太田述正コラム#0407(2004.7.11)
<参院選(その1)>
1 参院選についての所感
今回の参院選の結果について、日本の新聞は、「改選議席の獲得数で野党が「第1党」となったのは、1989年の社会党(当時)が46議席を獲得し、自民(36議席)を上回った時以来」(http://www.asahi.com/politics/update/0711/017.html。7月12日アクセス)であるとか、「非改選を含めると、自民党は115議席、民主党は82議席となり、両党で参院全体(242議席)の81.4%を占め、2大政党化の流れが参院でも定着した。参院で第1党と第2党の議席占有率が8割を超えたのは、1971年参院選までの自民党と旧社会党以来、33年ぶりのこと」(http://newsflash.nifty.com/news/tp/tp__yomiuri_20040712i103.htm。7月12日アクセス)などと書き立てています。
しかし、私に言わせれば、私が大学を卒業して社会人になった1971年から、或いはベルリンの壁が崩壊した1989年から、基本的に日本の政治は二周或いは一周して元に戻っただけのことです。
かねてから申し上げてきているように、自民党と旧社会党とは、どちらも吉田ドクトリンを信奉し、テーブルの下で癒着しながら、対立を装ってきた間柄でした。これがいわゆる55年体制です。
この55年体制が崩壊するのは、ベルリンの壁の崩壊、すなわち冷戦の終焉に伴い、社会党に代表される日本の左翼がその権威を完全に失墜し、社会党が著しく弱体化したからです。
社会党の退潮の後を埋めたのが自民党の反主流派でした。自民党の反主流派は自民党から別れて独立した党の体裁をとり始めます。初期の例が新進党であり、この最新バージョンが現在の民主党です。
遺憾ながら、かつての自民党と社会党同様、現在の自民党と民主党のいずれも吉田ドクトリンの呪縛から抜けきっておらず、現在の政治状況は55年体制の焼き直しに他なりません(注1)。
(注1)卑近な例をあげれば、三年前の参院選では、防衛庁関係者が四名(比例区:自民現職。自由現職、民主新人(私)。地方区:自民現職)立候補して三名が落選(比例区の自由現職のみ当選)し、今回の参院選では、同じく防衛庁関係者が三名(自民現職、自民新人、自民新人。いずれも比例区)立候補して全員が落選した。しかも今回は、野党側(民主党)からの立候補者はゼロだった。もとより候補者の側の問題もあるが、自民党も民主党もいかに防衛庁関係者を冷遇しているかということだ。
しかも、55年体制の頃に比べて、日本の政治の閉塞状況は一層甚だしくなっています。
というのは、かつての自民党内では主流派に反主流派が取って代わることがありましたが、1989年以降、自民党は10ヶ月間を除いて、政権政党であり続けているからです。しかも自民党は最近ではカルト的宗教団体の政治部門である公明党と野合するという禁じ手まで犯して政権にしがみついています。
長期にわたる権力の独占は必ず「腐敗」をもたらします。それが症状となって現れているのが官僚機構の疲弊です。年金問題をきっかけに明らかになった厚生労働省の恐るべき職務怠慢ぶりはその一例に過ぎません。
ですから、好むと好まざるとにかかわらず、民主党に政権をとってもらわなければならないのです。(かつての社会党のように万年野党でとどまる意義も必然性も民主党にはないことはご承知の通りです。)
それなのに、「参院選で投票率が60%を切ったのは5回連続で、これまでで4番目に低い」http://www.nikkei.co.jp/news/main/20040712AT3K1200312072004.html。7月12日アクセス)という有様であり、日本の有権者の多数はいまだ覚醒していないのが現状です。
その最大の責任は民主党自身にあります。
改めて私は、民主党が政権を奪取するためには、吉田ドクトリンの克服を最優先課題としなければならない、と訴えたいのです。
吉田ドクトリンの克服とは、戦略的視点を持って日本が抱える根本的な問題に積極的に取り組む、ということです。
すなわち、年金問題そのものよりも、その根っこにある問題である少子化や赤字財政の問題に正面から取り組むということであり、自衛隊のイラク派遣問題そのものよりも、その根っこにある集団的自衛権等の憲法問題に正面から取り組むということです。
(続く)