太田述正コラム#8052(2015.11.24)
<鄭大均編『日韓併合期ベストエッセイ集』を読む(その10)>(2016.3.10公開)
「朝鮮人の早婚が、朝鮮人の生活力を委縮させたことは事実であろう。
早婚は泰平の現象であって、それが生活の安易な時代に行われるのは自然のことであろうが、朝鮮の早婚は自然的早婚でなくて人為的早婚である。
一種の家族主義的陋習から来た早婚である。
個人の生命を尊重せず、それを蹂躙し涸渇せしめることを何とも思わない家族主義的弊害は、日本の過去に於けるよりも一層甚だしいしものがあるらしい。
我々の如き散歩者又は旅人が、即ち朝鮮の家庭の内部にはいっていない人間が見得る朝鮮婦人の生活の殆んど大部分は、実に彼等の洗濯である。
京城の市中を歩くと、そこを流れる川、溝は固より、井戸の端でも水道栓の側でも、そこに洗濯をしている女を見ぬことはない。・・・
⇒李氏朝鮮の凄まじい女性虐待ぶりについては、以下の通りです。
「婚姻は男女とも早婚が特徴で、法的に男子は15歳、女子は14歳以上なら婚姻できたし、特別な場合には12歳でも婚姻が許可された。婚姻にも男尊女卑の観念が徹底され、男子は妻が死んだ後にいくらでもまた婚姻しても構わなかったが、女子の場合は制約がひどく、成宗の時からは再嫁を原則的に禁じ、再嫁した女子の子孫は文武官に任命されることができず、科挙に応試することもできなかった。
婚姻関係以外にも女子の社会的地位はとても微弱で、女子としての法律的行為は必ず夫や家長の許可がなければならなかった。また、交際や外出も厳格に制限され、家族や近い親戚でなければ男子と対面できなかったし、外出しなければならない時には上流階級ではノウルをかぶり、下流階級でもチャンオッ・ゴンモなどをかぶって顔を覆うようにした。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E6%B0%8F%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E3%81%AE%E5%AE%B6%E6%97%8F%E5%88%B6%E5%BA%A6
「19世紀初頭、朝廷は女性が胸を覆う事を禁じた。李氏朝鮮による胸を覆い隠してはならないという禁令と男尊女卑思想の影響で両班の求めに応じて露出して・・・<その>姦淫の求めに・・・応じなければ殺されたため胸が見えるほど短くなっている。また韓国人女性特有のキーセン文化伝統が何世紀も長く続いたため、自らも露命を繋ぐために両班を誘惑して妾になるか<支那>に献上されることを誇りとしてきたために自ら胸を露出して両班を誘惑して妾になった。最終的には日韓併合期に女性が乳房を露出する事を禁止されたためようやく韓国女性は胸を覆いかくすようになった。同時に日韓併合期には朝鮮半島で何世紀も続いた女・子どもの売買の伝統が禁じられた。さらに女・子どもに名前が付けられるようになった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%93%E6%9C%8D
また、洗濯の話の背景及び詳細は次の通りです。
「朝鮮では染色技術が乏しいため一般庶民は白衣を身に着けた。・・・両班のみが、色付きや柄付きの服を着ることを許されていた。・・・土地の所有権ナシ、商店ナシ、行商人のみアリ。シナ地域と朝鮮半島は全く対等ではなかった。今で言えば、先進技術国の隣に極貧国があるようなものである。朝鮮には一次産品以外売るものがなかった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%93%E6%9C%8D 上掲
「朝鮮の下層階級の女性は粗野で礼儀を知らず、日本のおなじ階層の女性のしとやかさや清国の農婦の節度や親切心からはおよそほど遠い。着ているものは汚れ放題で、夜遅くまで休みなく洗濯をするのは自分たちでも、きれいな衣服を着るのは男の専売特許と言わんばかりである。どこの小川のほとりでも平らな石の上にしゃがんでいる洗濯女がいて、洗濯物を水につけたり、固くしぼって石の上に置きへらでたたいたり、灰汁にひたしたりしている。洗濯物は天日にさらされて白くなり、また薄く糊づけされるが、その前に木の棒に巻いて「洗濯棒」で長時間たたくので、なんでもない白もめんがくたびれた白い繻子のようなつやを帯び、まぶしいほどのその白さはマルコによる福音書の変容の章にある衣服についてのことば、「それはこの世の布さらしではできないほどの白さであった」をいつもわたしに思い出させる。このように白服を着ることは女性に重労働を課し、綿入れの白服を着る冬はとくにそれがひどい。コートは洗うたびにほどいては仕立て直さなければならず、長いはぎめは一部糊でくっつけるとはいえ、縫わなければならない部分がたんとある。」(イザベラ・バード著『朝鮮紀行—英国婦人の見た李朝末期』より。下掲から孫引き。↓)
http://ameblo.jp/chanu1/entry-10975779504.html
なお、慰安婦問題の背景、という観点からも、バードからの他の引用部分もぜひ一読されることを勧めます。
絶句する以外にない女性虐待の実態が生々しく描かれています。
また、あえて付け加えておきますが、「家族主義的弊害は、日本の過去に於けるよりも一層甚だしいしものがある」との安倍の言は、日本の過去(江戸時代)に、家父長率いる「家」があったのは、武士くらいであった・・それが明治民法で全国民に形の上で拡大された・・
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%B6%E5%88%B6%E5%BA%A6
ところ、舌足らずで誤解を呼ぶ、と言うべきでしょう。(太田)
朝鮮ではその文化も自然も、保存せられていない。
明治時代に至ってこの点は注意せられ、古蹟の或るものは保存せられ修養せられ、山には木が植えられ、河には堤が作られたが、まだ年を経ることも少なく、又恒久的な長い年月を見越しての施設が足らぬという遺憾が多い。・・・
朝鮮の自然は今まで人間から思う存分に荒され搾取せられて、人間によって保護せられ培養せられていない。・・・
朝鮮の自然の荒れた冷たさは人間の懈怠を示すものである。
人間は固より自然から力を仰ぐが、自然も人間によって美しくなるものである。」(400、406~407、409~410・安倍能成)
⇒「明治時代に至って」は、「日本の保護・統治時代に至って」の間違いではないか、とも思われますが、自然や(初めて言いますが)古きものに対する優しさは人間主義の属性の一つであり、結局のところ、朝鮮人が非人間主義的であったことが、自然や文化財の荒廃をもたらしていた、ということです。(太田)
(続く)
鄭大均編『日韓併合期ベストエッセイ集』を読む(その10)
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