太田述正コラム#8326(2016.4.9)
<ナチスの原点(II部)(その7)>(2016.8.10公開)
彼女は<ヒットラーと事実上>所帯を持っていたけれど、公には姿を現さなかった。
彼は、女性との<公式な>関係を維持できなかった、いや、維持しようとしなかったのはどうしてだろうか。
著者は、彼が様々な流言と呼ぶところのものを脱構築する。
いや、彼は同性愛者ではなかった。
いや、彼は異常な性器を持っていたわけではない。
そして、彼は<女性達と>諸関係を持っていたが、その全てが不器用(awkward)なものだった。
その最もそれらしき理由は、「自分の個人的な諸関心が自分の政治的自由度(latitude)を制限することを防ぐために」、自分の私的生活に大きなエネルギーを割くことに消極的だった、というものだ。
⇒そういうタテマエにヒットラー自身がした、というだけのことであり、後で述べるように、それはウソに近い、と私は見ています。(太田)
著者は、恐怖、憤怒…そして小ささという図柄を描く。
ヒットラーは、シュピーシク(spiessig)・・狭量ないしプチブルと翻訳されるところの極めてドイツ的な言葉・・として描写される。
宰相のアルプス山中のベルクホーフ(Berghof)<(注19)>の別荘での生活は公的で息が詰まりそうだった。
(注19)「ドイツ南東部バイエルン州のベルヒテスガーデンの近郊オーバーザルツベルクにあったヒトラーの別荘である。・・・1928年の夏、ここに避暑のため訪れたヒトラーはこの家が気に入り、・・・賃貸契約を結んだ。ヒトラーは姉のアンゲラ・ヒトラー、その娘のゲリ・ラウバル、フリードル・ラウバルをここに住まわせ、管理に当たらせた。ヒトラーはしばしばこの家をおとずれ、幹部会議も開催した。1929年5月29日、ヒトラーはヴァッヘンフェルトを買い取った。・・・アンゲラはヒトラーの愛人となったエヴァ・ブラウンとそりが合わず、エヴァを滞在させないことがしばしばあった。1936年8月にアンゲラが再婚してベルクホーフを去ったため、エヴァが陰の女主人となった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%95
彼の一時間にも及ぶ昼食のためにヒットラーは座席図を監修したものだ。
彼は、とりわけ諸生け花に熱を入れた。
アルベルト・シュペー(Albert Speer)<(コラム#3267、3829、5162)>の母親は嘲笑ったものだ。
「全てがにわか成金趣味ね」、と。
彼はエクスパンダーを使った運動を、自分の朝のルーティンの一環として行ったものだ。
これによって、彼は、自分の右腕を長時間差し上げたままにしておくことができた。
「多くの独学者達の典型だが、ヒットラーは、専門家達よりも物事に通じていると信じており…実は自分の限られた諸水平線のメダルの反面であるところの傲慢さで、彼らを扱った」、とこの著者は記す。
「成り上がり者として、ヒットラーは、まともに取り合ってもらえないのではないか、いや、それどころか、滑稽に思われるのではないか、という恒常的な恐怖のうちに生きていた。・・・」(E)
3 終わりに
(1)プロローグ
戦勝国国民にとっても、ドイツ国民にとっても、ヒットラーは悪の権化でなければならないわけですが、著者のウルリッヒは、ヒットラー個人は普通の人間であった、ということを明らかにしたところ、ウルリッヒ自身、同じ考えであっても不思議ではないけれど、口にすることは決して許されない考えを、私自身は抱いています。
それは、第一に、ヒットラー個人は普通よりはずっと上等な人間であった、第二に、ヒットラーのとった内政・対外政策は、ヒットラー個人の考えに基づいてというよりは、ヒットラー個人の考えとは大きく異なっていたところの、当時のドイツ国民の大多数の考えに基づいていた、というものです。
(2)ヒットラーは立派な人間だった
前者については、ヒットラーの母親を看取ったブロッホ医師(前出)が、「ヒットラーはゴロツキでもなく、行儀が悪くもなく、きちんとした身なりをしていなかったということもない。「要するにこれらはウソなのだ。青年時代の彼は、静かで、行儀が良く、きちんとした身なりをしていた。彼は、待合室で自分の番が来るまで辛抱強く待っており、番が来ると、普通の14~15歳の男の子のように敬意を示すお辞儀をし、いつも医師に丁寧に感謝の意を表した。・・・彼は背が高くて青白く、年の割には大人びて見えた」」
https://en.wikipedia.org/wiki/Eduard_Bloch
と記しており、これだけでも必要にして十分でしょう。
(3)反ユダヤ主義を含むヒットラーの政策は本意ではなかった
後者については、ヒットラーの犯した最大の犯罪とされるユダヤ人絶滅政策を例にとりましょう。
私は、ヒットラーは、個人としては、ユダヤ人に対し何ら偏見など持っていなかった、と見ています。
まず、既に触れたところの、このユダヤ人たるブロッホ医師に対するヒットラーの優しさです。
また、やはり既出の異母姉のアンジェラに1928年に自分の家政を委ねている(上出)ところ、彼女は、第一次世界大戦後、その時点までウィーンに住んでおり、ユダヤ人学生達のための寄宿舎の管理人をしていたところ、反ユダヤ主義のドイツ系の群衆がその寄宿舎に押し寄せる都度、身体を張り、しばしば、棍棒を振り回して群衆を追っ払い、学生達を救ったという豪傑でした。
