太田述正コラム#8208(2016.2.10)
<矢部宏治『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』を読む(その19)>(2016.5.27公開)
「私たちがよくおぼえておかなければならないのは、彼らGHQのメンバーはこの直前まで、4年におよぶ世界大戦を戦ってきた軍人たちだということ、そしてアメリカの日本占領において憲法改正(=民主的憲法の制定)は、もっとも重要なミッションと位置付けられていたということです。・・・
彼らは最重要のミッションをあたえられたとき、徹底的にロジカルに行動します。
あらゆる手を使って敵の情報を集め、分析し、次の行動を予想して、なにがあっても負けないという体制をつくってから動き始めるのです。・・・
<憲法改正は、>一種の軍事行動だったと考えれば、わかりやすいと思います。・・・
⇒矢部は、軍事が特殊な分野であると考えているようですが、これは根本的な勘違いというものです。
軍事においては、軍事力行使にあたって、必然的に、味方と敵の双方の軍事要員や一般人の生死が関わってくるのであり、しかも、その際に争われる究極のものが国家主権という、至高のものであることから、用いられる技術や組織論等、あらゆるものが、費用が許す限り最高のものでなければならない、というだけのことです。
なお、日本では、戦前・戦中においても民主主義が貫徹していたことから、「憲法改正(=民主的憲法の制定)」という箇所にはひっかかります。
矢部は、「憲法改正(=人民主権憲法の制定)」とでもすべきところでした。(太田)
<その>密室での草案執筆から日本政府への提示、そして日本語の条文を確定するまでの全プロセスが、GHQによって完全にコントロールされていたことは、資料的に見て議論の余地がありません。
ただし、GHQがそこまで強引なことをした理由は、実は日本人がなによりも大切にする天皇を守るためだという側面が強かった。
そうした非常に複雑な、ひとことでは説明できないようなねじれがあるわけです。
だからより大きな視点から見れば、一方的に押しつけではなく、日米合作だったということも、もちろん可能です。
けれどもそうしたさまざまな歴史的経緯が交錯するなかで、「占領軍が被占領国の憲法草案を執筆し、それを被占領国自身が作成したことにした、それは西側諸国では他にほとんど類例のない、きわめて異常な出来事である」・・・ことだけは疑いのない事実です。」(179~181)
⇒これは、ドイツと日本の占領形態の違いを無視した、文学的な指摘です。
被占領下のドイツは、米英仏とソ連によって分割直接統治され、中央政府が存在せず、憲法制定プロセスが始まった時点においても州政府群しか存在していませんでした。
(日本政府を通じたところの、事実上米国だけによる間接統治であった日本は、この点でもドイツよりも優遇されていた、ということです。)
しかも、(戦前に比べて大幅に縮小させられたところの)ドイツ全土中、米英仏によって直接統治されていた区域(除く西ベルリン)だけを対象にした憲法制定プロセスが、西側連合占領軍群(Western allied occupation forces)によってスタートさせられたのです。
これでは、たとえ、そのプロセスを秘密にしようと思ったとしても、そんなことなど到底できない相談でした。
しかも、ドイツの場合、日本におけるGHQの憲法草案に相当するのが、1948年7月1日に各州代表に提示された、フランクフルト文書(Frankfurt Documents)であるところ、この作成のための議論は、米英仏に加えて、西ドイツ区域の隣国である、オランダ、ベルギー、ルクセンブルグの3か国<(注27)>が加わって2月から始められたものであった、
https://en.wikipedia.org/wiki/Basic_Law_for_the_Federal_Republic_of_Germany 前掲
https://en.wikipedia.org/wiki/Frankfurt_Documents
ことから、なおさらです。
(注27)ベルギーは英国区域内に、ルクセンブルグはフランス区域内に、それぞれ、小さい占領区域を与えられていた。
https://en.wikipedia.org/wiki/Allied-occupied_Germany
また、このフランクフルト文書は、第一に、米英仏の占領区域を領域とした国を作ること、第二に、その国は共和制でなければならないこと、第三に、その憲法では、自由と人権について、国家目標である、としていたワイマール憲法とは違って、権利である、とすべきこと、連邦制を採用し各州の権限を強いものにしなければならないこと、という基本等が盛り込まれており、できあがった基本法はその通りの代物でした。(上掲)
ですから、ドイツ側に、「草案」を修正する自由度など殆どなかったという点でもまた、日本と同じだったのです。(太田)
(続く)
矢部宏治『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』を読む(その19)
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