太田述正コラム#8188(2016.1.31)
<矢部宏治『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』を読む(その10)>(2016.5.17公開)
「食文化・・・美術の世界・・・また、ものづくりや自然科学の分野でも、まちがいなく世界のトップレベルにある。
ところがなぜか、政治や法律、社会思想といったいわあゆる「社会科学」の分野だけは、日本は非常に不得手なようなのです※。
※これは有名な映画監督のオリバー・ストーン氏がつねづね語っていることでもあります。
「日本は偉大な文化をもつ国だ。
映画や音楽、食べもの、すべて素晴らしい。
しかし第二次大戦後の70年を見て、みずから本当になにかをなしとげようとした日本の政治家や首相を私はただの一人も知らない。
[同じ敗戦国のドイツには存在したような]平和でより高潔な世界をつくるために戦った政治家を一人も知らない」(2013年8月6日 広島 原水爆禁止世界大会)
⇒ストーンの言のドイツへの言及部分を除き、このくだりには、概ね同感です。(太田)
もちろん個人のレベルで見れば、素晴らしい研究をしている研究者の方はたくさんいらっしゃいます。
⇒しかし、矢部とは違って、戦後日本に、社会科学で「素晴らしい研究をしている研究者の方はたくさんい<る>」、とは私は思いません。
私が例外的に高く評価している学者達としては、明治期より前の日本史の専門家が何人かいるほか、哲学の専門家である和辻哲郎や廣松渉がいますが、歴史学も哲学も社会科学というより人文科学です。
(もとより、廣松の広義の中共論は、社会科学たりえたところ、(彼の著作に直接あたっていない現段階で断言するのは本来避けるべきですが、)検証を経ていない仮説の域にとどまっており、社会科学的業績とは言えないのではないでしょうか。)
なお、ストーンは日本の政治家について語っているわけですが、政治家に「なにかをなしとげようと」いう気持ちを起こさせるとともにそのための手段を提供するのは社会科学者である、と、どうやら、矢部は考えているらしいところ、この点についても、私は同感です。(太田)
しかしそうした研究の成果を国家としての決定や政策に反映していく回路が、なぜか決定的に分断されている。
だから現在のようなめちゃくちゃな状況を、みんなうすうす知っていながら、なにもせずに半世紀以上放置してきてしまった。」(116)
⇒矢部のこの結論は間違いです。
私自身は、日本で社会科学に見るべきものがないのは、第一に、自然科学とは違って、欧米、というか、アングロサクソンの社会科学は、方法論的個人主義が前提になっており、それでは、アングロサクソン社会すら近似的にしか描写できないところ、人間主義の日本社会に至っては殆ど描写ができないためであり、第二に、戦後日本が吉田ドクトリン下で安全保障の基本を放擲してきたため、社会科学的研究に対するモチベーションと投入資源が、諸先進大国に比べて相対的に少ないためである、と考えています。
もとより、この私見も検証を経ていない仮説ではありますが・・。(太田)
「3/11福島原発事故が起きたあと、「原子力村」という言葉をよく耳にするようになりました。
ひとことで言うと、電力会社や原発メーカー、官僚、東大教授、マスコミなどが一体となってつくる「原発推進派」の利益共同体のことです。
福島原発事故が起きてからしばらくのあいだ、私たち日本人はまさに大きな混乱のなかにいました。
それまで無条件で信頼してきた東大教授や高級官僚、大手メディアの解説委員など、日本のトップエリートたちが、まさかこれほど重大な問題に関して、100パーセントのウソ(「原発は絶対に安全です」「格納容器が爆発するなどということは、絶対にありません」)をついているなどとは、思ってもみなかったからです。
けれども状況があきらかになると、事実はとても簡単なものでした。
推進派の有名な東大教授も、原子力安全委員会の委員長も、経歴を見れば東京電力や原発メーカーの元社員でした。
つまり彼らは「原発推進派」の巨大な利益共同体に属しており、そこから社会的ポジションや経済的利益を得ていた。
そしてその共同体は、豊富な資金にものをいわせて、推進派に都合のいい情報だけを広め、反対派の意見は弾圧する言論カルテルとして機能していたのです。
こうした原子力村の構造があきらかになったことは、戦後日本の謎を解くための大きなカギとなりました。
というのはこの原子力村は、「日米安保村」というそれよりはるかに大きな村の一部であり、相似形をしている。
ですからこの原子力村の構造がわかれば、日米安保村の構造も、おおよその見当がつくわけです。・・・
<両者の>ちが<い>はその規模<にありま>す。
原子力村の経済規模が年間2兆円とすれば、安保村の経済規模はなんと年間530兆円、つまり日本のGDPのすべてといっていい。
なぜなら占領が終わって新たに独立を回復したとき、日本は日米安保体制を中心に国をつくった。
安保村とは、戦後の日本社会そのものだからです。」(118~119)
⇒このくだりは、矢部はそうおかしなことは言っていません。
ただ、私なら、吉田ドクトリンでもって説明するところです。
福島原発事故が起こってからでさえ、原子力空母なる「原発」・・しかも、文字通り、北朝鮮や中共やテロリスト達の標的にされている「原発」・・が、年間かなりの部分、横須賀に「設置」されていることに、国民一般の間から、いや、横須賀及びその周辺の住民の間からさえ、全くと言ってよいほど、問題視する声が聞こえてこない、ということは、日本国民が、いかに宗主国米国を信頼しきっているかを語って余りあるものがあります。
矢部自身が強調しているように・・後でまたこの話が出てきますが、・・日本の原発だって、米国の政策として設置されている、とも言えるのですからね。(太田)
(続く)
矢部宏治『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』を読む(その10)
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