太田述正コラム#0424(2004.7.28)
<悪夢から覚めつつあるドイツ(その3)>

ウ ドイツ人追放
 更に論議を呼んでいるのがドイツ人追放問題に対するドイツ内の動きです。
 先の大戦の終わり近くから戦後(1950年代まで)にかけて、現在ロシアやポーランド領になっているドイツ東部やポーランド、チェコ等から戦火を逃れる形で、或いは戦後処理(ポツダム協定)の結果として、1,500万人ものドイツ人が追放された(注3)のですが、これらの人々及びその子孫200万人がつくっているドイツ追放者連盟(Bund der Vertriebenen=The League of German Expellees)がベルリンの中心部のホロコースト記念館(建設中)の隣に恒久展示場と図書館付きの受難記念碑を建てようとしています。

 (注3)その過程で300万人もの人々が命を落としたほか、数多くの人々が暴行傷害を受け、強姦され、金品を奪われた(コラム#259)。

 これにはシュレーダー政権(連邦政府)こそ消極的ですが、ドイツの三つの州と400以上の地方自治体が賛同し、連盟に資金援助を行っています。
 当然と言うべきか、ポーランド、チェコからはもとより、あのギュンター・グラスからさえ強い非難の声が起きています。
その理由は二つです。一つは、ドイツ人の払った「犠牲」は、彼らが戦争を始めた結果生じたものであり自業自得だというものです。もう一つは、連盟がドイツ人以外の追放者(注4)を含めた全体像を捨象してドイツ人のみに関心を集中させていることです。

(注4)例えば、スターリンによって、ポーランド人がかつての東部ポーランドから西部や旧ドイツ領に追放されたし、タタール人、チェチェン人、ラトビア人、リトアニア人、エストニア人、そして昔からロシア領に住んでいたドイツ人もシベリア等に追放された。

なお、追放に伴う多数の死者についても、先の大戦のような過酷な戦争の際にはしばしば生じる犠牲であり、意図的に殺戮されたわけではないのに対し、ドイツによるユダヤ人等の殺戮は、計画的所行であり、追放者の中にこれに協力した者が多数いた、と連盟による言及がユダヤ人から非難されています(注5)。
 連盟は、かねてよりポーランド、チェコ両政府に、両政府が追放者に対して罪を犯し人権を蹂躙したことを認めるように要求してきました。とりわけ連盟は、1945年当時のチェコスロバキアの大統領がドイツ人の財産権と市民権を奪った諸々の大統領令を発し、それが現在も有効とされていることを問題視してきましたが、記念碑の建設すら近い将来に実現するかどうか微妙な状況です。
(以上、http://www.guardian.co.uk/germany/article/0,2763,1011591,00.html(2003年8月3日アクセス)(前掲)、クリスチャン・サイエンス・モニター前掲、NYプレス前掲、及びhttp://www.forward.com/issues/2003/03.09.12/oped1.edelman.htmlhttp://www.telegraph.co.uk/news/main.jhtml?xml=/news/2003/08/31/wgerm31.xml&sSheet=/news/2003/08/31/ixworld.html(いずれも7月26日アクセス)による。)

 (注5)これらの論理を日本に適用すれば、先の大戦の東アジア・バージョンは、(その前史である日支事変を含め)日本が始めたわけではなく、追放されたのは日本人だけであり、一般市民の殺害については、計画的に行われたのは第731部隊等によって人体実験に供せられたのケース(3,000人強の被害者の一部はスパイやレジスタンス関係者ではない一般市民だった可能性がある)(http://www.lit.osaka-cu.ac.jp/~tsuchiya/vuniv99/exp-lec4.html。7月28日アクセス)だけであり、米国による数十万の日本市民の計画的殺戮とは比較にならないことから、日本が非難されるいわれは「基本的に」ない、と言ってよかろう。

エ ノルマンディ上陸作戦
 ここまで、先の大戦においてドイツ人もまた犠牲者であったことを訴える動きをご紹介してきましたが、そろそろ、先の大戦に係る自国の歴史を肯定的に見る見解、あるいは肯定的要素があるとの見解そのものをご紹介しなければなりますまい。
まずはノルマンディー上陸(D-Day)作戦におけるドイツ側の「英雄」の話です。

(続く)