太田述正コラム#8563(2016.8.22)
<欧米史の転換点としての17世紀?(その6)>(2016.12.6公開)
「鋭敏な精神(spirit)、鋭利な散文、そして色の大胆な使用によって、グレイリングは、激しい政治的かつ社会的騒動の季節の中から、瞠目すべき知的革命が生起した、と主張する。
その帰結が、魔術をパージし科学に浸ったところの、「欧州精神」だった。
もっとも、それには、アイザック・ニュートンの錬金術、占星術、そして、数秘術(numerology)<(注12)>を見れば分かるが、古い思考の諸断片が塗(まぶ)されていたが・・。
(注12)「数秘術の創始者は一般的に・・・ピタゴラスと言われている・・・が、その数千年前のギリシャや中国、エジプトやローマでも数秘術が使われていた事を示す証拠が存在している。・・・その思想はプラトンに引き継がれ、数学の発展と共に成熟していく。さらに、西洋占星術やタロット等とも結びつき、ユダヤ教のカバラの書物によって補強され、ルネサンス期には<欧州>で隆盛を極めた。・・・一般的に、生年月日や姓名を数字に置き換えて、ひと桁(11、22、33等は例外の場合有り)になるまで全ての数字を足し、最後に出た数字(数字根)の持つ意味から占う。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%B0%E7%A7%98%E8%A1%93
⇒何が経験科学的解明の対象足りうるか、について、当時、まだ、その境界線が明確ではなかったというだけのことであって、そのことを「古い思考の諸断片が塗(まぶ)されていた」と形容するのは必ずしも妥当とは思いません。(太田)
絶対王政、荘園の農奴制、及び、カトリック教会による真実の諸独占、の朽廃により、議論と発見、非正統と楽観主義の新しい時代が花開き、迷信と超自然を「機能的に片隅(functionally marginal)」に追いやった。
グレイリングは、薔薇十字団員(Rosicrucians)<(注13)>にしてエリザベス1世時代人たるジョン・ディー(John Dee)<(注14)(コラム#5349)>のオカルト主義を描写するが、それは、「近代精神の懐胎期間」の終焉を画するためだけのためだ。
(注13)「中世から存在すると言われる秘密結社。17世紀初頭の<欧州>で初めて広く知られるようになった。・・・錬金術師やカバラ学者が各地を旅行したり知識の交換をしたりする必要から作ったギルドのような組織の1つだとも言われる。・・・
フランセス・イェイツによれば、<この秘密結社が「初めて広く知られるようになった」>背景には薔薇すなわち<イギリス>王家をカトリック、ハプスブルク皇帝家の支配からの救世主として迎え入れようとする大陸諸小国の願望があったという。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%96%94%E8%96%87%E5%8D%81%E5%AD%97%E5%9B%A3
フランセウ・イエイツ(Frances Amelia Yates。1899~1981年)。「イギリスの思想史家。・・・ルネサンス期のネオプラトニズム関連研究をおこなっ<た。>」ロンドン大卒。大英博物館勤務。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%BB%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%82%A4%E3%83%84
(注14)1527~1608/9年。「イギリス・・・の錬金術師、占星術師、数学者。」ケンブリッジ大卒・修士。エリザベス1世のお気に入り。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC
⇒「注13」中に出てくるイェイツの指摘は興味深いですね。
アングロサクソン文明に対する憧憬の念が、少なくとも17世紀初頭までには、欧州に漲っていた様子が窺えます。(太田)
<彼の>この有無を言わさぬ説明ぶりは大いに享受されるべきだ。
グレイリングは、中央欧州を荒廃させたが思考とより広範な文化的創造性における革新の引き金となったところの、三十年戦争・・・から始める。
そこから、ニュートンの他に、我々は、ベーコン(Bacon)、ケプラー(Kepler)、ホッブス、パスカル(Pascal)、デカルト(Descartes)、ボイル(Boyle)、ロック、その他の初期啓蒙時代の鍵となる思想家達(thinkers)・・彼らは(我々がしばしばそれを見出すところの、)単独での仕事を行うだけではなく、交信し合った・・と出会う。
彼らは、有名人達を相互に接触させる知的電話交換台群として奉仕したところの、サミュエル・ハートリブのような博学者によって支援された。
その結果としての、諸観念の交差発酵が偉大なる諸事柄をもたらしたのだ。」(A)
(4)グレイリング批判
「グレイリングの宗教に対する諸ジャブは、だらだらしていて陳腐だし時に間違っている。
彼は、例えば、「近代精神の形成は、神中心的(theocentric)諸態度から世俗的知性の諸思考(reasonings)への移行の機能だ」、と宣明する。
しかし、そうではない。
ニュートン<(注15)>、パスカル<(注16)>、そしてデカルト<(注17)>、は、彼らの諸態度の中心に神を持っていた。」(D)
(注15)「ニュートンは生涯を通じてキリスト教研究にも打ち込んでいた。その結果は、1690年頃に執筆された『ダニエル書と聖ヨハネの黙示録の預言についての研究』と、死後の1728年に刊行された『改訂古代王国年代学』に纏められた。この中でニュートンは、聖書や伝説にある出来事の年代確定に天文学手法を導入しながらキリスト教的歴史観である普遍史をプロテスタント的史観で再構築し、また<聖書中の>「ダニエル書」や「ヨハネの黙示録」を解釈した独自の終末論を展開している。
