太田述正コラム#8561(2016.8.21)
<欧米史の転換点としての17世紀?(その5)>(2016.12.5公開)
「この本の中で、グレイリングは、いささか不整序かもしれないが(if disjointed)、三十年戦争と欧州諸列強間の競争、から、種々の科学的かつ哲学的諸進展まで、そして、イギリス革命から・・・ロック(Locke)<(コラム#90、91、503、517、519、592、812、883、1008、1254、1364、1787、2281、3148、3702、3714、3718、3896、4066、4385、4489、4745、4852、4864、6618、6885、7061、7072、7082、7084、7228、7493、7558、7564、7968)>とホッブス(Hobbes)<(コラム#46、81、88、1575、1699、2812、3321、5998、6258、6445、6909、7232、7712、7802、8173、8474)>まで、17世紀について一般に考えられているところの、広範囲に及ぶ、絵画的描写を提供している。
この元気よき離れ業の核心的焦点は、迷信と魔術によって、そしてまた、公定教派たる(established)カトリック教会の権力によって支配された社会、から、先駆者たる新世代の哲学者達と科学者達のおかげで近代精神(mind)が最終的に目覚める社会、への移行だ。
かかる移行の故に、「17世紀は人類史における極めて特殊な時期であるだけでなく、「人類史の画期(epoch)なのだ」、とグレイリングは主張する。
この近代的知性の公現(epiphany)は、もう一つの進展<、すなわち、王殺しに対する認識の変化という政治的な進展、>と並行して進行する、と。
この時点では、<この本のタイトルであるところの、>『天才の時代』が、本質的にイギリスでの出来事(affair)だったことははっきりしている。
実際、我々は、イギリスが近代へと跳躍した時に、フランスは専制へと後退しつつあった、と<グレイリングに>告げられるのだ。」(C)
⇒基本的に繰り返しになりますが、イギリスは、アングロサクソンの大ブリテン島「侵攻」時点から、『天才の時代』だったのであり、17世紀が下出のように「画期」であったとすれば、それは、かかるアングロサクソン文明を欧州が、フランスから始まって、様々な形で、概ねは誤解、曲解的に、かつ部分的に継受をし始めた点にあるのです。
そして、このアングロサクソン文明は、(イギリスを含む)地理的意味での欧州諸列強の世界進出/侵略とともに、それ以外の地域へも、(やはり、様々な形で、)一方的に押し付けられたり、継受されたりして現在に至っているわけです。
復習を兼ねてアングロサクソン文明のエッセンスを申し上げておきますが、根幹に個人主義・経験主義・自然宗教的なもの・議会主権、があり、経済的には個人主義の系たる資本主義、政治的にはやはり個人主義の系たる自由主義/法の支配、そして、政治経済社会全般にわたって人間主義的なものが補完的に機能している、といったところです。(太田)
「物語を1700年前後から始めるパグデンとは違って、グレイリングは、<それより前の>17世紀こそ、「人類の精神の物語における画期」である、と強調する。
⇒やはり基本的に繰り返しになりますが、パグデンもグレイリングも、ホンネとは違った韜晦した言い回しをしている、ということです。(太田)
しかし、グレイリングは、法と哲学における理性(reason)を、科学と技術における経験論的方法論を、そして、文学と美術における新しい感覚(sensibility)、優越(ascendance)を、進歩とする点においては、パグデン同様、何ら臆することなく(unapologetically)ホイッグ的だ。
今日、貧困、争闘(strife)、そして不正義、によって最も萎れている諸地域は、宗教原理主義を含むところの、前17世紀的メンタリティーが維持されたままの諸地域でもある、と彼は論争をしかける。
グレイリングは、欧米が結局のところ勝利を収め、その思考方法(way of thinking)が「この世界において<現在>起こっている殆ど全ての重要な諸事を駆動している」、と主張することを躊躇しない。」
⇒このあたりは、グレイリングは、イギリス人の過半のホンネを直截的に吐露している、と言っていいでしょう。(太田)
(続く)
欧米史の転換点としての17世紀?(その5)
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