太田述正コラム#8653(2016.10.6)
<またまた啓蒙主義について(その8)>(2017.1.20公開)
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新しく、この本の新書評がガーディアンに載った↓が、ここからの抜粋を本シリーズの最終場面で用いる予定。
G:https://www.theguardian.com/books/2016/oct/05/dream-enlightenment-anthony-gottlieb-review
(10月6日アクセス)
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(5)啓蒙主義哲学者達:総論
「名門の出のデカルトは、「諸機械や全ての諸種類の機械的な奇妙な仕掛け群に魅惑されていた」。
英国で「最も悪漢視された思想家である」ホッブスは、「アリストテレスとスコラ主義に対する長ったらしい攻撃演説」等を書き、学者達や神学者達を攻撃した、怒りっぽい男だった。
「結局のところ、「恐らく、ホッブスの唯物主義(materialism)…が、彼をひどい嫌われ人にしたのだろう」、と著者は記す。
デカルトのように、ホッブスは、自然を機械と見なしたが、「あらゆるものは絶対的に物質的(physical)である」、と主張することで、この観念を更に進めた。
著者は、同様、ホッブスの多く<の見解>をロックとヒュームの諸著作の中にも見出す。
シナゴーグから破門されたスピノザは、「聖書を、文藝批評家と歴史学者の諸道具でもって」最も良く検証されるところの、「それ以外の何物とも同程度にそれぞれの著者達<がいかなる人物達であるか>についてを顕現しているところの、文書群の収集物として取り扱った」。
ロックは、著者によれば、英国流経験主義の諸教え(precepts)を定めた。
著者によれば、その<教えに従ったところの>、後<の時代>における模範<的人物>群は、ジョン・スチュアート・ミル(John Stuart Mill)、バートランド・ラッセル(Bertrand Russell)、そして、A・J・エイヤー(A.J. Ayer)等だ。
フランスの哲学教授のピエール・ベールは、諸彗星は神の諸警告であるという信条等の宗教的諸迷信に反対する主張を行ったが、彼の著作は、宗教的寛容と「いわゆる悪の問題」に焦点をあてていた。
著者は、彼が対象とした人々が、彼らの同時代人達によってどのように尊敬され、或いは、嘲笑され、かつまた、彼らの諸観念がその後の諸世代にどのようにゆっくりと浸透(filter down)していったか、を明らかにする。
啓蒙主義は、宗教的異議申し立ての寛容化、科学的進歩、そして、封建主義の取り壊し、の基盤を構築した、と著者は説得力ある形で主張する。」(C)
⇒このくだり、いちいち注釈を付けるときりがないので、関心ある読者は、ご自分でウィキペディア等にあたってください。(太田)
(6)啓蒙主義哲学者達:各論1–スピノザ
「・・・デカルトとライプニッツは、二人とも、宇宙の均衡をとることに関し、神に依存した。
神なしでは、世界は意味をなさない、とこの二人は信じていた。
この哲学者達の神は、必ずしもキリスト教の神と同じ(identical)ではなかったけれど、慈悲(beneficence)やこの世界の霊妙なる(providential)監督(oversight)、といった、若干の<我々を>安心させるようなお馴染みの諸属性を有していた。・・・
しかし、17世紀のもう一人の革命的思想家であるバールーフ・スピノザは、神の観念について、極めて急進的な諸形で再想像(reconceive)するという、最も遠くまで行った<人物である>ため、彼の名前は危険な無神論の代名詞(byword)になった。
スピノザの組織宗教<たるユダヤ教>との間の揉め事は早い時期から始まっていた。
すなわち、<それは>23歳の時であり、その異端的諸見解故に、アムステルダムのユダヤ人コミュニティから<彼は>破門された。
彼の主著である『エチカ(Ethics)』<(1677年出版)>の中で後に発展させられたところの、その異端<性>は、神の存在を否定するものではなかった。
その代わり、スピノザは、この世界にとって神を極めて枢要なものとしたため、この二つの区別が崩壊してしまったのだ。
