太田述正コラム#8475(2016.7.9)
<入院「バカンス紀行」(その8)>(2016.10.23公開)
[2016.6.19]
午前中に、これまでより少し、安いベッドに替えますと言われ、横づけにされたベッドに、ICU以来使用してきたベッドから移らされました。
この日は、本来、東京オフ会の開催される予定の日でしたが、夕刻、昨日見舞い電話があった人とは違う、もう一人の東京オフ会幹事団の一員のお見舞いを受けました。
[2016.6.20]
午前中に造影CT検査を受けましたが、今回は、ベッドごとの移動ではなく、車椅子に乗せられての移動でした。
また、この日から、立ち上がってのリハビリが開始されました。
午後には、スタンフォード時代の友人3人揃ってのお見舞いを受けました。
(うち1人は、お見舞い電報と電話をくれていた人物です。)
看護婦が、それから余り時間を置かずにやってきたのですが、この3人に長居をしないように申し渡したのにはいささか奇異な感を受けました。
というのも、連続3回にわたったところの、近傍に住む読者一家や、読者(2人)の見舞いを受けた際には、そんな申し渡しはなかったからです。
(その後の見舞客は、一般病棟に移ってからだったので、話は別です。)
この申し渡しが妥当であったかどうかはともかく、私の担当をした歴代の看護師達が、私への見舞客を記録し、それぞれの私との関係の緊密度を(正しく)評価していたのかもしれない、という考えがちらっと頭をかすめました。
ま、いくらなんでも、私の考え過ぎなのでしょうが・・。
この日、関西の一読者から、お見舞いのショートメッセージが私のスマホに届きました。
そして、夜、主治医の神原医師が、造影CT検査の時の「写真」のコピー1枚を私に手交し、経過は順調である、と教えてくれました。
[2016.6.21}
朝、神原医師が看護婦と一緒にやってきて、医師と看護婦とで手分けして、私の点滴を3本全部抜いてくれました。
午後、入院してから2度目の排便を、今度は、ベッド脇に置かれた簡易便器に座って行いました。
[2016.6.22]
この日、目出度く、HCUから、同じ6階ですが、一般病棟に移りました。
一般病棟では、同室の患者達に迷惑になるので、TVやスマホで音を出す際は、イヤホンを使用する必要があります。
そこで、看護婦に売店で300円の長いコードのモノラル・イヤホンを買ってきてもらいました。
しかし、患者と医師・看護師等や家族・見舞客との会話は筒抜けで、大変うるさいので、何だかオカシイ気がしましたね。
また、この日は、4人部屋に3人既に入っており、私は窓のない側に配置されたので、大変息苦しい思いがしました。
そして、この部屋の共用トイレで、3度目の排便を行い、これでもって、小の方はまだですが、大の方は、「正常化」したことになります。
[2016.6.23]
昨日、3人の同室患者全員が本日退院・・うち1人は転院・・することが、それぞれから聞こえてくる会話から分かっていたので、朝、看護師に、窓際に移りたいと申し出たところ、午後、ベッドごと移動する形で、私のこの願いを実現してくれました。
今度の位置からは、なかなかの眺望であり、左手には、池上本門寺(注16)の五重塔と大堂、その右手には、てっぺんが区立公園であるところの尾根・・その尾根の向こう側、ちょっと下ったところにわが家がある・・、最右手には、遠く東京スカイツリー、そして、東京タワー、が見えるのです。
(注16)「弘安5年(1282年)・・・病身の日蓮は身延山を出て、・・・武蔵国池上郷(東京都大田区池上)の池上宗仲の館に到着。生涯最後の20数日間を過ごすこととなる。<その折>、池上氏館の背後の山上に建立された一宇を日蓮が開堂供養し、長栄山本門寺と命名したのが池上本門寺の起源という。
・・・日蓮が没すると、池上宗仲は法華経の字数(69,384)に合わせて六万九千三八四坪を寺領として寄進し寺院の基礎が築かれ、以来「池上本門寺」と呼びならわされている。・・・
本門寺は、鎌倉・室町時代を通じて関東武士の庇護を受け、近世に入ってからも加藤清正や紀伊徳川家等諸侯の祈願寺となり栄えた。
江戸時代、不受不施派を奉ずる本門寺は、身池対論を経て久遠寺の傘下に収まった。・・・<現在は>日蓮宗の大本山。・・・
第二次世界大戦の空襲によって五重塔、総門、経蔵、宝塔を除く堂宇を焼失したが、戦後順次復興した。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%A0%E4%B8%8A%E6%9C%AC%E9%96%80%E5%AF%BA
不受不施派
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E5%8F%97%E4%B8%8D%E6%96%BD%E6%B4%BE
身池対論
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BA%AB%E6%B1%A0%E5%AF%BE%E8%AB%96
「久遠寺(くおんじ)は、山梨県南巨摩郡身延町にある、日蓮宗の総本山(祖山)。山号は身延山。・・・<日蓮の>遺骨は身延山に祀られ<ている。>」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%85%E9%81%A0%E5%AF%BA
夜の眺望も、明け方や夕方の眺望も乙なものです。
次第に、スマホの音楽や番組をイヤホンで聞きながら、ぼんやりとこの眺望を見やる時間が増えて行きました。
で、2~3日経った時点で、こりゃ、まさに、欧州型のバカンスであるな、と思い至った次第。
夕刻、近傍に住む読者一家の奥様が、私の依頼していた家事を行うために来訪され、私から、家事・・ピアノ部屋の除湿器の水の廃棄・・が終わったら、鍵は郵便受けに入れておいてください、と申し上げたのですが、後で鍵を返しにまた病院に来られました。
(御主人が自動車も自転車も使えない状態なのであるところ、)自分は自転車で来たとおっしゃるので、同家の過去3回の来訪中、最初の2回はタクシーで御足労いただいたのかも、と(口には出しませんでしたが心の中で)恐縮することしきりでした。
(続く)
入院「バカンス紀行」(その8)
- 公開日: