太田述正コラム#8322(2016.4.7)
<タックスヘイヴン–大英帝国の残影(その2)>(2016.8.8公開)
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[李下に冠を正したキャメロン英首相]
キャメロンの言行不一致、偽善性が、今回のリークによって暴露されてしまった。↓
「2013年に、EUの租税取り締まりに対し、オフショア諸信託を保護するために介入したキャメロン・・・
この、EU全体としての議論に英首相が個人的関与をしていたという事実は、彼の亡くなった父親が設立したオフショア信託であるブレアモア・ホールディングス(Blairmore Holdings)と首相の家族との関わりについての諸質問に<キャメロンが>直面し続けていたさなかに浮上した。・・・
その、キャメロンは、脱税の取り締まりを2013年のG8・・で英国が議長国を務めた際の中心的主題としている。
しかも、その・・・時に議論された諸提案のうちの一つが<会社の>所有関係の一元的登録に向けての提案だった、ときている。・・・」
http://www.theguardian.com/politics/2016/apr/07/david-cameron-offshore-trusts-eu-tax-crackdown-2013
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今日、この平方マイル<(=シティ)>は、ロンドン・シティ自治体(City of London Corporation)<(注4)>によって統治されているが、その議員達はそこで活動している諸企業によって選挙されるところ、彼らは、英議会の議席に座る、選挙で選ばれないところの議員を有しており、また、英国の諸銀行を取り締まる(police)ことが極めて不得手であり続けてきたところの、自前の警察も有している。
(注4)2005年に、ロンドン自治体(Corporation of London)から改称。恐らくは世界最古の選挙制でもって現在まで続いてきた地方政府。1683年にチャールズ2世がこの自治体に与えられた特権を剥奪したが、特権は名誉革命後の1690年に回復・再確認された。なお、前出の1067年の「「昔からの諸権利・・・」を維持することを認めた」勅許状がこのウィキペディア内で言及されている。
https://en.wikipedia.org/wiki/City_of_London_Corporation
備わっている憲法的諸保護だけでは不十分なので、2010年には、シティは、保守党の選挙運動<経費>の半分超を負担してキャメロンに・・・かろうじて勝利を遂げさせることで、2008年危機以降の金融に対する新たな大きな新諸規制を政治的に不可能にすることを確実にした。
但し、誤解してはいけないのであって、労働党だって権力の座にあったところの、それより前の13年間にシティを規制することは何もやらなかった。
そもそも、彼らが権力の座に就けたのは、ダウニング街1番地<(=首相官邸)>に入居するためのその戦略の鍵となる部分であったところの、かの有名な「金融界のお歴々に対するおべっか攻勢(prawn cocktail offensive)」のおかげだった。
これらすべては、内部事情通の間で、英国が、このところ、犯罪的な資金洗浄の全球的首都と考えられてきたのはなぜかについて、若干なりとも説明になっている。
恐らく、このパナマ諸文書の公開によって、<英国に対する>尊敬の最後の光沢がついに消し去られることになろう。
現代の英国を理解しようとすれば、我々は、今日の世界における我々の主たる経済的機能が、恐らくは我々のタックスヘイヴン群のネットワークであることを、まず第一に、自覚する必要がある。
結局、オフショアの諸口座に21兆ドル前後が収まっていると推計されており、そのうち英国の諸領土がその隔絶した大きな部分を占めている。
我々自身のGDPは、わずかに3兆ドル前後だというのに・・。
第二に、我々は、我々の全球的な資金洗浄の首都としての役割についての深刻な諸主張と真剣に取り組まなければならない。
それは、単に、我々が恥じ入らなければならない何物か、だけではないのであって、それは、この国に大きな経済的諸問題を引き起こしてもいるのだ。
すなわち、それは、ポンドの価値を我々の他の諸輸出をできなくするほど高めてしまっている。
(製鉄業よさようなら、だ。)
また、それは、ロンドンと英南東部の住宅価格を高騰させ、巨大な投機的バブルを過熱させ、それが残りの経済から投資を吸い出してしまっている。
エコノミストのジョン・ミルズ(John Mills)<(注5)>によれば、英国経済における純投資が実質ゼロになってしまっているというのだが、それは不思議でも何でもないのだ。
(注5)1938年~。英国のアントレプレナー、エコノミスト、実業家。オックスフォード大卒。
https://en.wikipedia.org/wiki/John_Mills_(businessman)
そして、第三に、この次第に暮れつつある経済的現実が、我々の政治とどのようにからみあっているか、を考える必要がある。
直接的な賄賂という形での明白なる腐敗を通じてではなく、政府と官僚機構との間の諸人事交流(revolving doors)、諸OBネットワークや友達諸集団、完全に合法な選挙諸寄付やメディアの支配(dominance)、を通じてのからみあいを・・。
これらすべてが、英国の最も重要な産業としての金融の役割を固めるために組み合わされ、動いているのだ。
私の祖父母達の生涯に納まってしまうところの、そう昔のことではないが、英国は人類史上最大の帝国の中心だった。
多くの観察者達は、理解できることだが、現在をポスト帝国時代であると考えてきた。
帝国の終焉期日を、英国が南アジアから撤退した時前後のいつの時点かに置きつつ・・。
⇒正しくも、大英帝国の終焉期日を、インド・パキスタンが分離独立した1947年
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%91%E3%82%AD%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E5%88%86%E9%9B%A2%E7%8B%AC%E7%AB%8B
「前後」と措定したラムゼーを褒めておきましょう。
我々からすれば、当然、「後」ではなく「前」であって、日本軍がインド国民軍と共にインド東北部に侵攻した1944年
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%AB%E4%BD%9C%E6%88%A6
ですがね。(太田)
しかし、我々は恐らく先走りしているのだろう。
恐らく、我々は、今、ようやく、最終的諸段階を目の当たりにしているのだろう。
物理的な帝国が隠された金融的な帝国によって置き換えられているという・・。
そして、恐らくは、パナマ諸文書は、この帝国もまた、ついにはがされ始めた瞬間であったと見なされることだろう。・・・」
3 終わりに
このコラムを踏まえると、アングロサクソン文明とは、イギリスの主ウェイオブライフであるところの資本主義の中枢たるシティ、と、イギリスの従ウェイオブライフであるところの人間主義的性の中枢であるイギリス議会、とのせめぎ合いの文明である、という言い方もできるのかな、という気になってきました。
(完)
タックスヘイヴン–大英帝国の残影(その2)
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