太田述正コラム#8142(2016.1.8)
<映画評論46:007 スペクター(その4)>(2016.4.24公開)
 (3)英国の過去の政治力へのオマージュ
 それにしても、英国で最大の発行部数を誇る保守系の新聞であるデイリー・テレグラフ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A4%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%86%E3%83%AC%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%95
と、英国で最も質の高いところの、リベラル系の新聞であるガーディアン
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%B3
が、揃いも揃って、この映画に5つ星を付けた
http://www.theguardian.com/film/2015/oct/22/spectre-review-roundup-james-bond
(1月5日アクセス(★))
というのは、珍事と言わずして何でしょうか。
 それをもたらしたのは、今回、初めて007シリーズの脚本陣に加わったところの、前出のバターワースであろう、と私は推測しています。
 「彼は、ロンドンの<ロンドン橋を渡ったテームズ川南岸の>バラー<・マーケット>
https://www.expedia.co.jp/Borough-Market-London.d6047472.Place-To-Visit
から1マイルも離れていない・・・病院で生まれたけれど、ロンドンのすぐ北に位置するロンドン通勤圏のセント・オールバンズ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%B3%E3%82%BA
の、イギリスの一種の精神的な死を象徴するに至ったところの、1960年代型の住宅で育った。」
http://www.newyorker.com/magazine/2014/11/10/nothing-2
というのですから、そんな彼が、この映画に、英国の過去の産業力へのオマージュを盛り込もうとしたことは大いにありうる、と思いませんか?
 その彼は、ある意味、更に深刻なオマージュ、すなわち、英国の過去の政治力へのオマージュをもこの映画に盛り込んだ、と私は見ているのです。
 そして、このことに、英国の主要メディアは気付いているからこそ、この映画を高く評価したに違いないのです。
 気付いているというのなら、どうして、この映画の映画評群の中で、そのことを指摘していないのでしょうか。
 この映画が過去の産業力へのオマージュであることに気付かないイギリス人はいないはずですが、過去の政治力へのオマージュであることについても、ちょっと気が利いたイギリス人であれば、見逃すはずがないと思われるので、あえて指摘する必要がなかった、といったところではないでしょうか。
 ところが、英エコノミスト誌は、野暮にも、屈折した逆説的な形でですが、下掲の本映画評の中で、このことを指摘してしまっています。
 「<この映画は、>せっかくいい出来なのに、<実は、主悪役の>オーベルハウザーの<主人公の>ボンドに対する復讐劇<だったんです、というネタばらし>が台無しにしてしまっている。
 オーベルハウザーを、ボンド・シリーズ全体にまたがる悪漢に仕立てることで、この映画は、ボンドのフィクション的宇宙を家族内のつまらない喧嘩へと矮小化してしまった。
 ずっと、我々は、ボンドが、民主主義のためにこの世界を安全に保ってくれている、と思い込んでいた。
 我々は、彼を、気が触れたテロリスト達が人類を隷属させるのを防ぐために、エキゾチックな諸地へと旅する一匹狼の英国人である、とみなしてきた。
 しかし、実際には、彼は、単に嫉妬深い乳兄弟<であるオーベルハウザー>・・・による乱射から身を守っていただけだった、というのだ。
 もっとも、我々は驚いてはいけないのかもしれない。
 アクション・冒険<映画>シリーズがその英雄達のトラウマの少年時代に憑りつかれることは、今や珍しくないからだ。
 スターウォーズの前日譚群や、フォックス社の新しい、バットマンの『ゴッサム(Gotham)』なる少年時代のシリーズを見よ。
 しかし、そんな展開は、ボンド<映画>に関しては、とりわけふさわしくない。
 <ボンドシリーズの原作者である>イアン・フレミング(Ian Fleming)の<生み出した>秘密工作員<たるボンド>は、任務を果たさなければならない男であって、大勢の中の不詳(anonyous)の(、そして、極め付きに練達の)スパイであって、冷戦の諜報機構の必要だが取るに足らない一員(small cog)なのだ。
 彼は、007であって001ではないのだ。
 地上の最も強力な犯罪者が、自分の父親の<ボンドへの>愛情に対する嫉妬から、ボンドに執着したのだとすると、ボンドは、全く異なった人物になってしまう。
 更に気に障るのは、オーベルハウザーのこの動機が、ボンドの諸業績の全てを無意味なものにしてしまうことだ。
 「スペクター」<、すなわち、オーベルハウザー>は、この<映画>シリーズ中の死や破壊のことごとくが、権力に飢えた悪漢達が常続的に地球を植民地にしようと試みていることに由来しているのではなく、家族内の憤りに由来していることを立証した。
 それは、我々に意気消沈させる疑問を惹起させる。
 すなわち、世界は、ジェームズ・ボンドが存在しなかった方がよりよい場所になっていたのではないか、という・・。
 ボンド映画を見終わった後に、こんなことを考えさせられることを望んでいる者など、一人もいないはずだ。」
http://www.economist.com/blogs/prospero/2015/10/new-film-spectre ★
(続く)