この宇宙の中に、一つは物理的、もう一つは神的、であるところの二つの実体群(substances)<(注8)>は存在し得ない、なんとなれば、それは論理的矛盾をもたらす(involve)からだ、とスピノザは主張した。
(注8)「substance は物を構成する実質的内容の質; matter はある空間を占める物体」
http://ejje.weblio.jp/content/substance
<すなわち、>仮に神(God)と自然(Nature)が区別されるものであるとすれば、自然は神が持っていない諸性質(qualities)を持っているということにならざるをえないところ、至上の存在が持っていないものが何かあるという観念は辻褄が合わない、と。
よって、神と自然は、かつて存在したことがある、或いは、今後存在することになる、あらゆるものを構成するところの、存在IBeing)、なる一つのもの(same thing)の単なる二つの諸名前である、ということになる、と。
この汎神論(pantheism)として知られる急進的な観念は、奇妙で逆説的な諸帰結を持っている。
それは、一方では、この宇宙を聖なるものにする(divinize)、つまり、それは、我々自身が神の一部であると言うのだから、まことにもって神を非常に我々の近くに引き寄せるのだ。
その一方で、<このような>内在する(immanent)神は、この世界を監視(watch over)し、諸祈祷を聴き、罪人達(sinners)を処罰する類の神では<ありえ>ない。
このような意味において、スピノザの同時代人達は、彼を無神論者と呼んだのだ。
すなわち、彼は、神を認識不可能(unrecognizable)<な存在>にしたのだ。
聖書は歴史的諸出来事や神性(divinity)の本性(nature)に関する特権的な情報など含んでいない、人間による文書(human document)である、という、多くの哲学者達が確かに信じていたところのもの、を<あえて>声明した点で、彼は、他の哲学者達よりも、はるかに大胆でもあった。
だから、それは、その著者達の諸動機、及び、伝播された諸年月の間に紛れ込んだ諸間違い(errors)、に適切な(due)注意を払いながら読まれるべきである、ということになる。
この、聖書の中の言葉(Scripture)に対する世俗的にして合理的なアプローチは、スピノザを恐らく間違いなく、聖書批判学の父にした。
⇒私は、イギリス人たる知識人が、「近代」の諸徴表中の特定の事柄について、欧州人の1人だけに「父」や「祖」の称号を付与しようとする場合は、いつもの心にもない韜晦ではないか、と疑ってかかることにしています。
少々調べた結果は、やはり、スピノザは聖書批判学の「父」、というか、唯一の「父」・・ではありえませんでした。
というのは、まず第一に、スピノザが著者の指摘のような聖書・・但しユダヤ教の聖書でもある旧約聖書・・を書いたのは、1670年に出版された『神学・政治論(Theological-Political Treatise)』においてであることであり、
http://www.fsmitha.com/h3/spinoza-bible.htm
第二に、ホッブスの主著である『レヴァイアサン(Leviathan)』は聖書批判の書でもあり、その点でも後世に大きな影響を与えたところ、この著作が出版されたのは1650年
https://www.questia.com/library/journal/1G1-281175783/leviathan-and-the-swallowing-of-scripture-the-politics
で、スピノザはホッブスに遅れること20年だからです。
なお、スピノザを理神論者と見るのか無神論者と見るのか、いずれにしても、それらは、キリスト教・・スピノザの場合ユダヤ教なので、ここではアブラハム系宗教ないしは厳格な一神教、と言い換えた方がより精確のでしょうが・・の変形物なのであって、基本的に、アングロサクソン文明と対比されるところの、欧州文明的野蛮の現れの一つである、と私が見ていること(「無神論と神不可知論」シリーズ(コラム#496、497、498)等参照)は、御承知のことと思います。
(続く)
またまた啓蒙主義について(その8)
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