太田述正コラム#0386(2004.6.20)
<終焉に向かうアルカーイダ(その1)>

1 始めに

「私は、アルカーイダ等の対米闘争について、日本の幕末の英国を主たる標的とした攘夷運動と基本的に同じものだと思っています」と以前(コラム#60)記したことがあります。
日本の幕末の攘夷運動がやがて行き詰まり、その歴史的役割を終えることになったように、アルカーイダのテロ活動もそろそろ終焉に向かいつつある、と私は見ています。
英国生まれの宗教学者のマライズ・ラスヴェン(Malise Ruthven)のFundamentalism: The Search for Meaning, Oxford,2004等の著作を踏まえつつ、このことをご説明しましょう。
(以下、特に断っていない限り、http://www.guardian.co.uk/waronterror/story/0,1361,566745,00.html(2001年10月10日アクセス)、http://books.guardian.co.uk/reviews/politicsphilosophyandsociety/0,6121,1227025,00.html(6月3日アクセス)、(http://books.guardian.co.uk/reviews/politicsphilosophyandsociety/0,6121,1242911,00.html(6月20日アクセス)による。)

2 アルカーイダの起源

 アルカーイダの終焉を論ずるためには、その起源から話を始める必要があります。
 以前、アルカーイダとシーア派のニザール派(11世紀末??13世紀中頃)とが類似しており、かつアルカーイダがスンニ派のワハブ派(18世紀中頃??)の系譜を引いている、と書いたことがあります(コラム#191、193)が、ラスヴェンは、アルカーイダの起源を、米国における1900年前後のキリスト教原理主義の生誕に求めます(注1)。
 
 (注1)最近のキリスト教の原理主義化傾向については、コラム#93、95を参照。

 1890年代の米国で、都市化、産業化やダーウィニズムの浸透等に伴うプロテスタンティズムの世俗化の動きに反発して、聖書を文字通りに信じるべきだとの声があがり始めます。
 この声が大合唱になるのが1909年です。この年、ある兄弟(うち一人は、ロサンゼルスを本拠地とする大石油会社のユニオン石油の社主)が、64名の著名な神学者や牧師等に手分けして原稿を書かせて12巻からなるThe Fundamentals(プロテスタンティズムの基本)という本をつくり、この本を300万部も無償配布します。キリスト教原理主義(fundamentalism)の誕生です(注2)。
 (以上、http://www.catholic.com/library/Fundamentalism.asp及びhttp://www.scripophily.net/unocal.html(6月20日アクセス)も参照した。)

 (注2)他方、1911年に初めてハリウッドに映画スタジオができている(http://www.historicla.com/hollywood/history.html。6月20日アクセス)。ラスヴェンは、後に世界の人々の「心」に巨大な影響を及ぼすことになる宗教原理主義とハリウッドの映画産業が、ほぼ同じ場所でほぼ同じ時期に呱々の声を上げたことに注意を喚起している。

 1919年に禁酒法が制定されました(憲法に禁酒条項が加えられた)が、これには飲酒・博打・ダンス・喫煙を忌み嫌うキリスト教原理主義も大きな役割を果たしました(コラム#258参照)。
 1920年代に入ると、ビリー・サンデー(Billy Sunday)のような原理主義的伝道家(evangelist)が輩出します。そして、キリスト教原理主義者達によって、進化論を学校で教えることに反対する運動が中西部や南部で展開されるのです。
 (以上、http://usinfo.state.gov/usa/infousa/facts/history/ch9.htm(6月20日アクセス)も参照した。)
 
(続く)