太田述正コラム#8862(2017.1.19)
<皆さんとディスカッション(続x3227)>
<太田>(ツイッターより)
 「…日本将棋連盟の谷川浩司会長…辞任会見を受け、三浦弘行九段…は「このような(会長辞任という)結論になってしまったのは、とても残念。…」とコメントした。…
 昨年10月…連盟は…調査を始めたが、スマートフォンなどの提出はかなわなかった。
 11月に連盟から委嘱された第三者調査委員会が調査を開始。改めて提出を求め、スマホなど電子機器の提出を受け、記録を調べるなどして、不正行為の証拠はなかったとする報告書をまとめた。 …」
http://mainichi.jp/articles/20170119/k00/00m/040/067000c
 毎日が一番三浦九段に厳しいトーンだね。
 この彼のコメントも不適切だ。
 自分の責任を認めたも同然。
 「文部科学省が…早…大<への>…元…局長…の「天下り」をあっせんした疑いがある問題で、過去にも同様の行為が数十件あったとみられる<が…>、元幹部は在職中に自ら大学側と接触し、再就職の相談をした疑いがある…」
http://mainichi.jp/articles/20170119/k00/00m/040/112000c
 同省同大本人皆アホやん。
<ix0OJs2g>(「たった一人の反乱(避難所)」より)
 <7SS.n7UQクン(コラム#8860)、>ワイも弥生人になりたいンゴオオオオオ!!!!!!!!!
<七氏>(同上)
 次回の講演は、「現代における縄文人と弥生人」で!
<pHny1KJ6>(同上)
 いいね!
⇒もうチョイ絞るか、自分の見解を付すか、典拠を添付するか、してチョーダイ。(太田)
<FsFzq6OH>
 <コラム#8860に転載されたところの、>典拠のない不躾な質問に<コラム#8860で>お答えいただきありがとうございます。
 縄文モードの現代日本でも弥生系日本人への転換の可能性があるとわかり、安心しました。
 私自身も人間主義を身につけた弥生系日本人になれるように日々の修養に努めていこうと思います。
 本当に本当にありがとうございますた。
<62jkuJm2> 
≫なぜなら、平岡公威(三島由紀夫)にとって、恐らく「祖母=”似非公家”(貴族化した武家)」であっただろうこと、祖母(“似非公家”)とだけは二度と暮らしたくないと思っていただろうこと、武家を貴族化させない最適の方法は弥生モードに保つことだからです。≪(コラム#8860。K.K)
≫⇒「華族≒士族」、すなわち、「貴族≒武家」なのですから、そんな発想を公威(三島)が持つワケがありません。≪(コラム#8860。太田)
 これは単に、<K.Kさんが、>「貴族(化)」を、明治維新以前の、武力一切を取り上げられた天皇&公家をイメージしているだけなのでは。
<太田>
 私自身、2000年までは、同様の、「貴族≠武家」イメージを抱いていた(コラム#2200)ところです。
 一体、この誤ったイメージが何に由来するか、ですが、それは、換言すれば、「長袖者」(注)という言葉がいつ生まれたのか、その中に公家が入ったのはいつなのか、ということでしょう。
(注)ちょうしゅう、ながそで。「〔武士が袖くくりして鎧よろいを着るのに対し、常に長袖の衣服を着ていることから〕 公家・医師・神主・僧侶・学者などの称。ちょうしゅう・・・公卿や僧侶をあざけっていう語。 」
https://kotobank.jp/word/%E9%95%B7%E8%A2%96-568532
 「長袖者とは公家や医師、神主、僧、学者といった非戦闘員のことである。」
https://books.google.co.jp/books?id=xrDQBQAAQBAJ&pg=PT14&lpg=PT14&dq=%E9%95%B7%E8%A2%96%E8%80%85&source=bl&ots=igY75iJplf&sig=lLPfjr5KIxwCFS4SBgYj-aYDgWE&hl=ja&sa=X&ved=0ahUKEwjlpKS35MvRAhVDULwKHazlBUcQ6AEIVTAN#v=onepage&q=%E9%95%B7%E8%A2%96%E8%80%85&f=false
 一つの可能性は、武家によって貴族が完全に統制された江戸時代であり、もう一つの可能性は軍事を徹底的に貶めた戦後(江戸時代の観念の復活を含む)ですが、情報をお持ちの方はご教示ください。
 いずれにせよ、三島由紀夫本人ないしその祖母なつ、が抱いていたであろう公家像については、そうではありえないのであって、私が記したように、「貴族≒武家」でしょう。
 とにかく、「貴族≒武家」という点はムッチャ重要なんであって、ここんところを押さえておかないと、私の縄文モード・弥生モード論の本当のところは分からないはずです。
 そもそも、「貴族≒武家」であることを知った瞬間に、私はモード転換論をひねり出したんですからね。
<K.K>
>三島由紀夫本人ないしその祖母なつ、が抱いていたであろう公家像については、そうではありえないのであって、私が記したように、「貴族≒武家」でしょう。
 今、公威(三島)の自死の原因を推測しようとしているわけです。公威(三島)は生後49日から祖母・なつの手で育てられています。当然、幼少期の体験が遠因になる場合もあると私は想定しています。
 そこで、幼少期の公威(三島)にどう写ったかを推察して、その像を大人になってからも引きづった可能性があるといった類の話を書いています。
 2・3歳の子供で、例えば、「祖母>祖父」と認識し、祖母が華族のイメージに結びつき、祖父が士族のイメージに結びつき、結果「華族(祖母)>士族(祖父)」が成立する等あり得るのではないかといった類の話をしているわけです。
 これに対して、太田さんはまた身分制度を説明しているんです。
 コメントになっていないんです。私の文章力や単語の選び方の問題もあるとは思いますが、明らかに、太田さんが一定年齢以上の公威(三島)のみを想定してコメントを書いていることも原因です。
 コメントを返されるのでしたら、太田さんの主張する「そんな発想を公威(三島)が持つワケがありません。」が2・3歳の公威(三島)にも当てはまるかどうか少しでいいですから考えてからコメントしてください。
⇒「昭和12年(1937年)4月、公威が学習院中等科に進み、両親の転居に伴い、夏子のもとを離れる。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%B2%A1%E3%81%AA%E3%81%A4
というのですから、中1のアタマまで公威はなつに育てられたということであり、彼は、彼女と、「華族≒武士」という発想、や、「祖母(華族≒士族)>祖父(平民)」という発想、を共有するに至っていた、と単純に考えるべきでしょう。(太田)
 もしくは、三島由紀夫に倣って、もういっそのこと、「公威(三島)は生まれた時、既に身分制度を理解していた。」等のコメントをしてください。
⇒お釈迦様じゃあるまいし、モチありえませんね。(太田)
 それから、過去において、概ね弥生人の子供が弥生人でした。
 そして、概ね何を司るかも世襲でした。
 結果、家と職業(司るもの)が一体であり続けた場合が多かったわけですよね。
 ところが、明治維新で、終戦で、家と職業(司るもの)の変更・分離が起きましたよね。
 職業の中に、弥生を維持しやすい職業と縄文化しやすい職業がありますよね。
 ですから私は、軍事を放擲した武家と放擲していない武家は同じではなくて、後者の方が縄文化しにくいと思っているわけです。(←ここまですべて太田コラムから学んだことです。)
 そして、軍事を放擲した家で江戸時代の身分を持ち出して人を序列化している人間(祖母・なつ)に対して、「”似非公家”」という単語を使っているわけです。←どうして「””」や「似非」という単語を付けたかが少しは斟酌してくださってもと思いました。
⇒どうしてそんなに自分自身の考えに自信が持てないんです?
 なつは公威に、自分の夫(弥生人化志望者)も自分の子供である公威の父親梓(縄文人への退行者?)も弥生人になり切れなかったが、お前はなるんですよ、と吹き込み、公威は、その期待に応えるべく懸命に努力したものの、結局、それに失敗したと絶望し、自死した、・・これ、あなたの発見ですよ・・でどこがマズイんです?
