太田述正コラム#0397(2004.7.1)
<気候と歴史(その1)>
1 始めに
もう真夏が訪れたような毎日ですね。
毎年、暑さが増しているようで、温室効果による地球温暖化が着実に進行している感があります。
気候は人間の歴史に大きな影響を及ぼしてきました。米国の都市論者(http://www.rut.com/mdavis/aboutMikeDavis.html。7月1日アクセス)のマイク・デービス(Mike Davis)と人類学者のブライアン・フェーガン(Brian Fagan)の著書(注1)から、さわりの部分をご紹介しましょう。
(注1)1:Mike Davis, Late Victorian Holocausts: El Nino, Famines and the Making of the Third World, Verso Books 2000
2:Brian Fagan, The Little Ice Age: How Climate Made History, 1300-1850, Basic Books, 2000
3:Brian Fagan, The Long Summer: How Climate Changed Civilisation, Granta, 2003
2 エルニーニョ
最近の現象のように思われているエルニーニョ(El Nino。エクアドルとペルー沖合の太平洋の温度上昇)ですが、1876年から1902年にかけてのエル・ニーニョは異常気象を引きおこし、恐るべき被害を世界にもたらしました。
この期間中、中国北部、インド亜大陸、そしてブラジル北東部等の南半球は殆ど連続的に干魃、不作、そしてこれに伴う飢饉に苦しみました。インドでは1876年と1878年だけで、700万人の人々が干魃で死亡し、1850年から1900年にかけて、平均的インド亜大陸の人一人あたりの収入は半分に落ち込みました。世界全体では、3000万人から6000万人の人々が餓死したのです。
もっとも、このように多数の死者が出た原因として、エルニーニョによる異常気象だけではなく、これが帝国主義時代であり、英国と欧州の列強によるアジア・アフリカ侵略にともなう過酷な統治(注2)が、これらの地域の経済システムを破壊した、ということも忘れてはならないでしょう。
(注2)過酷な統治とは、英国の自由貿易主義、自由放任主義及び伝統的制度・知識・文化の意図的破壊(http://www.guardian.co.uk/Columnists/Column/0,5673,1228810,00.html。6月1日アクセス)、並びに欧州列強の強権的収奪(コラム#149)である。
第三世界なるものはこのように、エルニーニョによって、20世紀初頭までに作り出されたのです。
(以上、特に断っていない限り、注1の1に係る、http://www.forteantimes.com/review/victorian_holocausts.shtml、http://www.amazon.com/exec/obidos/tg/detail/-/1859843824/104-2213880-0868727?v=glance、http://www.leftturnbooks.com/6000-004.html、及びhttp://www.foreignaffairs.org/20020501fabook8098/mike-davis/late-victorian-holocausts-el-nino-famines-and-the-making-of-the-third-world.html(いずれも6月2日アクセス)による。)
3 小氷河期
約550年続いた暖かく降雨量の多かった中世(中世暖期=Medieval Warm Period)の後、いまだに十分解明されていない原因から、1300年頃から1850年頃まで、世界は低温になりました。フェーガンはこれを小氷河期と名付けています。
中世暖期には、欧州ではバイキングの活動が活発化し、982年頃にグリーンランドを発見し、そこに植民し、更に990年代に北米大陸に到達しました。また、フランスのノルマンディー地方を占拠し、そこから更に1066年にイギリスを征服しました。
それが一転、小氷河期に入ります。1500年までには欧州の気温は中世暖期の最も暖かかった頃に比べて7度も低下しました。
この結果、欧州はまず、1315年から1321年にかけて大飢饉となり、これが英仏百年戦争(1339??1453年)勃発の原因の一つになりました。黒死病(The Black Death=ペスト)が1347??1350年の間に欧州で大流行し、欧州人口の三分の一が死亡した(http://www.insecta-inspecta.com/fleas/bdeath/。7月1日アクセス)のも、人々の体力が落ちていたからです。16世紀を中心に魔女狩りが欧州全域で猖獗をふるったのも、このような環境下で人々が不安と疑心暗鬼にかられるようになったからです。
イギリスを含む欧州北部でも行われていた(ワイン生産のための)葡萄栽培は姿を消してしまいます。(復活したのは20世紀になってからです。)
18世紀頃まで、テームズ川はしばしば冬季に氷結し、ロンドンっ子達はスケートに興じたものです。1693年から1700年の間にスコットランドの高地では人口が三分の一も減り、これが1707年のイギリスとスコットランドの合併(実態はイギリスによる吸収)を必然的なものにしました。
また、1891??1891年のフランス革命の背景には、欧州での1693年の史上最悪の飢饉でフランスが痛めつけられていたところに、1780年代後半から1790年代前半にかけてのエルニーニョによる多雨(冒頭で触れた地域とは影響が逆であることに注意)という異常気象により、貧民の困窮度が極限に達したことがあります。
ちなみに、19世紀に入ってからのアイルランドの大飢饉(コラム#356)は小氷河期がもたらした最後の悲劇でした(注3)。
(注3)この大飢饉をもたらしたもう一つの原因は、1815年にインドネシアのスンバワ(Sumbawa)島のタンボラ(Tambora)火山が大噴火を起こし、粉塵が世界の空を覆って太陽の光が遮られたためだ。この結果1816年は欧州では「夏のない年」と呼ばれた。このように、火山の大噴火があるたびに小氷河期の気温は更に下がった。
(以上、特に断っていない限り、注1の2に係るhttp://www.fredbortz.com/review/LittleIceAge.htm、http://williamcalvin.com/readings/Fagan%201999%20chapter%20on%20LIA.htm、及びhttp://www.islandnet.com/~see/weather/reviews/littleice.htm(いずれも6月30日アクセス)による。)
(続く)