太田述正コラム#0411(2004.7.15)
<トラディショナリズム(その2)>
(2)トラディショナリズムの淵源
セッジウィックによれば、トラディショナリズムの淵源は、15世紀のイタリアに始まったペレニアリズム(Perennialism)、17世紀のイギリスとスコットランドに始まったフリーメーソン(Freemasonry)、18世紀ないし19世紀に始まった欧米のヴェーダ(Vedanta)哲学ないしヒンドゥー教に対する関心、の三つです。
ヴェーダ哲学ないしヒンドゥー教に対する関心の高まりは、英国のインド統治により、ヴェーダ哲学ないしヒンドゥー教が詳細に欧米に紹介されたことが契機になりました。
フリーメースンについても、それが非キリスト教的志向を持つことは否めません。フリーメースンは「古の宗教、修道会、セクト、カルト、オカルト、騎士的同志愛、の儀式と装飾、を採用」しているからです。世界で500万人に達すると言われるフリーメースン会員の大部分はプロテスタントの白人ですが、カトリックも正教も、プロテスタントの殆どの宗派もフリーメースンを異端視していることは覚えておいていいでしょう。(http://religion-cults.com/Secret/Freemasonry/Freemasonry.htm。7月15日アクセス)
また、ペレニアリズムにも、キリスト教を超える要素があります。
ペレニアリズムついては、殆ど日本では知られていないので、少し詳しく説明しましょう。
その創始者は、ルネッサンスの巨人マルシリオ・フィッチーノ(Marsilio Ficino。1433??1499年。(注1))です(http://www.geocities.co.jp/Technopolis/9716/brbficinus1.html。7月15日アクセス)。
彼は、庇護者たるメディチ家の当主コシモが入手したハーメティシズム(Hermeticism)(注2)文献の一部とプラトンの全著作のギリシャ語からラテン語への翻訳を行い(http://www.renaissanceastrology.com/ficino.html。7月15日アクセス)、前者からはペレニアリズム(Perennialism)の創始者、後者からはプラトン主義(Platonism或いは新プラトン主義(neo-Platonism))の復興者(http://www.newadvent.org/cathen/06067b.htm。7月15日アクセス)と目されることになります。
(注1)フィッチーノはフィレンツェに生まれ、コシモ、その子ピエロ、孫のロレンツォ三代のメディチ家当主の庇護を受けて、フィレンツェのプラトン・アカデミーの院長として活躍した。
(注2)ハーメティシズムとは、ヘルメス・トリスメギストス(ギリシャ語で「三度偉大なるヘルメス」の意味。エジプトの知恵と魔術の神、トホツフ(Thoth)のギリシャ化したもの)から名前をとった精神的、哲学的、神学的、魔術的な営みを指し、ローマ帝国時代のエジプト、アレキサンドリアを中心に一世を風靡した。ハーメティシズムは、当時の地中海世界に存在したプラトン主義、新プラトン主義、ストア派、新ピタゴラス主義、ユダヤ教、初期キリスト教、ゾロアスター教等の影響を受けている。ハーメティシズムの核心は、一神教志向を持った多神教たるところにある。つまり、様々な神々は究極的存在の多面的な現れである、とする。
キリスト教がローマ帝国の国教となると、他の非キリスト教宗派、カルト等とともに弾圧された。(http://www.meta-religion.com/Esoterism/Hermeticism/hermeticism.htm。7月14日アクセス)
フィッチーノの創始したペレニアリズムとは、世界の全ての主要な宗教には先史時代からの共通の形而上学的基礎があり、従って世界の全ての主要な宗教は先験的に(transcendentally)統一されていると見ることができる、という考え方です。この考え方は、ハーメティシズムが古代エジプト時代の営みであるとの誤解を前提に、ハーメティシズム文献中にプラトン的、キリスト教的要素があることから着想を得たものです。
このため、16世紀にハーメティシズム文献が紀元後のものであることが判明すると、ペレニアリズムの権威は一旦失墜します。
しかし、ペレニアリズムの考え方そのものは、忘れられることなく生き続け、19世紀にヴェーダ哲学が欧米に本格的に紹介されると、これこそキリスト教等とヒンドゥー教の「先史時代からの共通の形而上学的基礎」ではないか、とペレニアリズムは再び脚光を浴びるに至るのです。
(続く)