太田述正コラム#8020(2015.11.8)
<小林敏明『廣松渉–近代の超克』を読む(その5)>(2016.2.23公開)
 「・・・類似の状況、類似の期待、類似の反応、それらの反復の中から役割の物象化が生ずる。
 行為はそのつどの特殊性や差異からくるフレキシビリティを切り捨て、固定したパターンとなるのである。
 しかもこうした物象化した役割は互いに結び合って「役柄」という編制態を構成する。
 われわれが一般に「役割」と呼んでいるのは、この物象化した役割編制態としての「役柄」であることが多い。
 ・・・「父」「教師」「夫」などがそれである。
 だが、これらの役柄にはまだいくらかのフレキシビリティの余地が残されている。
 父親にもいろいろな父親がいるように、それらの役割演技は完全に物象化されてしまっているわけではない。
 物象化とはだから程度の問題でもあるわけだ。
 この物象化の程度が高まれば高まるほど、われわれの行動には余裕がなくなっていく。
 ・・・「地位」とか「部署」になると、「父」や「夫」という役柄に比べてフレキシビリティは少なくなり、それにともなって、それに違反したときのサンクションの可能性も高まっていく、このプロセスが「制度化」と呼ばれるものにほかならない。・・・」(117)
⇒私の言う、日本型政治経済体制においては、主たる構成部分である柔らかい組織はエージェンシー関係の重層構造で成り立っています。
 柔らかい組織の中では、廣松/小林が言う「地位」とか「部署」が幅を利かせることになります。
 また、従たる構成部分は市場(政治体制においては選挙)です・・市場は、売り手と買い手からなる場です・・が、もちろん、我々は、柔らかい組織や市場を通じてのみ人間(じんかん)関係のネットワークを形成しているわけではありません。
 柔らかい組織や市場以外の場における人間関係のネットワークにおいては、廣松/小林が言う「役柄」が幅を利かせることになります。
 もとより、ネットワークを形成していない、いわば 一見さん的人間関係もあるわけです。(太田) 
 「・・・廣松が1974年から翌年にかけて雑誌『流動』誌に連載し、その後1980年に単行本として出版された『〈近代の超克〉論』というポレミックな著作は非常に興味深い著作である。
 というのも「昭和思想史への一断想」と副題の付けられたこの著作で、廣松は珍しく戦時期に話題となった「近代の超克」論議を取り上げ、そこで京都学派を中心に戦時のイデオロギー状況について、かなり立ち入った批判的論議を展開しているからである。・・・
 廣松にとってマルクス主義を標榜することは、そのまま資本主義社会およびそれと表裏をなす近代的世界観そのものに対する根本的な挑戦であった。
 つまり、廣松には廣松なりの「近代の超克」という理念があり、それと歴史的に評判の悪いあの「近代の超克」論との相違を自分の手で明らかにするという歴史的責務があったのである。」(124~127)
⇒これは、目新しい指摘では必ずしもありませんが、マルクスが廣松の言うように人間主義者だったとすると、両者は、人間主義の回復を目指した、という斬新な切り口でもって、この指摘を反芻することができるようになりますね。(太田)
 「まず、改めて確認しておかなければならないのは、京都学派の歴史観はヘーゲルやレオポルド・ランケなどのドイツ・プロイセン系、つまり、まがりなりにもヨーロッパ的コンテクストから出てきた歴史観をベースにしており、そのため当時猖獗をきわめた皇国史観<(注11)>とは真っ向から対立し、30年代以降は西田をはじめ、京都学派のメンバーたちはつねに菱田胸喜<(コラム#5020)>などの神がかり右翼や陸軍内部の行動右翼の標的になっていたということである。
 (注11)「皇国史観とは、日本の歴史が天皇を中心に形成されてきたことに着目し、「日本民族」の統合の中心を「万世一系の皇室」に求める思想である。
 皇国史観の先駆は、南北朝時代に、南朝の北畠親房が著した『神皇正統記』である。江戸時代には水戸学や国学がおこり、幕末になると尊皇攘夷運動が盛んになった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9A%87%E5%9B%BD%E5%8F%B2%E8%A6%B3
 京都学派の「戦争協力」を批判する場合でも、このことは議論の公平のために知っておかなければならない。・・・
 <彼らの>歴史観の大きな特徴は・・・まず古代、中世、近代という時代区分をそれぞれパラダイムとしてとらえようとする態度である。・・・
⇒「古代、中世、近代」というのは、欧州における標準史観であるところ、イギリスの、いわゆるホイッグ史観やトーリー史観の根底に共通にある、「アングロサクソン、特に七王国時代の<イギリス>はゲルマン的な自由な社会だったと<する>主張」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%82%A4%E3%83%83%E3%82%B0%E5%8F%B2%E8%A6%B3
は、いわば(イギリスに関してだけですが、)歴史否定「史観」であるので、全く異なります。
 なお、欧州における標準史観に言う「古代」は、欧州とは異質なギリシャやローマの時代であって、欧州の歴史は「中世」に始まり、欧州は、この「中世」と、イギリスを模倣したり乗り越えようとした「近代」、の二つの時代区分しか持ち得ない、というのが私見です。(太田)
 次は、・・・「世界史的世界」という考えである。・・・
 要するに20世紀に入る頃から非ヨーロッパ圏でも独立の動きが活発になり、それまでのヨーロッパ中心主義の枠におさまらないような多様性が生まれ、今やそれに見合った歴史観が必要になったという認識である。・・・
 「世界史的世界」についての・・・高山岩男<(コラム#6397、7650)>・・・の言葉を直接引用しておこう。
 我々は地球上の人類世界の中に、多くの世界史を認め、多くの歴史的世界を認めなければならぬ。・・・
 グローバリゼーションの進行する今日でも依然として通用する認識というべきだが、問題は彼らがこうした歴史を何によって動かされていると考えたかにある。
 ここがマルクス主義との明確な分岐点となる。
 彼らにとってそれは「経済的下部構造」などではありえなかった。
 それは「文化」であると高山は言う。・・・
 ここで高山の「哲学的人間学」が有名な和辻哲郎の「風土」と共鳴したのは言うまでもない。・・・
⇒この点に関しては、文句なく、マルクス主義は誤りであり京都学派が正しい、と言うべきでしょう。(「文化」よりも「文明」が適切だと思いますが・・。)
 マックス・ヴェーバーが喝破したように、「人間の行為を直接に支配するものは、利害関心(物質的ならびに観念的な)であって、理念ではない。しかし、『理念』によってつくりだされた『世界像』<、すなわち、文明(太田)、>は、きわめてしばしば転轍手として軌道<、すなわち、経済的下部構造(太田)、>を決定し、そしてその軌道の上を利害のダイナミックスが人間の行為を推し進めてきたので」す。
http://www.msz.co.jp/book/detail/00556.html
 京都学派が批判する近代の特徴を彼らの発言に即して列挙しておけば、ほぼ以下のようになる。
 それは、人間<(にんげん)>主義、個人主義、機械主義、合理主義、自然科学主義、自由主義、民主主義、資本主義といったものであるが、またそこには西洋中心主義、帝国主義への批判的視点も加わっている。」(130~133)
(続く)