太田述正コラム#0378(2004.6.12)
<日本と米国の大学比較>
(ホームページの掲示板にも載せましたが、5??6月(11日から10日)の本ホームページへの訪問者数が18,559人と過去最高であった三ヶ月前の14,581人、前月の13,156人を大きく上回り、史上最高を記録しました。累計訪問者数は147,045人です。他方、メーリングリスト登録者数は現在853名と「高位停滞」を続けています。)
(コラム#376に新たに注4、注5を加え、従来の注4を注6としてホームページに再掲載してあります。また、コラム#377に、重要な「第五に・・」を挿入して同様、再掲載してあります。もう一度、コラム#375??377は、ホームページで通してお読みになることをお勧めします。)
私が東京大学に在籍したのは1967年から1971年にかけてであり、18歳から22歳まで、そしてスタンフォード大学に在籍したのは、1974年から1976年にかけてで、25歳から27歳までです。
東大には、大学紛争があったせいで、4年3ヶ月もいたわけですが、わずか2年間しかいなかったスタンフォードで学んだことの方が質量共にはるかに充実しています。(東大の4年3ヶ月間のうち、紛争で授業がなかった10ヶ月間の方が残りの期間より充実していたとさえ言えるでしょう。)(注1)
(注1)私は東京大学では学部(undergraduate)学生、スタンフォードでは大学院(graduate)院生だったが、米国の学部は日本の大学の教養課程相当、修士課程が日本の大学の専門課程相当だと考えればよく、米国の修士課程と日本の学部の履修内容の難易度にほとんど変わりはない。だから両者を比較することに意味はあると考える。
蛇足ながら、人事院制度での留学同期生で一緒に人事院で1ヶ月の事前研修を受けた自民党の原田義明代議士(当時通商産業省)がタフト大学フレッチャー・スクール卒と経歴を偽っていた件だが、難易度が日本のundergraduateなみの修士課程を卒業できなかったことは、国費で留学させてもらったにもかかわらずよほど勉強をさぼっていたということだし、彼が修士号を取得していたと思っていたなどという(私の経験に照らして絶対ありえない)ウソの弁明をしているのは見苦しい。
スタンフォード大学の方が東京大学より、客観的データが物語っているように、研究機関として優れていることはもちろんですが、高等教育機関としても、少なくとも私自身が評価できる文系に関して言えば、はるかに優れていると断言できます。このことは、公立私立を問わず、一定レベル以上の米国の大学と日本の大学について、一般的に言えるのではないでしょうか。
米国の大学と日本の大学の違いを理念型的に整理すれば、次のようになります。
1 米国の大学はトップダウン、日本の大学はボトムアップ
米国の大学では、地域や経済界のOBが加わっている理事会が学長を選び、学長が学部長を、学部長が学科主任を任命するのに対し、日本の大学では、学長も学部長も、そして教官の採用・昇任まで教官による選挙で決まる。
2 自主財源のある米国の大学、ない日本の大学
米国の大学は受託研究や同窓生、企業からの寄付金の受け入れに精力を注ぐと共に、大学の基金の運用に頭をしぼるのに対し、日本の大学は、もっぱら学生の学費と政府の補助金に依存。
3 米国の大学の教官は競争原理に晒され、日本の大学の教官はぬるま湯の中
米国の大学においては、自分の大学卒業生は一旦他大学の教官を経験させてからしか自分の大学の教官として採用することはないし、教官は、キャリアの途中まで解雇の対象とされる。そして、教官の評価は研究業績と教育業績の両面が考慮される。日本の大学では、自分の大学卒業生が優先的に教官に採用され、採用されれば終身雇用が保証される。教育業績は教官評価にあたって考慮されない。
また、米国の大学では、大学間はもとより、同じ大学の学部間、同じ学部の学科間、更には同じ学科の同じキャリアの教官間でさえ、教官給与に差がある。(これは、2が学部、学科レベルにおいても貫徹しているためでもある。)日本の大学では、教官の給与は年功序列で自動的に決まり、少なくとも同じ大学においては同等の年功序列の教官の間に給与の差はない。
4 米国の大学の学生は多様、日本の大学の学生は金太郎飴
米国の大学では、入学学生の選考は、筆記試験、面接(注2)、それまでの学業成績、社会活動歴等を総合的に判断して行われる。日本の大学では、筆記試験一本槍で入学学生が選考される。これにより、米国の大学では学生の多様性が確保されるとともに大学の伝統・特色の維持も可能となっている。日本の大学では、学生に多様性が見られず、大学の個性も乏しい。これには日本の大学には米国の大学に比べて外国留学生がはるかに少ないこともあずかっている。(注3)
(以上、http://www.glocom.org/special_topics/activity_rep/20040528_miyao_los/index.html(6月12日アクセス)に私自身の知見を加味した。)
(注2)スタンフォード・ビジネススクール入学選考過程で、私も日本所在の同窓生数名による面接を受けた。
(注3)東京大学には公式の同窓会がない。出身の法学部にもない。このことは、いかに教官に学生への愛着がないか、従ってまた卒業生の側に母校への感謝も郷愁もないかを如実に物語っている。
以上の違いから、なにゆえ米国の大学と日本の大学との間で、かくも研究、教育両面に渡って大きなパーフォーマンスの差が生じるのか、読者諸賢もぜひお考えいただきたいと思います。
日本の初等中等教育についても、もっとカリキュラムを柔軟に、かつより競争原理をとりいれる方向での手直しが必要ですが、(先般独立法人化がなされたことは一歩前進であったものの、)米国の大学をモデルに、日本の大学制度については、抜本的改革がなされてしかるべき時期が来ているのではないでしょうか(注4)。
(注4)日本が米国から学ぶべきことは少ないが、米国の大学制度はその数少ない例外だと思う。