太田述正コラム#8030(2015.11.13)
<小林敏明『廣松渉–近代の超克』を読む(その10)>(2016.2.28公開)
「・・・プレスナーによれば、ドイツのような近代化に遅れたところでこそ先のような「反近代」の風潮が生まれてくるということなのだが、そうだとすると、この「近代化の遅れ」という事大条件は「近代の超克」という発想法を生み出した土壌にもなりうるのではないかというのが、私のかんがえていることである。
もっと大胆に言い換えるならば、ほかならぬ近代の遅れ、すなわち近代以前の状態から他に遅れて近代に移行する。
そのプロセスにおいてこそ「近代の超克」という発想が生まれるのではないかという根本的疑念が私にはある。・・・
⇒私がどうしても理解できないのは、小林のように、日本の知識人達の中で、ドイツも日本と同じ後進国である(あった)という認識にまで到達した者が少なからずいながら、しかも、日本が先進国・・欧米諸国?・・とは異なった文明に属しているということを自明視しているというのに、・・が言い過ぎであれば、まさか、同じ文明に属するとは思っていないはずなのに、・・一体どうして、ドイツ、と、ドイツにとっての先進国、ともまた、文明が異なるのではないか、という、私のような発想が、彼らには湧かないのか、です。
そもそも、小林は、ドイツにとっての先進国はどこだと思っているのでしょうか。
これに続く、彼の以下の文章を読む限り、それはフランスなどではなく、英国(イギリス)であることは明白です。
そうだとすれば、日本にとっても、先進国は、欧米諸国などという広範にして漠然としたものではなく、イギリス(ないしアングロサクソン諸国)であるところ、そこからは、日本とドイツ(ないし欧州諸国)とイギリスは、それぞれ別に文明に属する、という結論に達するまで、ほんの一歩であるはずなのですが・・。
じれったいことこの上なしです。
文明が異なる、という発想が重要なのは、「近代」/「非近代」関係、より一般的に言えば「先進」/「後進」関係、は、一定の時期における、「文明の全面的・部分的継受先」/「その継受主体」関係へと、いわば、価値中立化されることになるからです。(太田)
近代が始まろうとしているのに、すでに近代の終焉や超克が語られるというのは一見パラドックスに見える。
しかし、これはけっしてありえないことではない。
「遅れてきた」ということは、すでに近代を体現した先行する国や地域を「外部」にモデルとしてもっているということである。
だからここでは近代は初めから「他者」としてたち現われる。
⇒文明が異なるのですから、その異なった文明に属する国や社会が、継受先であろうとなかろうと、「「他者」としてたち現われる」は当たり前です。(太田)
論議においては時代の流れに見えるものが、じつは地理的空間的な内容を孕んでいるのである。
これはマルクス主義とて無関係ではない事態だった。
マルクスとエンゲルスの資本主義批判がドイツではなくイギリスの労働者階級の状況をもとにして書かれたことを考えるだけでもよい。
資本主義社会の全面的批判とその乗り越えという発想は、イギリスというすでに近代を体現している他者を目の前にして生じたことである。・・・」(166~167)
⇒ドイツのロマン派もマルクス/エンゲルスも、イギリス文明の(誤解的曲解的)継受に違和感・嫌悪感を覚えたわけですが、ロマン派は、欧州を継受前の中世ないし古代へと回帰させようとしたのに対し、マルクス/エンゲルスは、欧州を含む全世界を農業社会到来前の、つまりは、諸文明成立以前の、全人類共通であった狩猟採集社会的なものへと回帰させようとした、というのが、私のとりあえずの整理です。
また、ロマン派は、回帰させるための方法論を提示できなかったのに対し、マルクス/エンゲルスは回帰させるための誤った方法論・・共産党独裁による指令経済体制の樹立・・を提示してしまった、とも考えています。
以上の私の整理が正しい、という取りあえずの前提の下、あえて私の大胆な仮説を申し上げれば、明治中期以降、欧米文明・・実はイギリス文明・・の(誤解的曲解的)継受に違和感・嫌悪感を覚えた日本人の中で、田中智學に代表される人々は、人間主義(縄文性)を主とし非人間主義(弥生性)を従とする日本文明への回帰及びその日本文明の世界への普及を図るべく、方法論として、人間主義の日本における再活性化と日本国外への普及を打ち出した
( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E6%99%BA%E5%AD%B8 )
のに対し、幸徳秋水に代表される人々は、マルクス/エンゲルスに触発され、継受されたイギリス文明を排撃しつつ、日本文明をその弥生性を除去することによって純縄文性文明へ変革するとともに、その文明の世界への普及を図るべく、方法論としては、マルクス/エンゲルスによって提示されたものではなく、(これもまた誤っているところの、)無政府主義の採用、を打ち出した、
( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B8%E5%BE%B3%E7%A7%8B%E6%B0%B4 )
といった感じでしょうか。
もとより、以上の私の整理や仮説は、今後、検証と拡充が必要ですが・・。(太田)
(続く)
小林敏明『廣松渉–近代の超克』を読む(その10)
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