太田述正コラム#0413(2004.7.17)
<トラディショナリズム(その4)>

3 後書きに代えて

 (1)ローマ帝国のキリスト教国教化
ローマ帝国におけるキリスト教弾圧は、ネロ(Nero)帝による紀元64年のキリスト教徒迫害から始まり、哲人マルクス・アウレリアス(Marcus Aureliu)帝による165??180年の迫害、更にはディオクレティアヌス(Diocletian)帝による303年の大迫害へと続きます。
ところがコンスタンチヌス(Constantine)帝の時にそれが一転します。コンスタンチヌスは313年にミラノ勅令を発出してキリスト教を公認し、325年にニケーア(Nicea)にキリスト教指導者達を集めて会議(council)を催し、原始キリスト教の反政治的・反権威的色彩を改めたニケーア信条(Nicene Creed)を制定させ(注4)、かつ337年の臨終の際にローマ皇帝として初めて正式にキリスト教の洗礼を受けるのです。

(注4)これは、キリスト教の堕落を意味した。

これに対し、「背教者(Apostate)」ユリアヌス(Julian)帝は、ローマの伝統的宗教を復活させようとしますが363年にペルシャとの戦いで負傷し死亡したため、在位期間はわずか二年ちょっとに終わり、これに失敗します。
その後テオドシウス(Theodosius)帝は380年にキリスト教を国教化し、392年にはキリスト教以外の宗教を禁止します。
(以上、http://www.roman-empire.net/religion/religion.htmlhttp://www.geocities.jp/timeway/kougi-17.htmlhttp://homepage2.nifty.com/jelc-tokyo/nyumon/nyumon28.htmhttp://www.wsu.edu/~dee/ROME/LATE.HTMhttp://myron.sjsu.edu/romeweb/EMPCONT/e210.htm
(いずれも7月17日アクセス)による。)
日本の場合は、神道は多神教以前の汎神論で、仏教は無神論の宗教であり、多神教を中心とする非キリスト教の諸宗教を否定し、一神論たるキリスト教を選択した上記ローマ帝国の場合と比較するのははばかられる面がありますが、日本では大和朝廷が渡来した仏教を国教化した際に神仏習合の形で土着の神道を救った(http://www.usajinguu.com/D_Hassyou/D-1.html。7月16日アクセス)(注5)ことを考えると、ローマ帝国も、ハーメティシズムを援用して多神教等、キリスト教以前の、あるいはキリスト教と併存していた宗教を救う方法があったような気がします。

(注5)ローマ帝国の場合、キリスト教以外の宗教が禁止された392年をもってキリスト教の国教化とする説もある。この発想からすれば、日本での仏教(ただし、神仏習合した仏教)の国教化は江戸時代の寺請(檀家)制度の強制まで待たなければならないことになろう(http://homepage3.nifty.com/54321/nihonbukkyoushi.html。7月17日アクセス)。

 しかし、残念ながらそうはならなかったわけです。
その結果、ギリシャ文明が全地中海世界を包摂したヘレニズム時代は、いわば信教の自由が担保された開放的な時代であったというのに、ローマ帝国が上記のような形でキリスト教を国教化したことによって、単一の宗教が国家権力と結びついていた、ヘレニズム以前の信教の強制を伴う閉鎖的な古代地中海世界がここに復活してしまうのです。
 そして、西欧はカトリック教会の下で、東欧及びロシアは正教会の下で、そして7世紀にはキリスト教の影響の下で生まれたイスラム教の下で、欧州、ロシア、及び中東は爾後それぞれ、抑圧に満ちた悲劇的な歴史を歩むことを運命づけられるのです。

(続く)