太田述正コラム#8531(2016.8.6)
<マルクスの汚染・堕落>(2016.11.20公開)
1 始めに
 本日のディスカッションで予告したところですが、ガレス・ステドマン=ジョーンズ(Gareth Stedman Jones)の『カール・マルクス–偉大さと幻想(Karl Marx: Greatness and Illusion)』の書評
http://www.ft.com/cms/s/0/04afaf98-57d3-11e6-9f70-badea1b336d4.html
の要点を紹介し、私のコメントを付けました。
 なお、ステドマン=ジョーンズ(1942年~)は、英国のロンドン大メアリー女王校の思想史教授であり、オックスフォード大卒、同大博士で、ケンブリッジ大教授を経て現職、という人物です。
https://en.wikipedia.org/wiki/Gareth_Stedman_Jones
2 マルクスの汚染・堕落
 「・・・マルクスは、ヘーゲル(Hegel)<(コラム#6302、6447、6457、6459、6461、6501、6725、6867、6991、7148、7152、7154、7262、7272、7274、7296、7338、7343、7650、7773、8012、8020、8024(←2013年後半以降のもののみ))>の歴史的諸考察(reflections)を出発点とする、ナポレオン後の世代の若いドイツ人達の産物だった。
 初期マルクスには、唯物主義はもちろん、経済学的なものに対する関心の兆候は殆ど見出せない。
 そうではなく、彼は、哲学の任務は、理性を通じて史的過程それ自体に光を照射することを助けることで、人間を解放することだ、と考えていた。
 キリスト教は破壊されなければならないけれど、それは、マルクスが「至高の神(highest divinity)」と呼んだ「人間的自意識(human self-consciousness)」として、ある意味、再生誕させられる<、という図式だ(?(太田))>。
⇒キリスト教が本来目指した「人間的自意識」の復興・・私の言葉で言う、「人間主義」の復興・・を、理性のみを通じて達成する方法論を確立しようとしたのが、マルクスの思想遍歴の原点である、というわけです。
 そんな方法論は存在しない、存在しえないことを、太田コラム読者達(と最晩年の毛沢東及びそれ以降の中共当局)等は知っているわけですが、それは、後知恵というものです。(太田)
 著者は、マルクスの哲学的アプローチの形成に果たしたところの、古典学、形而上学、そして法学、の重要性を明らかにしている。
 社会科学が彼の関心を惹くのはずっと後のことだ、と。・・・
 マルクスは、その後も大量の読書を続けたが、より大きな集団(collective)の一部であったが故にこそ最も良く栄え(thrive)た、というのに、<その後、孤立化させられ、相互に>疎外され<てしまっ>た人間、という観念へとマルクスを誘うのに最大の貢献をしたところの、ヘーゲル批判者にして思想家たる、ルートヴィヒ・フォイエルバッハ(Ludwig Feuerbach)<(コラム#496、5276、6293、8012)の諸著作>を、とりわけよく読んだ。
⇒(私の言葉で言えば、)人間(じんかん)の連鎖が断ち切られてしまい、孤立化した人間(にんげん)達、という観念を、マルクスは、フォイエルバッハから学んだ、ということです。(太田)
 <マルクスをして、>単一つの偉大な人間社会<になる>未来を想像させ、ヘーゲルの思想の中で極めて有力(potent)であった国家それ自体を完全に重要ではない地位に退け(relegate)させたところのものは、この概念<(観念)>だった。
 この、国家の矮小化(downplaying)の一つの帰結は、マルクスが、彼の資本主義批判の全体を、国家の役割への言及が殆どない形で展開させたことだ。
⇒当時、イギリスの資本主義が、実際、(国内的には、)国家の関与が殆どない形で機能していた、という実態があった、ということも忘れてはならない旨の指摘を以前にも行ったところです。
 なお、ほぼ一貫して人間主義社会であったと言っても過言ではない、日本の、例えば江戸時代をとってみても、国家・・エージェンシー関係の重層構造の上澄み部分・・は、実働政治家/行政官数的に見て極小、換言すれば、国家の関与自体が極小、であったことは興味深いものがあります。
 つまり、マルクスにとって、廃棄の対象であった悪しき資本主義社会も、復興されるべき理想社会も、どちらも、「国家の関与が殆どない」社会だった、というわけです。(太田)
