太田述正コラム#8026(2015.11.11)
<小林敏明『廣松渉–近代の超克』を読む(その8)>(2016.2.26公開)
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[日本人の法意識の超先進性]
 川島武宜の日本人の法意識論を簡潔に要約紹介している下掲↓
http://www.ne.jp/asahi/shin/ya/desk/devu/devu08101.html 前掲
を、たたき台、というか、反面教師、にして、この際、私の人権概念批判論(コラム#省略)を、イギリス的法概念批判論にまで拡張しておくことにしたい。
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 ■権利意識
自分の権利を擁護するのは自己中心的で平和を乱す不当な行為とみなされる
道徳や法の当為と、現実の間に緊張関係はなく、なし崩し的な妥協が求められる。そうした態度が「融通性がある」として高く評価される
⇒紛争の画一的解決を図ろうとする、(人権という概念を含むところの、)権利という概念は、人間主義に反する、ということだ。(太田)
 ■所有権
所有者が所有物に対して独占排他的な権利を持っているという意識がない
所有物が所有者の支配をはなれて、他人の現実的支配におかれた場合には、所有者の「権利」は弱くなり、非所有者の現実支配が、その支配事実そのものに基づいて新たに一種の正当性を持つようになっている
⇒人間主義は、モノの独占ではなく、共有を志向する、ということだ。
 これは、人間主義が、省資源をもたらし、自然にも優しいことをも意味する。(太田)
 ■契約
日本人が人と約束する場合にはその約束そのものよりも、そういう約束をする親切友情そのものほうがむしろ大切なのであって、こういう真心さえ持ち続けておれば、約束そのものは必ずしも言葉通り正確に行われなくても差し支えない 経済取引が同時に当事者間の他の利益関係、特に継続的な感情(家族的ないし友情的)を伴うものとして意識される場合には、経済取引に関連する問題はそれらの他の問題との関連なしには解決されがたい。それら他の利益関係が・・・感情を伴っている場合には、それらを尊重しようとするかぎり、当該の契約の内容をあらかじめ明確且つ固定的なものにすることを欲しないのは、当然であろう
⇒人間(じんかん)を契約で一律的に規律することは、人間主義に反する、ということだ。
 長期的な人間(じんかん)を、契約に馴染むような狭い領域だけで規定しようとするのは、人間主義に反する、ということでもある。(太田)
 ■民事訴訟
社会関係は不確定・不固定にしておいたほうが望ましい
権利・義務が明確的でないということによって当事者間の友好的な或いは「協同体」的な関係が成立しまた維持されているのであるから、いはゆる「白黒を明らかにする」ことによってこの有効な「協同体」的な関係を破壊する
紛争は「協同体」的関係を破壊しないような・或いは「協同体」的な関係をつくるようなしかたで「丸く納める」ことが望ましい
善悪を超ゆるところに和の妙趣がある
⇒人間主義は、紛争の顕在化も、顕在化した紛争の確定的決着を目指すところの、訴訟を含む、争闘も、好まない、ということだ。
 その背景には、人間主義が、谷崎純一郎の言うところの、陰翳礼賛(コラム#6399、6406、6482)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B0%E7%BF%B3%E7%A4%BC%E8%AE%83
を旨とする、ということがある。(太田)
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 すなわち、人間主義社会である日本は、紛争の生起、紛争の深刻化を防止する機能を内包しているのであり、そのおかげで、顕在化した紛争の極限形態とも言える犯罪の発生率や顕在化した紛争の予防と解決にあたる法曹の対人口比、が、少なくとも先進諸国中、どちらも最低水準にとどまっている。
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/2788.html
http://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/old/minutes/wg/2005/1109_2/addition051109_2_03.pdf
 このことは、日本における(公務員数(除く軍人数)の対人口比で見た、先進国後進国を問わぬ)小さな政府の実現
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/5190.html
にも大きく寄与している。
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(続く)