太田述正コラム#8354(2016.4.23)
<全て失敗に終わった米国のポスト冷戦期外国体制変革努力(その1)>(2016.8.24公開)
1 始めに
 本日のディスカッションで予告した、表記に係る書評
https://www.washingtonpost.com/news/book-party/wp/2016/04/21/why-america-is-terrible-at-making-the-world-a-better-place/
のさわりをご紹介し、私のコメントを付します。
 なお、書評対象の本は、マイケル・マンデルバウム(Michael Mandelbaum)の『任務失敗–ポスト冷戦期における米国と世界(MISSION FAILURE: America and the World in the Post-Cold War Era)』であり、マンデルバウム([1946年~])は、[エール大卒、オックスフォード大修士(奨学生)]で、「ハーバード大学で博士号取得。ハーバード大学、コロンビア大学、アメリカ海軍兵学校を経て、現在、ジョンズ・ホプキンス大学教授。」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%82%B1%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%AB%E3%83%90%E3%82%A6%E3%83%A0 
https://en.wikipedia.org/wiki/Michael_Mandelbaum ([]内)
という人物です。
2 全て失敗に終わった米国のポスト冷戦期外国体制変革努力
 「・・・クリントン、ジョージ・W・ブッシュ、或いは、バラク・オバマのどの政権下たるかを問わず、ポスト冷戦期の全期間を通じて、米国の対外政策は、他の諸国の国内的諸制度(arrangements)を、改善し、救済し、我々ともっと似た存在にすることを企図し、改変することを狙ったところの、理想主義的善行主義(do-gooderism)の実践(exercise)だった。・・・
 <と記した上で、>マンデルバウムはこう結論付ける。
 「その全てが失敗だった」、と。・・・
 たくさんの、諸率先遂行(initiatives)、諸作戦、諸提案、そして諸戦争でさえだが、その全てがこのような見方に合致するものだった。
 ビル・クリントンが、中共の人権に係る実績と貿易上の諸特権とをリンクさせようと試み(て失敗し)た時、「中共の国内ガバナンスにおける変化を強いる…ことが米国の公式な政策になった」、とマンデルバウムは記す。
 1990年代末のアジア金融諸危機は、米国政府とIMFが舵取りをする形で、韓国、タイ、そして、インドネシアの諸経済システムを作り直すための努力が族生した。
 米国のポスト-ソ連<、すなわち、ロシア>への経済的・政治的関与(engagement)は民主主義と自由諸市場への初期遷移をもたらすかのように見えたものの、ウラディミール・プーチンの盗賊的政治(kleptocracy)への下降がその後に続いた。
 米国の9.11同時多発テロ以降の対テロ戦でさえ、当初こそ「諸理想ではなく諸利害に立脚して」遂行されたものの、すぐに国家建設の実践へと変貌(morph)を遂げた、とマンデルバウムは銘記する。・・・
 マンデルバウム…は、その後の、Isisの興隆の責任さえもブッシュの双肩に負わせる。・・・
 「米国人達は…自分達は世界を改善する召命を付託されていると常に信じてきたのであり、他者達が自分達自身のようにもっとなるよう助ける形でそれを実行することを常に願ってきた」、とマンデルバウムは論陣を張る。
 「米国人達の国が冷戦から巨大な力を持って立ち現れた結果、彼らに、まさにそれを行おうとする空前の機会が与えられた」、と。
 そして、自己満足の不可避的な瞬間において、マンデルバウムは、米国の新しい立場をこのように描写する。
 「安全についての諸懸念から解放され、米国は、対外政策を社会事業(social work)へと転化することが可能となった」、と。・・・
 ・・・<しかし、>マンデルバウムは、北朝鮮とイランの核に係る諸大志、中共の東アジアにおける支配的地位の再主張への欲求、ロシア政府の軍事的冒険主義、のおかげで、社会事業としての対外政策の時代は終わったことを我々に明かしてくれる。
 2014年のロシアのウクライナ侵攻は、「空前の平和的なポスト冷戦期を終わらせ、国際関係と米国の対外政策において、競争、不安全、そして、戦争という古い諸ルーティンを復活させた」、とマンデルバウムは記す。・・・
⇒マンデルバウムは、ポスト冷戦期の終焉を語っているわけですが、ソ連の崩壊による冷戦の終焉が、米国一極覇権時代が到来したとの錯覚を米国人達に与えたかもしれないけれど、冷戦の終焉とは、米ソが、それぞれ、国力の対世界的観点からの相対的減衰を踏まえ、ソ連圏、及び、非ソ連圏の大部分、の覇権国の地位から降りざるをえなくなった結果もたらされたものであった、という総括をすべきだと私は考えており、私見では、そうである以上、我々は、今でもなお、ポスト・ポスト冷戦期ではなく、単なるポスト冷戦期を生きているのです。(太田)
(続く)