel Mach。1838~1916年)。「オーストリアの物理学者、科学史家、哲学者。 オーストリア帝国モラヴィア州・・・出身のモラヴィア・ドイツ人である。・・・ウィーン大学で学んだ。 グラーツ大学の教授(数学、物理学担当)、プラハ大学の教授(実験物理学担当)の職を経験した後、1895年にウィーン大学教授・・・
 超音速気流の研究でも有名であり、静止流体中を運動する物体が音速を超えた場合、空気に劇的な変化が起き衝撃波が生じることを実験的に示した(1877年)。・・・この業績にちなみ、音速を超える物体の速度を表すための数(物体の速度と音速との比)は彼の名前を冠し「マッハ数」と呼ばれている。・・・
 マッハは、ニュートンが『自然哲学の数学的諸原理』(プリンキピア)で主張して後に、哲学者や科学者らに用いられるようになった「絶対時間」「絶対空間」という概念は、人間が感覚したこともないものを記述にあらかじめ持ち込んでしまっている、形而上的な概念だとして否定した。また・・・「力」という概念の問題点も指摘し、ニュートン力学およびその継承を「力学的物理学」と呼び、そのような物理学ではなく「現象的物理学」あるいは「物理学的現象学」を構築するべきだ、とした。・・・また同様にマッハは、形而上学的概念を排するべきだという観点から、原子論的世界観や「エネルギー保存則」という観念についても批判した。・・・
 この考え方はアインシュタインに大きな影響を与え、特殊相対性理論の構築への道を開いた。
 そして<マッハは、更に、>マッハの原理を提唱した。このマッハの原理は、物体の慣性力は、全宇宙に存在する他の物質との相互作用によって生じる、とするものである。この原理は<アインシュタインの>一般相対性理論の構築に貢献することになった。・・・
 マッハの認識論の核心部は現在では「要素一元論」と呼ばれることがある。<欧州>で発達した、近代哲学及び近代科学は、主-客二元論や物心二元論などのパラダイムの中にある。マッハはそれの問題点を指摘し、直接的経験へと立ち戻り、そこから再度、知識を構築しなおすべきだとした。つまり我々の「世界」は、もともと物的でも心的でもない、中立的な感覚的諸要素(たとえば、色彩、音、感触、等々)から成り立っているのであって、我々が「物体」と呼んだり「自我」と呼んでいるのは、それらの感覚的要素がある程度安定した関係で立ち現れること、そういったことの複合を、そういった言葉で呼んでいるにすぎず、「物体」や「自我」などというのは本当は何ら「実体」などではない、と指摘し、因果関係というのも、感覚的諸要素(現象)の関数関係として表現できる、とした。そして「科学の目標というのは、感覚諸要素(現象)の関数的関係を《思考経済の原理》の方針に沿って簡潔に記述することなのだ」といったことを主張した。
 マッハのこの論点に立つと、物理学と心理学との違いというのは、従来考えられていたような研究対象の違いではないことになり、記述を作り出す観点が異なっているにすぎない、ということになる。こうした観点に立ち、マッハは「統一科学」というものを構想した。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%83%E3%83%8F
 ありていに言えば、われわれが普段あらゆる事象の根底にあると思い込んでいる「物質」が、そのもっとも究極的な形を追究している現代物理学においては、もはやたんなる個々の自立した実態ではなく、あくまで関係の所産であること、ここに廣松が目をつけているのは見やすいことだろう。
 そしてこのラディカルな物質の関係への還元という発想は、個々の物のみならず、それを成り立たしめている時空間や質量にまで及んでいる。・・・
 ここで問題なのは、相対性理論の観測問題<(注9)>はたんに主観の側が相対性を言っているのではなくて、それにともなって「実在」そのものの同定化ももまた相対性において成立することにある。
 (注9)一般に「観測問題(measurement problem)」というと、量子力学におけるそれを指す
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%B3%E6%B8%AC%E5%95%8F%E9%A1%8C
ので、廣松にせよ、小林にせよ、この用語を避けるべきだった。
 「相対性理論の観測問題」とは、廣松の挙げる例・・引用しなかった・・とは異なるが、例えば、「新幹線に乗っている人の時間と地上にじっとしている人の時間の進み方は違うの<であり>、・・・時速250kmの新幹線に2時間乗ると1億分の0.02秒(0.2ナノ秒)くらい時間の進み方が違う」
http://www.d1.dion.ne.jp/~ueharas/seiten/gt5/jikan2.htm
ところ、ある事件が起こった場合、新幹線の乗客と地上でこの新幹線を見ている人とでは、その事件が起こった時間が異なる、という問題のことだ。
 同一のものがいろいろに見えるのではない。
 むしろいろいろに見えるのが実相なのであって、同一性はむしろその次元から構成されて、いわば事後的に成立するのだ。・・・
 ちょうど社会的諸関係の中から「価値」の物象化敵錯視が生ずるように、ここでも互いに異なった相対的な観測関係の中から「変換」を通じて共同主観的な物象化が生じ、それがいわゆる時空間や質量を成り立たしめているのである。
 こうした原基的あり方は、運動体の位置と運動量を同時に確定することが原理的に不可能だとするハイゼンベルクの不確定性原理<(注10)>によっていっそう強められたと廣松は見る。」(104~109)
 (注10)「不確定性原理は1927年にハイゼンベルクによって提唱された。量子力学の基礎原理の一つとされ、その発展に大いに寄与し、現在は量子の物理量において成立する不確定性関係として定着した。
 粒子の運動量と位置を同時に正確には測ることができない、という、この原理による結果に対し、それは“元々決まっていないからだ”と考えるのが、ボーアなどが提唱したコペンハーゲン解釈である。これに対し・・・アインシュタインは反対し、“決まってはいるが人間にはわからないだけ”という「隠れた変数理論」を唱えた。この際にアインシュタインの言葉として有名な「神はサイコロを振らない・・・」が、1926年12月にマックス・ボルンに送られた手紙の中で使われている。
 その後、・・・隠れた変数理論を支持しない結果が得られている。
 他にも不確定性原理の解釈には多数の解釈がある。それらを観測問題というが、一般に専門家はこれらの問題について、どの解釈が正しいのかということについては「よく判らない」として現在の所は棚上げにしている。この問題が解決しなくても量子力学が実験と良く合致する正しいと考えられる答えを返すのは変わらないからである。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E7%A2%BA%E5%AE%9A%E6%80%A7%E5%8E%9F%E7%90%86
⇒物理学も日進月歩であり、不確定性原理の解釈についてもそうであることが、上掲の日本語ウィキペディアを一瞥しただけでも感知できます。
 従って、廣松の、(用語すら間違っていると思われる)「観測問題」理解にせよ、「不確定性原理」理解にせよ、(廣松が充分理解しないまま勘違いしている可能性までは問わないとしても、)既に時代遅れになっている可能性があります。
 いずれにせよ、広義の食欲と性欲がある生物の中でも、正気で自殺までしでかす、「自由意思」を持つ人間という生物を対象とする人間科学・・「哲学」も一応人間科学です・・と、まだ現状においては非生物を対象としているに過ぎない物理学、のそれぞれの「理論」を互いが直截的に援用できるはずがない、と私は思います。
 ただ、廣松が哲学者として生産的であった時代における物理学の理論、と、(廣松が理解した限りにおける)マルクスや廣松自身(、そして私見では和辻哲郎や恐らくは毛沢東)、が提示した(人間主義なる)人間科学の理論、とが、関係性重視、という点において相通じるものがあったということは、(これまた、)今まで私が気付かなかった興味深い事実ではあります。(太田)
(続く)