太田述正コラム#8320(2016.4.6)
<タックスヘイヴン–大英帝国の残影(その1)>(2016.8.7公開)
1 始めに
本日のディスカッションで予告した、表記に係るコラム、「英国の脱税帝国(Britain’s Empire of Tax Evasion)」
http://foreignpolicy.com/2016/04/04/bri
の相当部分をご紹介し、私のコメントを付します。
なお、筆者のアダム・ラムゼー(Adam Ramsay)は、現在、電子雑誌openDemocracyUKの共同編集者であり、スコットランドの準男爵の家系に生まれ、エディンバラ大卒(哲学と政治専攻。学生会長を務める)で社会運動家として活躍してきた人物です。
https://www.opendemocracy.net/author/adam-ramsay
http://www.dailymail.co.uk/news/article-1370966/Descendant-baronet-grew-castle-arrested-alongside-protesters.html
https://oxford.greenparty.org.uk/people/ramsay.html
2 タックスヘイヴン–大英帝国の残影
「・・・英議会(Westminster)<(注1)>の下に18の議会群(legislatures)があって、この中には、世界に存する諸タックスヘイヴンの、突出して最も重要なネットワークを監督している諸政府が含まれている。
(注1)「“ウェストミンスター”は一般にはイギリスの議会や政界を意味するメトニミーとしても使用されるようになっている」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC
(「<metonymy=>換喩(かんゆ)は、修辞学の修辞技法の一つで、概念の隣接性あるいは近接性に基づいて、語句の意味を拡張して用いる、比喩の一種である。また、そうして用いられる語句そのものをもいう。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8F%9B%E5%96%A9 )
ところ、「議会群」に対応するものは「英議会」なので、Westminsterを英議会と訳した。
⇒イギリス、ひいては英国が議会主権国である、ということを念頭に置いてこの前後のくだりを理解してください。
つまり、英議会=英国政府、ということなのです。(太田)
ロンドンのシティ(City of London)を中心として、英国の、諸税、諸規制、そしてその他のやっかいな諸法からの避難民達のネットワークは、まず、最初に、諸王室属領(crown dependencies)<(コラム#6347)>である、マン島(Isle of Man)、ガーンジー島(Guernsey)、ジャージー島(Jersey)、次いで、英領ヴァージン諸島(British Virgin Islands)、バミューダ諸島(Bermuda)、そしてケイマン諸島(Cayman Islands)といった14の英諸海外領土(British overseas territories)へと広がっている。
⇒「3+14」は17であるところ、残りの1つは、スコットランド議会でしょうか。(太田)
そこから、この網は、1997年以来、もはや英国の統治下にはないが、著述家のニコラス・シャクスソン(Nicholas Shaxson)<(注2)>によれば、依然として「シティーに何十億ポンドものビジネス」を与えているところの、香港のような諸場所へと広がっている。
(注2)1966年~。英国の著述家、ジャーナリスト、投資家。Tax Justice Networkという、脱税、タックスヘイヴン等を調査研究する権利擁護団体(advocacy group)に勤務。
https://en.wikipedia.org/wiki/Nicholas_Shaxson
諸海外領土・・旧帝国の最後の諸痕跡・・の各々は、少しずつ異なった政治諸構造を持っているが、そのすべてが英国政府によって任命される総督(governor)的人物を戴いている。
<また、>そのすべてが、自分達の外交政策のコントロールを英議会に委ねており、更に、そのすべてが、軍事的保護をその本土(motherland)に依存している。・・・
英国の影響下にあるこれらの小さな片隅群が進展させてきた役割は、過去100年にわたって、英国が土地の帝国から金融帝国へ、すなわち、腐敗した指導者達、脱税者達(tax dodger)、麻薬取引者達、そして禁輸違反者達、が金を入れた壺群を隠したところの、地球全域に散らばる宝島群を通じての、世界の征服から資金洗浄へ、どのように転換したかの物語を教えてくれる。
どのように諸辺境(edges)における諸物事がかくも悪しきものになったかを知りたいと思う、だって?
<それなら、>中心を見ればよい。
<中心であるところの>ロンドンのシティは、大英帝国よりも更に古い。
ロンドンの金融センターを構成しているその1.12平方マイルは、1000年間にわたって彼ら自身の憲法的諸取極め(arrangements)を持ち続けてきた。
(シャクスソンが記すように、ウィリアム征服王が、1067年に、それ以外のイギリスを処分(trash)した時に、シティが、その「昔からの諸権利(ancient rights)」を維持することを認めたのだ。)<(注3)>
(注3)1066年のヘイスティングズの戦い(Battle of Hastings)でイギリス王ハロルド2世を打ち破ったノルマンディー公ギョーム2世(後のイギリス王ウィリアム1世)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%82%BA%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
は、次いで、首都ロンドンに向かったが、イギリス側の激しい抵抗にあったところ、結局、この抵抗勢力は降伏したのだが、1075年に、ロンドンの市民達に一定程度の自治権を与える勅許状(charter)を授与した。
https://en.wikipedia.org/wiki/City_of_London
ロンドン(シティ)が、ウィリアム1世が、検地の上、1085年に作らせた土地台帳であるドゥームズデイ・ブック(Domesday Book)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%BA%E3%83%87%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%AF
からは除かれていることは示唆的だ。
https://en.wikipedia.org/wiki/City_of_London 前掲
なお、1067年云々を直接裏付ける記述は、このシティの英語ウィキペディア内には見当たらない。
⇒イギリス(英国)の中心は形式上は英議会だが、実態上はシティである、とのラムゼーの指摘は刺激的ですね。(太田)
(続く)
タックスヘイヴン–大英帝国の残影(その1)
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