<彼は、>・・・『プリンキピア』一般注にて宇宙の体系を生み出した至知至能の「唯一者」に触れ、それは万物の主だと述べている。
<また、>ニュートンは、キリスト教研究の中でカトリックを激しく攻撃している。「ヨハネの黙示録」解釈では、神に楯突く側である「大淫婦」を世俗に堕落したローマ教皇だと断罪した。またアタナシウスら正統派教父をも批判し、三位一体説はヒエロニムスによる改竄だと主張し事実上否定している。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%82%B6%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%B3
(注16)「1656年~1657年<に>『プロヴァンシアル』の発表<し、>神の「恩寵」について弁護する論を展開しつつ、イエズス会の(たるんでしまっていた)道徳観を非難した」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%83%91%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%AB
彼は、「理性によって神の実在を決定できないとしても、神が実在することに賭けても失うものは何もないし、むしろ生きることの意味が増す」と主張したが、これをパスカルの賭けと言う。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%81%AE%E8%B3%AD%E3%81%91
(注17)「デカルトは神の存在証明を行<った。>・・・
<ちなみに、>歴史学・文献学に興味を持たず、もっぱら数学・幾何学の研究によって得られた明晰判明さの概念の上にその体系を考えた<結果、>・・・デカルトの哲学体系は人文学系の学問を含まない。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%8D%E3%83%BB%E3%83%87%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%88
⇒「パスカルは、自身が実験物理学者としての側面を持っているからということもあるが、個別の事物事象、個別的な事例への観察から帰納的な思弁を行う哲学者であり・・・同時代(17世紀)の・・・合理主義哲学者ルネ・デカルトが・・・演繹的な証明によって普遍的な概念を確立しようとしていたことと比較して対極的である」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%83%91%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%AB 前掲
という見方もあるようですが、パスカルの物理学への貢献はパスカルの原理くらい
http://eagle-jack.jp/gijyutsu-shiryo/kisochishiki/yuatsu.php (及び上掲)
であるところ、「流体力学<は、>・・・静止状態を扱う流体静力学(fluid statics)と、運動状態を扱う流体動力学 (fluid dynamics) に分かれる<が、>・・・流体静力学のほうは古くから発展した歴史があり、古代ギリシャのアルキメデスがアルキメデスの原理を発見<し、>ブレーズ・パスカルが1653年にパスカルの原理を発見<した>」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%81%E4%BD%93%E5%8A%9B%E5%AD%A6
という歴史、そして、「アルキメデスとその後の学者たちは、この法則が自然科学的な法則であるとは気付かず、数学的な原理であると考えた」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%82%AD%E3%83%A1%E3%83%87%E3%82%B9%E3%81%AE%E5%8E%9F%E7%90%86
という事実、から、パスカルの原理は、科学史的には、広義の(演繹科学たる)数学の歴史の一環に位置づけられるべきであり、経験科学たる、(本来の)物理学上の新発見であるとは言えない、と私自身は考えている次第です。
何が言いたいかというと、ニュートンはアングロサクソン文明下の経験論者(帰納論者)であったのに対し、パスカルやデカルトは、欧州文明下の合理論者(演繹論者)であり、後者2人の「業績」は科学史的にはギリシャ文明の延長に過ぎないのに対し、前者の業績は科学史的にギリシャ文明がついに生み出し得なかった近代科学的業績である、ということです。
その上で、各人の宗教との関わりを考察すれば、ニュートンは、それが史実を描いた書物であるとの(誤った)認識の下、聖書を合理的に解釈しようとした、というわけで、まさに経験論的アプローチをとったのに対し、パスカルやデカルトは、聖書はそっちのけで神について抽象的思惟を行っており、まさに合理論的アプローチをとったわけであり、パスカルやデカルトについては「態度の中心に神を持っていた」と言えても、ニュートンに関してはそうは言えないと思うのです。
よって、本件に関しては、グレイリングも書評子も、どちらも誤っている、というのが私の取りあえずの結論です。(太田)
(続く)
欧米史の転換点としての17世紀?(その6)
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