太田述正コラム#8078(2015.12.7)
<西沢淳男『代官の日常生活』を読む(その11)>(2016.3.23公開)
「いわゆる現在でいう刑事裁判件数は多くない。・・・
全国的に見て各代官役所で御仕置きに処せられたものは年平均10人以下で、江戸や大阪の街奉行の取り扱い件数とくらべれば圧倒的に少ない<(注48)>・・・。・・・
(注48)長崎奉行所の犯罪統計くらいしか残っていない
http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000033024
ことから、このような断定ができるかどうかは疑問。
いずれにせよ、例えば、幕末の1858年に来日した英エルギン卿使節団のローレンス・オリファントが、「われわれの部屋には錠も鍵もなく、解放されていて、宿所の近辺に群がっている付き添いの人たちは誰でも侵入できる。またわれわれは誰でもほしくなるようなイギリスの珍奇な品をいつも並べておく。それでもいまだかつて、まったくとるにたらぬような品物でさえ、何かがなくなったとこぼしたためしがない」
http://d.hatena.ne.jp/jjtaro_maru/20120913/1347540916
と記していることからも、少なくとも欧米に比較して、江戸時代の日本の全般的な犯罪率は圧倒的に低かった、と言えそうだ。
博奕が多く、身体刑として100敲く重敲(じゅうたたき)と・50敲く軽敲<(注49)>は代官の手限(てぎり)で仕置できるので、調書を取った後、即決で重敲を申しつけている。・・・
(注49)「回数によって、50回のものを軽敲、100回の、いわゆる百叩きを重敲と呼ぶ。盗みや喧嘩などの軽犯罪を対象としており、一揆における便乗犯にも、この刑罰が加えられた。箒尻とよばれる竹製の鞭が使われ、背から、尻・太ももなどを左右に分けて叩く。武士には執行されなかったが、浪人には執行された。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%9E%E7%BD%AA
適用される身分 刑罰
共通–死刑のうち切腹と斬首以外、遠島、追放、押込、敲き、預かり、晒し、市中引廻、闕所、入墨
庶民のみ–手鎖、戸閉、過料、叱り、非人手下、人足寄場
武士のみ–切腹、斬首、改易、役儀取上げ、蟄居、閉門、逼塞、遠慮、隠居、差控
僧のみ–追院、退院、一宗構い、一派構い、蟄居、閉門、逼塞、遠慮、隠居、差控
女性のみ–奴、剃髪
その他–縁座、連座・・・
町奉行所では女性には刑を一等を減ずる慣習があり、よほどの重罪でなければ女性に死刑判決が下ることがなかった。」
http://homepage2.nifty.com/kenkakusyoubai/zidai/keibatu.htm
⇒刑罰の運用実態からして、江戸時代も、やはり、女性優位であったのだな、と思います。(太田)
各地域においても組合村(村連合)が結成され、非常時の際の取りきめを作るなど、ある程度治安維持のための相互扶助体制が整っていたことが、重大犯罪を抑止することに繋がっていたのである。・・・
民事事件も<変動はあるものの、少なかった。>」(180~182)
「通常、<代官達を含む>中小旗本家では譜代の臣はほとんどおらず、用人・侍とも多くは一季奉公の渡り人、つまり現在の派遣社員のような存在で、手代同様、農民・町人出身者も少なくない。
彼らは、旗本集団にとっていわば共有財産であって、必要に応じて供給されていた。
こう記すと、主従関係は希薄に感じられるが、奉公人たちは旧主に対しては礼を尽くし、親密な関係は保っていたようである・・・。」(189~190)
「結局・・・<地方の>陣屋で暮らす・・・代官は何をしていたのか?・・・
公事・出入<(注50)>の件数も少なく、諸帳面の作成は下僚がおこない、検見時以外はたしかにのんびりとしている節もある。・・・
(注50)「俗に、争いごと。もめごと。けんか。」
https://kotobank.jp/word/%E5%87%BA%E5%85%A5%E3%82%8A-574817
しかし、・・・一朝地震や洪水・・・など危難が訪れれば、すぐさま陣頭に立ち、村々を廻り、夫食<(注51)>などを手当てしている民政官の姿もあった。」(190)
(注51)ふじき。「江戸時代,農民の食料一般をさす。夫食は米以外の雑穀が中心で,芋やこんにゃくを主食とした地方もある。幕府,諸藩は凶作にそなえ貯穀を奨励したり,凶作・飢饉時には救済のため貸付 (夫食貸) を行なった・・・。」
https://kotobank.jp/word/%E5%A4%AB%E9%A3%9F-124397
「夫食貸しは、江戸時代、凶作その他のために生活に困窮した農民を救済するために、領主が夫食(・・・米穀のこと)または金銭を貸し付けることである。