 (ちなみに、なつ「は、歌舞伎や能、泉鏡花などの小説を好み、後年の公威の小説家および劇作家としての作家的素養を培った」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%B2%A1%E3%81%AA%E3%81%A4
のに対し、公威の父梓は、「1941年・・・1月21日に・・・約3年間単身赴任していた大阪から帰京。相変わらず文学に夢中の息子を叱りつけ、原稿用紙を片っ端からビリビリ破」いた
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%B3%B6%E7%94%B1%E7%B4%80%E5%A4%AB
ような、ど縄文人ぶりをいかんなく発揮している。
 も一つ。公威最晩年のボディビルや自衛隊への接近や自死のど派手な演出は、僕、文武両道中の武の方もちゃんと追求したよ、最後の最後まで、立派な弥生人たるべくあらゆる努力を尽くしたよ、と、あの世のなつに申し開きをするためだった、と解したらどうだろうか。)(太田)
≫⇒私が指摘したことの引用、プラス、「一般的にどうであったかでなく、」、は意味不明です。(以下の私の記述参照)≪(コラム#8860。太田)
 まず元々の書き込みです。
 「祖母・なつは明治以降の価値(軍人・官僚)に重きを置かない公家(華族)気取りでありであったと思います。」
 これに対して、太田さんが、「ここはおかしい。華族≒士族=軍人・官僚、だからです。」と書いておられる。
 まず、祖母・なつは家柄が自慢の人物だったと言うのはいいですよね?
⇒なつは、自分が弥生人であることに強い自負心があった、というのがより正確でしょう。(太田)
 それで、こういう人が明治以降の価値に、江戸時代の身分で対抗しようとすることがあるというのもいいですよね?
⇒なつは、弥生モードの現在でこそ、弥生人の活躍が期待されるのであり、縄文人も積極的に弥生人化を目指して欲しい、と思っていたのでは?(太田)
 それで、太田さんは「華族≒士族」と書くのだけれど、「江戸時代の身分が自慢の人」というのは「華族>士族」と思っている人のことではありませんか?
 ですから、祖母・なつの頭の中では「華族の軍人・官僚>士族の軍人・官僚」なわけです。
⇒なつがそう思っていた可能性は否定しませんが、そうだとしても、それは、単に、華族の弥生人度が士族の弥生人度に比べて一般により高く、だからエライ、という程度の認識だったでしょうね。
 いずれにせよ、より重要なのは、なつが、弥生人>縄文人、という認識だったはずだ、という点ですよ。(太田)
<K.K>
≫⇒!?≪(同上)
 ここは舌たらずでした。
 毛沢東は、毛家の弥生化願望成就は考えませんでした。
 太田さんは、太田家の弥生化願望成就は考えていません。
 この二人は中国・日本の弥生化を追求した/しているわけです。
 もしかすると、公威(三島)も自分の家の弥生化願望成就は考えず、日本の弥生化or弥生維持を、追求した人物だったのかもしれないと仮定した考察を試みようとした次第です。
 (公威(三島)は、成人後、縄文の部分が多くある父・梓に対して人間主義的なわけです。つまり、父の縄文性を受け入れているわけです。
 他の方がこの点をどう解釈されるかわかりませんが、「公威(三島)は平岡家の弥生化願望成就は捨て、他に家を求めたのではないか?」と仮定して考察をしようかなと思った次第です。)
 弥生人の中にも、自分の家の弥生化願望成就は捨て、日本の弥生化願望成就を希求する人物がいたかも/いるかもと想定することは間違えでしょうか?
