太田述正コラム#8587(2016.9.3)
<スターリンの死とそれがもたらしたもの(その1)>(2016.12.18公開)
1 始めに
ジョシュア・ルーベンステイン(Joshua Rubenstein)の『スターリンの最期の日々(The Last Days of Stalin)』のさわりを書評類をもとにご紹介し、私のコメントを付します。
A:https://www.theguardian.com/books/2016/aug/18/last-days-of-stalin-joshua-rubinstein-review
(8月19日アクセス(書評)。以下同じ)
B:http://www.standard.co.uk/lifestyle/books/the-last-days-of-stalin-by-joshua-rubenstein-review-a3220546.html
(8月25日アクセス(以下同じ))
C:http://www.irishtimes.com/culture/books/the-last-days-of-stalin-review-dictator-at-the-end-of-the-line-1.2620783
D:http://yourfreedomandours.blogspot.jp/2016/06/booiks-i-have-been-reading-joshua.html
E:http://www.thejc.com/arts/books/160141/review-the-last-days-stalin
F:http://origins.osu.edu/review/dismantling-legacy-last-days-stalin
G:http://www.wsj.com/articles/all-the-dictators-men-1450645690 ←前のシリーズのHと同じ。(両方の本の書評)
なお、ルーベンステインは、ユダヤ系と思しき、米国人たるコロンビア大卒のソ連専門家で、1975~2012年、アムネスティ・インターナショナルの米北東部責任者を務めた、という人物です。英露仏ヘブライ語の使い手。
http://www.college.columbia.edu/cct_archive/nov01/nov01_profile_rubenstein.html
http://joshuarubenstein.com/author/
2 スターリンの死とそれがもたらしたもの
(1)死の直前のスターリン
「この素晴らしい本において、最も肌に粟を生じさせる開示は、死の前に、スターリンは、ロシアの250万人のユダヤ人達をシベリアに大量追放(deportation)することを考慮中だった、という話だ。
史料的証明はできないことを認めつつも、ルーベンステインは、スターリンの「反ユダヤ的キャンペーンは新聞や世論の雰囲気の勢い(momentum)からして、何らかの種類の身の毛のよだつ展開になることが意図されていた可能性は十分ある」、と主張する。」(B)
「スターリンの死の前に、何人かのユダヤ人医師達が陰謀(plot)の一環として逮捕され・・・尋問され、非難された医師達中2名が死んだ。<(注1)>
(注1)医師陰謀事件。「1953年1月13日、9人の高名なユダヤ人医師たちが、<米国>の手先となり政府要人の暗殺を企てたという理由で逮捕された。3月5日にスターリンが死去し、4月3日になって医師団は無実であったとして<存命の者達は>釈放され<た。>」
https://kotobank.jp/word/%E5%8C%BB%E5%B8%AB%E9%99%B0%E8%AC%80%E4%BA%8B%E4%BB%B6-30454
ルーベンステインは、「医師陰謀事件(Doctor’s Plot)は、1930年代末の大粛清(Terror)の記憶を蘇らせるような(harkening back to)、再来たる諸粛清の諸シリーズの初期段階であった可能性がある、と示唆する。
しかし、仮にこれがスターリンの意図であったとして・・そのことを支える明確な証拠はないが・・、それは永久に実現されることはなかった。」(F)
「スターリンが脳卒中で倒れる前の数週間中に、クレムリンの指導者達を殺害しようした、いわゆる「医師陰謀事件」が明るみに出た。
逮捕された者達の過半はユダヤ人達だった。
ルーベンステインは、いかに妄想が支配していたかを生き生きと描写する。
若い母親達はユダヤ人医師達によって処方された場合は、子供達に諸薬を与えるのを拒否した。
<また、>医学諸雑誌は、ユダヤ系の諸名前を持つ医師達を非難し、ユダヤ人精神科医達は、フロイト(Freud)やベルグソン(Bergson)<(注2)(コラム#5249)>の、間違っていてかつ有害な諸理論を実行(perpetrate)した、として告発(charge)された。
(注2)パリに生まれたユダヤ人(父親はユダヤ人、母親はイギリス人とユダヤ人の血が混ざっている)たるアンリ・ベルグソン(1859=1941年)には精神医学的業績はなさそう
https://en.wikipedia.org/wiki/Henri_Bergson
であるのに対し、「<フランクル>は人間の心を客観的に記述することを目的とする行動主義心理学を批判し、その一方で人々の主観的世界にリアルに存在する精神的苦悩の克服のために、実践的な治療法としてロゴセラピーという手法を開発し<た、>・・・心理学者<ならぬ>、精神科医または精神医学者と呼ばれるべき人物である」
http://home.soka.ac.jp/~myamaoka/IH2_Definetion_of_Human1.html
ところ、ルーベンステインか書評子が「ベルグソン」と「フランクル」を混同したのではないかと勘繰ったが、フランクルの活躍は1946年に出版された本からなので、1953年時点でソ連でそれほど知られていたとは考えにくく、自信はない。
ちなみに、ヴィクトール・エミール・フランクル(Viktor Emil Frankl。1905~97年)は、ウィーン生まれのユダヤ人で、神経学者・精神科医であり、強制収容所送りになったが生き残った
https://en.wikipedia.org/wiki/Viktor_Frankl
人物だ。
しかし、スターリンが意識不明で横たわっていて、緊張した医者達がヒルをあてがっていた<(注3)>時、投獄されていた医師の一人の、病理学者のヤコヴ・ラポポート(Yakov Rapoport)は、彼ののところにやってきた、急に態度が慇懃になった尋問者達から意見を求められた。
(注3)「血の凝固を防ぐ力があることから、古来より・・・医療用としても用いられてきた。・・・現在は外科医療用のヒルとして、接合した四肢の端部に大型の無菌化したヒルを付けて血を吸わせ(ヒルは数時間毎に交換)、血管の再生を促す治療法がイギリスを始めとして用いられつつある。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%AB_(%E5%8B%95%E7%89%A9)
専門家達の諸名前を聞かれた時、彼は9人の名前をあげたが、その全員が逮捕されていた。」(E)
(続く)
スターリンの死とそれがもたらしたもの(その1)
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