農村から夫食貸しを願い出る時は、役人が出張して戸別に穀類、家財などの有無を調査し、農具のほか売り払うべき品物が無く、飢渇の切迫状態をただし、男性は1日米2合、麦4合の割合で、女性、60歳以上15歳以下の男性は米1合、麦2合の割合で、30日間貸与される。ただし代金貸しの場合があり、冬は10月、春は正月の下米相場で貸与される。返納の年季は状況によって一定しないが、御料所では無利息5箇年賦がふつうであった。そのため、夫食貸しは農村にとっては非常に有利であるから、ほんのわずかの凶作であってもこれを願い出る者が増え、かえってその返納に苦しむ者が増える傾向があったから、享保18年9月、江戸幕府は代官を通じて制限を加え、調査をより厳重ならしめた。しかし農村の窮乏によってしばしば返納期日は延長され、あるいは棄捐令されたこともある。・・・
以上は幕領における事情で、私領においてもまた夫食貸しは各地で種々の制度の下に行われた。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AB%E9%A3%9F%E8%B2%B8%E3%81%97
⇒天明の大飢饉等の際には、夫食制度では追いつかないほどの凶作が長期間続いたために、餓死者が出た、ということなのでしょうね。(太田)
「<今度は、>江戸に居住する代官の生活を・・・繙いてみたい。・・・
年間354日<(注52)>のうち、役所の休日は21日半・・・。
(注52)「月の満ち欠けの周期は、29.5・・・日です。12ヶ月だと29.4×12=354日です。・・・日本の旧暦は、太陰太陽暦の一種で、太陽の運行とずれないように・・・半月たしたり、・・・約3年に一度1ヶ月を挿入し(閏月という)、調整をします。」
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1450990414
その内訳は、正月御用はじめまでの6日間と7月の盆中4日間が連続した長期閉庁となる。
・・・在方陣屋同様に初午(はつうま)・嘉祥・八朔・玄猪(げんちょ)といった祝日は休みである。
江戸の役所独自の休日もある。
10月の惣寄合と暮れの役所煤払い、4月17日の神祖祭礼、6月10日・15日のそれぞれ天王・山王の祭礼による場合が・・・休日となっている。
その他に、<臨時の休日もあったが、>・・・<この>臨時<の休日>の場合をのぞき、年間19日間の休日以外には役所の業務はおこなわれていたものと思われる。・・・
通常の役所での勤務時間は、昼食もふくめおよそ4時間・・・<だったが、>これは、老中の城中での勤務時間とほぼ同じである。
しかし、役所<そのもの>は・・・代官出勤の1時間前より業務を開始、代官帰宅後、1時間業務をおこなう6時間勤務体制であった<らしい。>・・・
地方においては検見などのため繁忙期となっていた秋をのぞけば、たとえば夏、酷暑であれば半ドンとするなどのんびりとしていた。
しかし江戸の代官の場合、地方在勤の同僚代官の名代などもあり、登城や勘定所への出勤も多く見られる。
・・・師匠番<のような>」・・・初任者指南もまた江戸在住代官の仕事である。
さらに、毎年参向の公家衆の賄い御用として伝奏(てんそう)屋敷<(注53)>へ詰めることもあった。
(注53)「江戸時代、武家伝奏または勅使の宿所として江戸に設けられた邸宅。」
https://kotobank.jp/word/%E4%BC%9D%E5%A5%8F%E5%B1%8B%E6%95%B7-578415
伝奏とは、「院政期以降の公家の職名。院政期には摂関家・寺社などの奏請を院に取り次いだ。室町幕府の成立以降,武家伝奏ができ,幕府の意向を朝廷に取り次いだ。特に江戸時代は関白に次ぐ要職で,毎年三月,勅使として江戸に下り将軍に対面した。」
https://kotobank.jp/word/%E4%BC%9D%E5%A5%8F-102516#E7.99.BE.E7.A7.91.E4.BA.8B.E5.85.B8.E3.83.9E.E3.82.A4.E3.83.9A.E3.83.87.E3.82.A3.E3.82.A2
このほか、・・・馬喰町御用屋敷<(注53)>詰の代官であると、鷹狩りにかかわる諸御用や公金貸付業務も加わった。
(注53)ばくろちょうごようやしき。「江戸馬喰町(現,東京都中央区)に・・・,当時停滞していた幕府の貸付政策の打開をめざし1817年(文化14)に設けられた江戸幕府の役所。17年の時点で扱った貸付高は118万両であり,幕府の貸付総高235万両の50%以上に及んでいた。」
https://kotobank.jp/word/%E9%A6%AC%E5%96%B0%E7%94%BA%E5%BE%A1%E7%94%A8%E5%B1%8B%E6%95%B7-1195180
一概に現代のサラリーマンの労働量と比較することはできないが、勤務日数は多くとも勤務時間が短いので楽な気もするが、これは銀行と同じで表面的な窓口業務の時間であり、・・・多彩な交際(これは一種の料亭政治なのかもしれないが)や、出張などもある。
江戸は、地方勤務と違った便利さがある反面、諸御用と称する本来の代官としての職責以外の諸雑務をこなさなくてはならない、という面もあったのである。」(194、197~199)
⇒中央勤務の方が地方勤務より忙しい、という点も現在の官庁と同じですね。(太田)
(続く)
西沢淳男『代官の日常生活』を読む(その11)
- 公開日: