太田述正コラム#0381(2004.6.15)
<移民礼賛:英国篇(その3)>
(皆さんのご協力のおかげで、メーリングリスト登録者総数が900名の大台を超え、現在、902名です。1000名が本当に近づいてきました。)
(3)移民のイギリスへの貢献
いずれにせよ、16世紀以降について言えば、宗教的理由に藉口してたびたび外国人虐殺が起こった欧州に比べれば、イギリスは移民にとっては天国のような国だったと言えるでしょう。
1500年には既にロンドンの市民人口の6%を移民(3000人)が占めていました。(ロンドンがいかに小さな都市であったかが分りますね。)ロンドンのThreadneedle Street や Petticoat Lane は、16世紀半ば以降大陸から逃れてきたユグノー(Huguenots=フランスのプロテスタント。http://www.kopower.com/~jimchstn/timeline.htm(6月14日アクセス))の毛織物職人にちなんで名付けられたものです。
1764年には、既にロンドンに20,000人の黒人召使いがいたようです。
1892年には早くも最初のインド人の英下院議員が出ています。
こんな調子では、いくら枚数があっても足りないので、結論を急ぎましょう。
米国の白人の間では有色人種との結婚は少なく、特につい最近まで黒人との結婚はタブー視されていましたが、英国では有色人種との結婚については、女性がまず先鞭を付け、男性がこれに続き、米国よりずっと人種間婚姻率が高くなっています。
また英国は、欧州大陸諸国と比べても、最も人種間婚姻率の高い国となっています。
フォード(Madox Ford)が近く上梓される著書、The Spirit of the People: An Analysis of the English Mind の中で言っているように、最近の移民を除いたとしても、「ローマ人、ブリトン人、アングロサクソン、デーン人、ノルマン人、ポワトー人、スコットランド人、ユグノー、アイルランド人、ゲール人、近代ドイツ人、そしてユダヤ人の子孫が混ざりに混ざっている<以上、>「人種」などと言うも愚かしい存在、それが我々・・イギリス人」なのです。
そして、最近の移民について言えば、(その著書をこのシリーズの典拠にさんざん使わせてもらった移民問題の専門家の)ウィンダー(Robert Winder)も言うように、「勤勉で見栄を張らないかつての典型的なお行儀の良いイギリス人・・遠慮がちに行列の後につき、人の不幸に思いやりを示し、艱難に忍耐強く向き合う・・は今や、自己中心的な風潮に染まっている我々の間より、強い家族への忠誠心と義務の観念を身につけている移民の間に多く見出せる」のです。
今では、カナダ、オーストラリア、南アフリカの「イギリス人」達が本国イギリスを、そしてスコットランド人がかつての仇敵イギリスを闊歩していることはもとより、エジプト生まれがハロッドを所有し、ジャマイカ生まれが巨大労組の組合長を昨年まで務め、ユダヤ系がノーベル賞受賞者の大多数を占め、イギリスの大企業の半分は外国人によって経営されています。次期カンタベリー大司教に目されている人物はパキスタン生まれですし、イギリスのサッカーナショナルチーム監督はスェーデン人です(http://books.guardian.co.uk/extracts/story/0,6761,1179373,00.html。3月28日アクセス)。
2001年のデータによれば、ロンドンの710万人の人口のうち、白人人口は430万人に過ぎません。ロンドンは、EU加盟国の中で、最も人種的に多様化した国際都市なのです(ガーディアン上掲)。
英国全体で見ると、移民は総人口の約8%を占めており、うち半分がインド亜大陸出身者で、次いで黒人、そして東アジア出身者です。その約8%がGDPの約10%をたたき出しています(http://www.warwick.ac.uk/~errac/tab1.htm(3月7日アクセス)及びhttp://news.bbc.co.uk/2/hi/in_depth/3523208.stm(3月23日アクセス))。
移民が常に英国の文化と経済の活力の源となってきたことがお分かりいただけたでしょうか。
その英国にとって残された移民問題が一つだけあります。
それは、イスラム教徒たる移民は、なかなか英国に同化しないだけでなく、2002年に内閣府が実施した調査でイスラム教徒は、所得等あらゆる指標で英国の平均を下回る結果が出たこと(コラム#24)です。
もっとも、これは移民問題と言うよりも、イスラムの問題だと言うべきでしょう。
(完)
<菅間>
なぜ1,000と言う数字に拘るのですか。
1,000を達成すると何か利点でもあるのですか。
<太田>
さあ、どう答えましょうか。
1 私は日本人の世界観や世界の人々の日本を見る眼を変えようという途方もない目的のために本ホームページを立ち上げ、コラムを執筆してきているわけで、そのためには読者の数が問題になってきます。
2 また、数が増えれば増えるほど、加速度的に余録が増えるのではないか、と期待しています。端的な例で申し上げれば、広告をメールに掲載し、それなりの広告収入を得られるようになるかもしれません。
以上が、なぜ私が数字にこだわるのかの理由です。
次に1,000という数字に意味があるのかという点です。
もとより数は多ければ多いほどいいわけで、1,000は通過点に過ぎません。
3 しかし、二桁の数字が三桁になれば、それだけで達成感がありますよね。
4 もう一つ。私自身や私の家内の経験上も、20??30年すれば、年賀状を交換する相手が数百のオーダーに自然になりますが、容易に一千名を超えることはありません。つまり、一千名を超えれば、顔をつきあわせてネットワーキングをできる範囲を超えた、ということになり、そのことも達成感につながります。(というより、そうならなければ、インターネットの世界で発信している意味はない、と言ってもいいかもしれません。)
1と2について、未来永劫期待できないと私が判断すれば、その時点で本ホームページは閉ざし、コラム執筆もやめるつもりでいることは、これまで何度も申し上げてきたところです。
<読者A>(2004.6.25)
今日6月25日は、
お隣の国で、朝鮮動乱(朝鮮戦争と言うのは間違い同族同士の殺し合いでただの内乱)起こった日です、北の将軍様が米国のアチンソン発言を元に侵攻を開始しました、
とここまでが、普通の認識だと思います、