太田述正コラム#0384(2004.6.18)
<アブグレイブ虐待問題をめぐって(その10)>
(10)英軍
英国はかつてイラク統治の経験を持っているだけでなく、長年にわたるIRAとの戦いを通じてテロリストとの戦いについてノウハウを蓄積しています。
私の1988年のロンドン滞在中、最もショッキングだったのは、英領ジブラルタルでIRA要員三名(男性二人、女性一人)が英国のSAS隊員達によって射殺された3月6日の事件です。
当初英国政府は、この三名が爆弾を爆破しようとしており、撃ってきたのは彼らの方からだとしていましたが、翌日になって、この三名が武器を携行していなかったことと、彼らが乗ってきた車の中から爆弾は発見されなかったこと、を認めました。
それにしてもSAS隊員達が、白昼堂々、公道上で少なくとも25発もの弾を発射してこの三名を射殺し、その際、通行人一人に怪我をさせた上、この三名にとどめまでさしたのはなぜか、と追求された英国政府は、彼らが爆弾を爆破するかのような不審な動きをしたからだ、と苦しい答弁をしています(注11)。
(注11)留学先の大学校のインド人同僚(当時インド空軍准将)は、「我々がかつて英国から教わった中に、政府がこんなことができるなんてことは入ってなかったぞ」と言っていた。
この事件については、3月16日に北アイルランドで行われたこの三名の葬儀が親英過激派(Loyalist)の男によって襲撃され、参列者三名が射殺される、というおまけまでついた。更にその3日後の19日には、北アイルランドでやはり親英過激派によって射殺された一人のIRA要員の葬儀の際に、会場に誤って車で入り込んだ英軍兵士二名が、参列者によって車から引きずり出されて暴行を加えられた上、射殺されるという事件(その一部始終がビデオで撮影されていた)が起きている(http://www.pbs.org/wgbh/pages/frontline/shows/ira/etc/cron.html。6月18日アクセス)。
にもかかわらず、6ヶ月後に開かれた審問で、陪審員達はこのSAS隊員らを罪に問わないという評決を下しました。
この事件の背景には、英国政府が1969年からIRA相手に実施してきた対テロ戦争があります。
この戦争の過程で英国政府は、礼状なしの拘束、拷問、暗殺(shoot to kill)等を半ば公然と行ってきました。
暗殺について言えば、この事件までに英軍は53名もの北アイルランドの人々を疑問符の付く状況下で殺害してきており、そのうち英軍兵士が咎められたのは一件でわずかに一名、しかもその兵士も終身刑が宣告されたものの、三年後には解放されています。
(以上、特に断っていない限り、http://www.rcgfrfi.easynet.co.uk/larkin_pubs/older/motr/motr_all.htm(6月17日アクセス)による。)
こんな対テロ戦争の「プロ」の英国が米国とともにイラク戦争を行い、イラクの戦後統治にも関与しているのですから、駐イラク英軍は、自ら管轄下のイラク人収容者を虐待している模様である(http://www.guardian.co.uk/Iraq/Story/0,2763,1235354,00.html。6月11日アクセス)だけでなく、米軍によるアブグレイブでの虐待にも何らかの形で関与しているのではないか、という疑いが出てくるのはごく自然なことです。
実際、ある英特殊部隊OBの現によれば、性的嫌がらせや裸体にするといったアブグレイブでの虐待は、英国のSAS等の特殊部隊が身につけているR2I(Resistance to interrogation)なる手法そっくりだというのです。この手法は、英国の三軍統合尋問センターで、英軍及び米軍の兵士に教えられているといいます。この手法を彼らはお互いが被験者になって身につけるのですが、その過程で彼らはそれがいかに耐え難い、「効果的」な手法であるかを体得するのだといいます。
しかし、そのOBは、これはあくまでも「プロ」の特殊部隊員が緊急状況において用いる手法であって、これを教育も受けていない(従って、やられる側のつらさや手加減の仕方が分からない)憲兵(や一部報道によれば契約業者)が行ったのは問題だし危険だ、と指摘しています。
(以上、http://www.guardian.co.uk/Iraq/Story/0,2763,1212197,00.html(5月8日アクセス)による。)
(続く)