⇒ここは大事なポイントです。
 仮に、公威が私のような人間主義的な(?)願望成就を希求していたとするならば、文学に打ち込むことは止め、自分の、かかる主張を盛り込んだ、太田コラム的な散文書きに精を出したはずですが、彼はそうしませんでした。
 (雑文的なものこそ、彼は小説執筆のついでに、いくつも書きましたがね・・。)
 彼は、日本のでもなく、平岡家のでもなく、徹頭徹尾、自分自身を弥生化させることにしか関心がなかった結果、弥生人を突き抜けて(?)欧米流のエゴイストとしてその生涯を終えた・・しかもというか、だからこそというか、怯懦にも、一人で逝かず、一人の青年を道連れにし、大勢の青年達の道を誤らせた・・、ということを当時の私は何となく直感した、だから、彼の死は私に何の感慨も催させなかったのだ、というのが私の結論です。(太田)
 太田さんが、脊髄反射的に身分制度に関するコメントを返されていることから判断して、太田さんは既に(特に「弥生化願望成就説」以外の説に対しては)興味を失いつつある問題なのかなと思います。次のことだけは書かせてください。
 公威(三島)の自死の原因に関して、太田さんは、設問を発した時点で「弥生化願望成就説」に傾いておられたのだと思います。
 私としては、「平岡公威(三島由紀夫)が平岡家の弥生化願望成就は捨て、他に家を求め、日本の弥生化願望成就に至り付き、日本の弥生化願望成就(それは太田さんから見れば間違った弥生であったのかもしれませんが)を希求したが、それに絶望し、自死した<、という、>(“日本”弥生化願望成就説)」の可能性もゼロではないかなと思った次第です。
 なぜなら、太田さんが”日本”弥生化願望成就を希求している人物であり、他に居てもおかしくはないかなと思ったからです。
⇒問題提起した時点で、全ての結論を出していたわけではありません。
 あなたを含め、皆さんとの対話の中で、私なりの得心がえられた、ということです。
 どうもありがとう。
 それにしても、三島のように、私より、頭がよく、文才もある日本人達が、私に代わって、私の、日本の弥生化・・正しくは、日本の、弥生・縄文最適バランス実現という形でのモード転換史からの脱却・・願望の成就に向けて活動してくれるようになるのは、一体いつになることやら。
 凡才で文章力もない私による「たった一人の反乱」は、まだまだ続きそうです。(太田)
<山田みらいず>(「たった一人の反乱(避難所)」より)
 「退位、立法形式踏み込まず=論点整理「一代限り」推奨―有識者会議・・・」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170118-00000135-jij-pol
↑おーたんはどう思うかおしえて~。
⇒安倍チャンを始めとする日本の「右」が逆臣ども揃いであることの証明が続いているってだけ。
 付言すりゃ、この逆臣どもが依拠してるのは、宗主国サマがお喜びになる天皇像で、(部分的に明治以降の戦前を引きずっているところの、基本的に)戦後生まれの「革新的」天皇像であるのに対し、野田前首相らの・・もちろん今上天皇のでもある・・は、平安時代から江戸時代までの伝統的、つまりは、「保守的」天皇像だってこと。
 これに関連した話を、つい最近のオフ会でしたんだが、「オフ会次第」シリーズ(未公開)には載っけ忘れたのがあった。
 要するに、マルクス主義(実は人間主義)と親和性があるところの日本の「左」こそ(真正)保守であって、「右」こそ(エセ)革新なんだよね。(太田)
<p5nJ9SCU>(同上)
 「人工知能搭載の「セックスロボット」がリアルすぎると話題・・・」
https://pan-pan.co/detail/37169
 セックスロボットでアメちゃんに負けてしまった。
 今年中に発売されるようだな。
 海の向こうの国は、買春に過度な嫌悪感があるので、ロボットなら問題ないのかも。ww
<太田>
 それでは、その他の記事の紹介です。
 本日は支那がらみのものばかりになりました。
 米国のモーテル等に置いてある聖書も何とかして欲しいもんだ。↓
 「外交部、日本のアパホテルは客室に右翼書籍を置いていることについて・・・」
http://j.people.com.cn/n3/2017/0118/c94474-9168555.html
 ダボスで、習ちゃん、自由貿易の騎手を宣言。