 その挙句(upshot)、1917年<のロシア革命>の後に、ロシア人たるマルクス追従者達が極めて大きな国の政府を運営する運びになった時、彼らは、官僚制のための役割をひねり出す(invent)自由を手にすることとなり、結局、空前絶後の大きな役割を国家が演じるところの、政体を創造するに至るのだ。・・・
⇒かかる、ソ連のスターリン主義社会を、毛沢東は、心底、エセ・マルクス主義社会である、と軽蔑していた、というのが私の見立てです。(太田)
 <ところが、ロンドンでマルクスが出会うこととなった>エンゲルス(Engels)<(コラム#88、471、990、3245、3247、3280、3650、4136、4791、4900、5276、5374、5742、6293、6732、7574、7802、8012、8024、8030、8032、8278、8282、8283)>は、実業家であっただけではなかった。
 彼は、知識人でもあり、経済学に関する彼の初期の諸論文のうちの1つ<(注1)>が、マルクスの関心を、自身の関心としたところの、分野(subject)<、すなわち、経済学、>へと方向付けることとなる。
 (注1)『国民経済学批判大綱』(コラム#8012)のことと思われる。
 「1844年パリで発行された「独仏年誌」に、エンゲルスは、「イギリスにおける労働者階級の状態」と本稿「国民経済学批判大綱」の2稿を発表した。この2つの論文は後にマルクスに大きな影響を及ぼした。「資本論」はこの「国民経済学批判大綱」の発展した形であるとも断言することも出来る。エンゲルスはスミスやリカードの国民経済学(古典派経済学)は、公認された詐欺の完成された体系であり、偽善・矛盾、不道徳の学問であるとも言い切ります。」(典拠:『資本論物語―マルクス経済学の原点をさぐる』(1975年。有斐閣))
http://www.eva.hi-ho.ne.jp/nishikawasan/ak/eng1.htm
https://www.amazon.co.jp/%E8%B3%87%E6%9C%AC%E8%AB%96%E7%89%A9%E8%AA%9E%E2%80%95%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%82%B9%E7%B5%8C%E6%B8%88%E5%AD%A6%E3%81%AE%E5%8E%9F%E7%82%B9%E3%82%92%E3%81%95%E3%81%90%E3%82%8B-1975%E5%B9%B4-%E6%9C%89%E6%96%90%E9%96%A3%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9-%E6%9D%89%E5%8E%9F-%E5%9B%9B%E9%83%8E/dp/B000J9RIKM
 人類を自由に(liberate)するであろうところの、人文主義(humanism)<(注2)>者的追究(inquiry)としてのマルクスの批判の概念は、今や、私的所有権、交易と交換の諸手段、利潤と価値の関係、要するに、経済の科学、の研究に所属する(be attached to)ものとなったのだ。・・・」
 (注2)「ギリシャ・ローマの古典研究によって普遍的教養を身につけるとともに、教会の権威や神中心の中世的世界観のような非人間的重圧から人間を解放し、人間性の再興をめざした精神運動。また、その立場。ルネサンス期にイタリアの商業都市の繁栄を背景にして興り、やがて全ヨーロッパに波及した。代表者は、イタリアのペトラルカ・ボッカチオ、オランダのエラスムス、フランスのビュデ・ラブレー、ドイツのフッテン、英国のトマス=モアら。人本主義。ヒューマニズム。ユマニスム。」
https://kotobank.jp/word/%E4%BA%BA%E6%96%87%E4%B8%BB%E7%BE%A9-82524#E3.83.87.E3.82.B8.E3.82.BF.E3.83.AB.E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.B3.89
⇒エンゲルスによって、マルクスは汚染され、堕落してしまった、エンゲルスとの共著の『共産党宣言』も、エンゲルスの『国民経済学批判大綱』の水増し版である、マルクスの『資本論』もゴミである、とさえ毛沢東は思っていたのではないか、と私は想像を逞しくしているのです。(太田)