https://en.wikipedia.org/wiki/Angela_Hitler 前掲
このような話を、自身がかつてウィーン住民であったヒットラーが知らなかったとは考えにくく、むしろ、そんなことなど全く意に介さなかった、と見るべきでしょう。
ちなみに、アンジェラは、第二次世界大戦後においても、ヒットラーを尊敬し続けており、自分自身もヒットラーもホロコーストについては何も知らされていなかった、とまで主張しているくらいです。(上掲)
恐らく、ヒットラーは、反ユダヤ主義者である気振りすら、肉親の彼女の前で見せなかったのでしょうが、それは、ヒットラーがそもそも反ユダヤ主義者ではなかったことを窺わせるものです。
更に、ナチ高官のヘルマン・ゲーリングの弟のアルベルト(Albert Goring)がユダヤ人や反体制派を何度も助け、危なくなると兄がその都度庇ってやったという話は有名です(コラム#5457)
https://en.wikipedia.org/wiki/Albert_G%C3%B6ring
が、この情報がヒットラーの耳に入っていないことは考えにくいところ、ヒットラーが何ら問題にした形跡はありません。
最後に、「2014年4月5日、エヴァが使っていたとされるブラシから採取された髪の毛を検査した結果、彼女のミトコンドリアDNAはハプログループN1b1(中世初期に中東欧に定住したアシュケナージ系ユダヤ人と強い関連があり、母から子に引き継がれるハプログループ)であることが判明したとイギリスのインデペンデントなどが報じた」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%83%B3#cite_note-3 前掲(英語ウィキペディアには記述なし。)
ところ、ヒットラーが、彼女の祖先の調査等を通じてこのことを知っていた可能性も皆無ではありませんが、知っていて、なおかつ、最後の瞬間に彼女を正式の妻にしたのだとすれば、私の主張は完全に裏付けられることになります。
(4)私のヒットラー論
では、どうして、ヒットラーは、自分自身の考えとは全く異なる政策を掲げ、実行したのでしょうか。
私の仮説的ヒットラー論はこうです。
ヒットラーは、そもそも肉親思いの人間だったが、母親に対して完全なマザコンであったと思われるのです。
その母親を失った時、ヒットラーは、母親に似た(優しくて美しい)女性を求め続けたけれど、早い時期にそれが不可能に近いことを悟ったのではないでしょうか。
そのヒットラーに、この母親への恋情を昇華させる最初の機会を与えたのが第一次世界大戦であった、と見るわけです。
つまり、オーストリア人であったヒットラーは、ドイツ軍に志願することで、ドイツ民族の大義に身を投じる決意を固めた、というわけです。
彼が、一兵士ながら、「伝令兵としての活躍を評価されて2回受勲<す>る」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC 前掲
という活躍をしたことが、その傍証です。
ドイツの敗北について、「ヒトラーは民族主義者や国粋主義者の間で流行した「敗北主義者や反乱者による後方での策動で前線での勝利が阻害された」とする背後からの一突き論を強く信じるようになった。」(上掲)と一般にされていますが、私は、単に、ヒットラーが、それが、ドイツ民族の過半の思いであると受け止めたに過ぎない、と解しています。
その上で、ヒットラーは、ドイツ民族の過半が抱くに至っていたところの、かかる無念さを晴らしてやるために、残りの人生を捧げる決意を改めて固めた、と見るわけです。
銘記すべきは、母親に似た女性が現れれば、そしてそんな女性と結ばれることができれば、ヒットラーは、もはや恋情を昇華させる必要がなくなるのだから、自分の考えとは異なるところの、ドイツ民族の過半の考えなど忘れて一市民に戻ったはずだ、という点です。
ゲリは、肉親思いのヒットラーにとって、ヒットラー一族中ではミュンヘン大学医学部への入学を果たすという知力の傑出した女性だっただけに、激しく心を動かされたのでしょうが、優しさと美しさにおいて、亡き母親には及ばなかったために、ゲリの思いをヒットラーは受け入れることができず、彼女を自殺に追いやってしまうのです。
エヴァは、知力は凡庸だったけれど、優しくはあったのかもしれず、また、美人であったと言ってよいでしょうが、母親似の美人ではなく、かろうじて目の色だけは母親そっくりであったことから、ヒットラーは、彼女を性欲のはけ口とし、そのような扱いに懊悩した彼女に自殺未遂を起こされたりしつつも、その後も情婦扱いを変えることなく、最後に、形だけ結婚して彼女の恩義に報いた、といったところでしょう。
(5)エピローグ
ヒットラーの自殺は、ドイツ民族が戦間期から第二次世界大戦の終わりまでに犯した未曽有の侵略や人道上の犯罪の責任を一身で引き受けることによって、ドイツ民族を免責させる、という目的で行った、戦略的営為であった、と言っていいでしょう。
結局、第一次世界大戦に志願した時から自殺まで、ヒットラーの後半生は、母親への恋情を昇華させるために、自分の考えに反した、野蛮なドイツ民族過半の考えの遂行に全力を尽くすという究極の自己犠牲で貫かれたものであった、というのが私の結論です。
(完)
ナチスの原点(II部)(その7)
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