 (何度も言ってるように、自由貿易は強者の論理なのよね。(太田))↓
 Xi Jinping’s Davos Speech Showed the World Has Turned Upside Down–China is looking to position itself as the guarantor of global trade after Donald Trump’s election.・・・
http://europe.newsweek.com/davos-2017-xi-jinping-economy-globalization-protectionism-donald-trump-543993
 それでは、中共官民の日本礼賛(日本文明総体継受)記事群だ。↓
 <定番の、近過去、現在、近未来の日本の礼賛。今までの記事群からのコピペ?↓>
 「・・・中金網は・・・中国では多くの有識者が「日本経済の衰退論」を叫んでいるとしながらも、「中国人はあまりに日本を知らなすぎる」と指摘する記事を掲載した。
 記事はまず、日本を深く理解できている中国人は非常に少ないと指摘し、中国では多くの経済学者が「失われた20年によって日本経済は下り坂を転げ落ちている」などと主張していると紹介。だが、こうした主張は「正確ではない」とし、日本は資源も金属も石油も産出しない国でありながら、「技術」と「管理」を武器に世界の強国に成り上がった国であることを忘れてはならないと論じた。
 続けて、バブル崩壊後の日本の経済成長率が低迷しているのは事実だとしながらも、有望産業で技術力を高め続けてきたと主張。中国人にも広く知られる世界のグローバルメーカーも日本企業が開発した素材や設備がなければ製品づくりもままならないというケースも多いと主張した。
 さらに家電分野など一部の産業で競争が激化し、日本メーカーがその分野で稼げなくなっているのも事実だと主張する一方、日本のメーカーはすでに高い技術力を武器にB2Bなど産業の川上に進出し、その産業における影響力を高めていると指摘。
 また、中国人は日本の工業力の凄さを知らなすぎるとし、中国人が近年誇りに思っているスマホ産業においても「メモリからCPU、バッテリー、ディスプレイパネル、筐体など、多くの部品で日本の技術が採用もしくは日本企業の設備で生産されている」と主張。つまり、日本企業は最終消費者の知らないところで、「多くの産業チェーンの頂点に君臨し、巨額の利益を得ているのだ」と主張している。」
http://news.searchina.net/id/1627301?page=1
 <日本の公用車の礼儀正しさを礼賛。↓>
 「・・・今日頭条はこのほど、日本の消防車が交差点で「周囲の一般車両に対して謝意を示していた」と驚きとともに伝える記事を掲載した。
 記事は、日本国内で撮影された動画を掲載している。この動画には消防車が赤信号で停止せずに交差点に進入しているが、その際に消防車が通り過ぎるのを「青信号でも停止して待っていた一般車両および歩行者」に対して、消防車の乗員が「ご協力ありがとうございました」と呼びかけている。・・・
 記事には中国人ネットユーザーから「さすが日本は文明国だ」、「日本人の礼儀正しさとルールに対する厳格さは世界一だ」といった声が寄せられている。」
http://news.searchina.net/id/1627434?page=1
 <日本の枯山水を絶賛。↓>
 「・・・今日頭条は・・・日本の庭園様式の1つである枯山水の魅力について紹介する記事を掲載した。記事は、「日本に行ったことがある人であれば、日本の庭園に深い印象を抱いていることだろう。明らかな中国の古典的な園林の味わいを帯びているからだ」とした。そのうえで、日本の庭園芸術の最高峰と称される形式に枯山水があると説明している。
 そして、枯山水の起源が13世紀にまで遡り、臨済宗の中興の祖である蘭渓道隆が中国の山水画と江南地方の園林から創意を得た庭園を作り上げたと紹介。それは世俗を脱し、静かで清らかな境地の表現を追求したものであり、石で鯉の滝登りを表現するといった技法を盛んに用いたと伝えた。
 さらにその後、夢窓疎石が白砂で水の流れを表現するといった、「真の意味での最古の枯山水」を作り上げたと説明。これ以後多くの作庭家が出現するようになり、より抽象的な要素を用いて禅宗の境地を表現するようになったと解説した。
