太田述正コラム#8629(2016.9.24)
<2016.9.24東京オフ会次第>(2017.1.8公開)
一次会に8名出席、二次会の途中から1名出席、という、延べ9人出席の東京オフ会でした。
小雨が時々パラつく湿気の多い気候で、温度はそれほど高くはなかったものの、窓を開け放ったり、窓を閉めて空調機を入れたり、室内環境の確保に苦労した会でした。
恐ろしく長い原稿を用意した「講演」でしたが、三つの話題からなっていたところ、一番最後の話題から始め、最初の話題、二番目の話題をそれぞれ軽く流す形で「講演」を行いました。
2 質疑応答(順不同)(Oは私です。)
A:英対支外交革命とアルコス事件とを結びつける発想はいつ頃思いついたのか。
O:そう前のことではない。
対支外交革命のような愚行を英国政府がしでかした原因を、(前回の「講演」で話したところの、)当時の英政治家達の質の低下だけでは十分説明できない、それなりの合理的な理由もあったはずだ、と、その後、考えていたら、ひらめいたのだ。
A:晩年の政治家の一見異常な言動が、必ずしも耄碌のせいとは限らない、例えば、本日の「講演」で太田さんによって取り上げられたところの、晩年の毛沢東の劉少奇や周恩来への酷薄な仕打ちには、それなりの理由があった、という話とあい通じるところがあるのでは?
O:「晩年」の大英帝国の耄碌・・政治家達の質の低下・・だけでは十分説明できないと考えたわけだから、確かにそうかも。
B:太田さんが、ずっと前に、秀吉の朝鮮出兵は、彼が耄碌したからではなく、対スペイン(含むポルトガル)抑止のためだった、と指摘したことがあるのを思い出した。
O:私自身の説ではなく、ある文部官僚(当時)の説を紹介したものだ。
B:最近、この説と似た説が日本で有力説になりつつあるようだ。
朝鮮出兵は、東アジア全体の安全保障のためだった、というのだ。
C:松元の本を取り上げたシリーズがあんな大長編になったのはどうしてか。
D:それだけ突っ込みどころ満載だったからだろう。
O:それに加えて、大蔵・財務官僚であった松元による、財政金融の話が私には目新しく、面白かったということがある。
財政金融については、戦間期だけではなく、江戸時代(や明治期)まで遡る叙述になる場合もあり、そんな箇所にはとりわけ興味を覚えた。
C:それにしても、太田さんの松元批判は激しい。
O:彼が、(吉田ドクトリン墨守者であることへの遺憾の思いもさることながら、)大蔵・財務官僚であったことに伴う、史観のバイアス・・財政支出増につながる施策に対する生来的懸念等・・に気付いていないようであるところが、私の気に障ったことは確かだ。
D:西安事件についての太田さんの蒋介石自作自演説を、実は私は予想していた。
O:「ディスカッション」の中で、かなり匂わせていたからな。
ポイントは、蒋介石個人、及び、拡大蒋介石一族が、腐敗しきっていたところにある。
(基本的に一族郎党命主義者達であったところの、)支那人たる蒋介石としては、これは、当たり前のことだった。
(毛沢東にせよ、中国共産党にせよ、腐敗していなかったわけだが、こっちの方が異常なことだった。)
この当たり前のことから言えるのは、拡大蒋介石一族が腐敗の原資を得られなくなる可能性が出てきた場合、「家長」たる蒋介石は、新たな原資を得るための方法を死にもの狂いで追求しなければならないのであって、ドイツが日本と手を組んだことで、ドイツから原資を得られなくなる可能性が出てきた以上、蒋介石は、かねてからソ連が強く要請してきていたところの、国共合作/対日戦争を受諾し、爾後はソ連から原資を得ることとする以外に方法がなかったはずだ、ということだ。
その、蒋介石、実は、国共合作も対日戦争もまともに行うつもりなどなかったのであり、ソ連も張学良も、まんまと彼に騙されたわけだ。
これは、支那人である張学良にとっては、とりわけ恥ずかしいことであり、彼が、死ぬまで西安事件について沈黙を貫いた心情は良く分かる。
2016.9.24東京オフ会次第
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