太田述正コラム#8473(2016.7.8)
<入院「バカンス紀行」(その7)>(2016.10.22公開)
 この日午後、残尿検知器で調べると相当残尿があるというので、前日に一旦抜いた膀胱留置カテーテルが再装着されました。
 このカテーテル、1回目の装着の際には、感覚の錯覚で、理論上、残尿は常にゼロのはずなのに、強い尿意を催し続け、往生しました。
 辛いので抜いてくれ、と頼んだのですが、「やがて慣れる」といった答えが返ってきて、相手にされませんでした。
 また、清拭の際に、看護婦2人で行うところ、どうしてもカテーテルに触ってしまい、そんな時には、痛みで「ギャー」という悲鳴が出そうになるのを必死に堪えたものです。
 二度目の装着の時点では、やはり、慣れたということなのか、尿意を催すことはなくなっていましたが・・。
 夕刻、オフ会常連の、医師である読者のお見舞いを受けました。
[2016.6.18]
 この日、ついに、スマホからの投稿(さしあたり太田掲示板)に成功しました。
 最初のうちは、無聊を慰めるためには、TVを視聴することが多かったのですが、カネがかかるのと、目も使わなければならない分、疲れるので、スマホをいじくり始めたこともあり、次第にTVの視聴の頻度や長さは減っていきました。
 それでも、入院期間中に、プリペイドカードを6枚使いましたね。
 〆て6000円で、30時間視聴したことになります。
 スマホで(Radikoで)ラジオを聴いたりYoutubeを聴いたりするのは、横になって目をつぶっておられるのが最大のメリットであり、Youtubeについては、元々パソコンで毎日のようにアクセスしていたとはいえ、自動選定される私のお気に入り演奏/歌唱群がパソコンのそれとは(スマホでは、買った当座、自宅の風呂場のオーディオシステムを試すために、脱衣場(洗面所)で何回かYoutubeにアクセスしただけなので)、かなり異っており、久しぶりにヴァイオリニストの川井郁子(1968年~)の映像にアクセスしたところ、彼女が離婚・・2005年11月結婚、2013年3月離婚・・していて女の子を一人で育てていることを知って驚きました。
 今、改めて調べてみて、飛び切り美人の彼女、もともと、(大学教授職のほか、)女優としても活躍してきたこと、作曲家でもあること、慈善活動を積極的に行っている
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E4%BA%95%E9%83%81%E5%AD%90
こと、も知りました。
 八面六臂の活躍、と言うべきでしょう。
 私は、退院後、急速に体調が改善しつつあるとは言っても、まだまだ、疲れ易いこともあって、「一人題名のない音楽会」の再開には至っていませんが、いずれ再開した暁には、再度、川井を取り上げてみたいと思っています。
 なお、どういうわけか、Julia Fischerの名前はすぐ思い出しつつ、庄司紗矢香の名前を思い出すのに数日もかかってしまいました。
 14日の深夜に救急車を呼んだ時には、(オペレーターに、固定電話からかけているので分かっていたくせにあえて)住所を聞かれて答えられなかったのは痛みのためだとしても、入院後も、見舞客と話していて大森駅の「大森」がすぐ出てこなかったりしたのは、体力の低下や投薬によって、アタマの機能もかなり低下していた、ということなのでしょうね。
 私は、ラジオは、もともと殆ど聴いたことがなかったのですが、ニュース評論など、部分的にはTVの水準を抜いているものがあること、放送中止の時間帯が全くないわけではないが、夜通し運転を続けるトラック運転手、等を対象に、基本的に24時間ぶっ続けに放送をしていること、など、興味深いものがありました。
 永六輔がパーソナリティを務めていた番組の後継番組の最終回で、彼が、自宅で寝たきりで意識も混濁しているらしいこと、彼と親しい黒柳徹子が登場したことが、特に記憶に残っています。
 (それにしても、永六輔や大橋巨泉、はたまた、現在、東京都知事選に色気たっぷりの石田純一、そして吉永小百合等、戦後日本の超有名芸能人達に吉田ドクトリン墨守を唱える巫女的人物が多いのは、残念であり、彼(彼女)らを恥ずかしく思います。)
 
 この日の午後、入院してから4日目にして初めて便意を催し、看護婦がちりとりのような便器を私のお尻の下に突っ込み、排便後、看護婦を呼んだところ、2人がかりで、「ちりとり」を撤去するとともに、私の尻をきれいに拭いてくれました。
 この頃までは、おむつをさせられていたのですが、さすがにおむつに排便するのには抵抗があり、結局行いませんでしたね。
 排便介助といい、膀胱留置カテーテルの脱着といい、清拭といい、やってくれたのは、たまたま女性ばかりだったけれど、全く羞恥心を感じなかったのは、不思議と言えば不思議です。
 この日は、東京オフ会幹事団の1人からお見舞いの電話がありました。
(続く)