 記事は、枯山水の庭園は「万事、万物の最終形態を表現している」とし、「水や花なくば園林にあらず」という中国の庭園とは異なると説明。枯山水を「園林」と理解することは難しいかも知れないが、枯山水という宗教的な庭園からは「世俗的な庭園とは全く異なる美しさ」を感じ取れるとした。そして「注意深く枯山水を感じた時、初めてその真の偉大さに気づくのである」と結んでいる。」
http://news.searchina.net/id/1627439?page=1
 <日本における養子による家業継承を敬意を込めて報じている。↓>
 「・・・好奇心日報は・・・家族による継承を重んじる日本企業の姿勢が養子文化の流行を招いたと論じる記事を掲載した。
 記事は、日本には毎年8万件を超える養子縁組の手続きが行われており、これは世界でトップレベルの件数であると説明。この件数の98%は年齢が20歳から30歳の間にある「成年男子」であり、また、こうした養子を迎え入れる側の大部分は企業のトップであると説明した。
 さらに、こうした養子縁組の目的は「直系の血縁関係はないが、能力はある男性を探し、家族企業を継承させる」ことにあると指摘、この主要な形式は娘の結婚相手を家系に迎え入れる「婿養子」と呼ばれる形式だが、家族企業のなかで、ずば抜けた能力を持つ人物を養子とすることもあると説明した。
 また記事は、数多くの日本企業が婿養子を迎え入れるという方法を採用しているという点を実例を挙げて指摘するほか、日本企業が優れた能力を持つ婿養子を探すことを手助けする仲介企業も誕生していると紹介。能力があり、また「自ら進んで」婿養子になることを希望する若者も少なくないと説明した。
 また、こうした若者が少なくない理由について、一般の企業では出世コースに乗り、企業のトップにまで登り詰めるのは決して簡単なことではないからだと説明。しかし、日本で養子制度が流行しているのは少子高齢化も大きく関係しており、この問題は企業の血脈を存続させるために能力のある養子を探し出すよう日本企業を今後さらに駆り立てるだろうと結論した。」
http://news.searchina.net/id/1627418?page=1
 <ガス抜きを織り込みつつ、武士道を礼賛している。↓>
 「・・・今日頭条は・・・「日本には武士道精神があるが、中国には何があるか」と題して、日中のそれぞれの国を代表する精神を比較した記事を掲載した。
 記事は、世界の大国にはその国ならではの精神があり、米国には思想の自由、ドイツには理性的で勇敢に戦う精神、英国は紳士気質を特徴とした精神があると紹介、そして日本には武士道精神があるとした。
 続けて、「忠誠や名誉のためには犠牲も死も恐れない」という武士道精神が、日本の戦後のめざましい発展の主な要因だったと指摘。「義、勇、仁、礼、誠、名誉、忠義」に表される武士道精神は、国民を正しく導く原動力になると称賛した。しかし、「天皇崇拝」と、失敗を受け入れるのではなく「自殺という形の逃避」をするという2点においては、「致命的な欠点」があると主張した。
 では、中国にはどのような精神があるのだろうか。記事は、中国では儒教、仏教、道教という3つの思想もしくは宗教が国民の精神に及ぼした影響は大きいと分析。儒教の仁義、道教の服従や自然に対する敬意、仏教の慈愛と忍耐が、古代中国の価値観を形成したと論じた。
 そして現代においては、中国共産党の指導のもと、井岡山精神(毛沢東が最初の革命根拠地を建設したところ)、延安精神(抗日革命の根拠地)、長征精神(国民党に敗れて1万2500キロメートルを徒歩で移動したこと)、雷峰精神(人民や党のために奉仕する精神)、さらには、抗SARS精神などの革命精神が唱えられ、「国民全体の民度や道徳基準が向上している」と胸を張った。
 記事では「天下の興亡は匹夫(ヒップ)も責あり」、つまり国の興亡は、指導者だけではなく1人ひとりの国民にもかかっているということわざを引用している」
http://news.searchina.net/id/1627394?page=1
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太田述正コラム#8863(2017.1.19)
<米帝国主義の生誕(その1)>
→非公開