太田述正コラム#8659(2016.10.9)
<またまた啓蒙主義について(その11)>(2017.1.23公開)
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[「ギリシャ文明の東方の思想に及ぼした大きな影響」と「バークリー」(その2)]
今度は、瑜伽行唯識学派(唯識派)とは何だったのかを考えてみよう。
日本語ウィキペディアには次のように書かれている。↓
「中観派<は、>・・・龍樹(・・・Nagarjuna, ナーガールジュナ、150年~250年頃)・・・の著作・・・『中論』・・・によって創始された、・・・
あらゆる事象・概念は、それ自体として自立的・実体的・固定的に存在・成立しているわけではなく、全ては「無自性」(無我・空)であり、「仮名(けみょう)」「仮説・仮設(けせつ)」に過ぎない。こうした事象的・概念的な「相互依存性(相依性)・相互限定性・相対性」に焦点を当てた発想が、・・・中観派が専ら主張するところの「縁起」である。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E8%A6%B3%E6%B4%BE
「<唯識>派は、・・・弥勒(マイトレーヤ[。270~350年頃])を祖とし、無著(アサンガ[。310~390年頃])・世親(ヴァスバンドゥ[。320~400年頃])が教学を大成した。・・・
インド大乗仏教史上、空を説く中観派とともに二大思潮を形成したが、6~7世紀頃から中観派との間によく論争が行われるようになり、一方、教学上の統合の動きもあった」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%91%9C%E4%BC%BD%E8%A1%8C%E5%94%AF%E8%AD%98%E5%AD%A6%E6%B4%BE ([]内も)
しかし、英語ウィキペディアには、「事実上、大乗仏教の、禅を含む、全ての派が、自派の教義諸体系を創造するにあたって、これらの唯識派の諸説明に依拠するようになった」
https://en.wikipedia.org/wiki/Yogachara
とあり、私は、この単純明快な立場を取りたい。
唯識派について、もう少し詳しく紹介しよう。↓
唯識派は、「中観派の「空」思想を受けつぎながらも、とりあえず心の作用は仮に存在するとして、その心のあり方を瑜伽行(ヨーガの行・実践)<・・念的瞑想ではなく、サマタ瞑想だと思われる(太田)・・>でコントロールし、また変化させて悟りを得ようとした・・・
唯識思想では、各個人にとっての世界はその個人の表象(イメージ)に過ぎないと主張し、八種の「識」を仮定(八識説)する。
まず、視覚や聴覚などの感覚も唯識では識であると考える。感覚は5つあると考えられ、それぞれ眼識(げんしき、視覚)・耳識(にしき、聴覚)・鼻識(びしき、嗅覚)・舌識(ぜつしき、味覚)・身識(しんしき、触覚など)と呼ばれる。これは総称して「前五識」と呼ぶ。
その次に意識、つまり自覚的意識が来る。六番目なので「第六意識」と呼ぶことがあるが同じ意味である。また前五識と意識を合わせて六識または現行(げんぎょう)という。 その下に末那識(まなしき)と呼ばれる潜在意識が想定されており、寝てもさめても自分に執着し続ける心であるといわれる。熟睡中は意識の作用は停止するが、その間も末那識は活動し、自己に執着するという。
さらにその下に阿頼耶識(あらやしき・・・)という根本の識があり、この識が前五識・意識・末那識を生み出し、さらに身体を生み出し、他の識と相互作用して我々が「世界」であると思っているものも生み出していると考えられている。
あらゆる諸存在が個人的に構想された識でしかないのならば、それら諸存在は主観的な存在であり客観的存在ではない。それら諸存在は無常であり、時には生滅を繰り返して最終的に過去に消えてしまうであろう。即ち、それら諸存在(色)は「空」であり、実体のないものである(色即是空)。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%AF%E8%AD%98
なんだかややこしいな、と思われるかもしれないが、中観派の龍樹はクシャーナ朝(1世紀から3世紀頃)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%8A%E6%9C%9D 前掲
の人物であり、唯識派の弥勒、無著、世親はいずれもクシャーノ・サーサーン朝(3世紀と4世紀)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%8E%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%B3%E6%9C%9D
の人物であるところ、この両朝が、どちらも、ギリシャ文明の強い影響力下にあったことは前述の通りだ。
私は、この時期に、原始仏教が思弁化することによって、ダルマの中核である念的瞑想がインド亜大陸から失われ、大乗仏教が成立したのは、ギリシャ哲学との対話、対決を余儀なくされ、それに現を抜かしたためである、という仮説を抱くに至っている。
ここで、ギリシャ哲学を代表する、プラトン主義、アリストテレス主義、新プラトン主義について、簡単にまとめておこう。
「プラト<ン(BC427~347)は、>・・・唯一の真なる存在はイデア、つまり普遍にして完全な範型であり、知覚の対象となる個々の物はイデアの不完全な模造であると<し>。・・・弁証法<[問答法]>によって人は・・・最終的には最高の善のイデアに到達できる<、とした>。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%88%E3%83%8B%E3%82%BA%E3%83%A0
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%81%E8%A8%BC%E6%B3%95 ([]内)
「アリストテレス<(BC384~322年)>は、・・・プラトンの・・・イデアが個物から遊離[して、個物に先立っ]て実在するとした考えを批判し<つつ>、・・・エイドス(形相)とヒュレー(質料)の概念を提唱した。・・・
<その上で、>事物が何でできているかが「質料因」、そのものの実体であり本質であるのが「形相因」<とし、>、・・・質料をもたない純粋形相として最高の現実性を備えたものは、「神」(不動の動者)と呼<んだ>。・・・
・・・アリストテレスは<弁証法ではなく、>経験的事象を元に演繹的に真実を導き出す分析論を重視し<、>このような手法<を>論理学として三段論法などの形で体系化<し>た。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%86%E3%83%AC%E3%82%B9
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%88%E3%83%8B%E3%82%BA%E3%83%A0 前掲([]内
「プロティノス<(206?~270年)>によって創始された<新>プラト<ン主義>・・・では・・・プラト<ン主義>が東洋的神秘主義と融合され<た。>」(上掲)
「プロティノス・・・にとってイデアとは、先見的に与えられた完全かつ永遠の実在なのであり・・・その本質は「一なるもの」ということにある。
この・・・「一なるもの」・・・が自ら放射あるいは流出することによって「精神」が、さらに「精神」が流出することによって「霊魂」が生まれる。我々が現実に生きる世界は、この「霊魂」が自ら流出することによって形成されるのである。・・・
「一なるもの」<を>・・・プロティノスは・・・時には神と呼び、時には最高善と呼んでいる。・・・
個人にとってよい生き方とは・・・プロティノスは・・・一者としての神あるいは最高善<を>直感<することだとし、>そのような直感は類希な恍惚・・・「エクスタシス」・・・をもたらす<とした。>」
http://philosophy.hix05.com/Hellenism/hellenism05protinos.html
で、私は、原始仏教が、プラトン主義、アリストテレス主義、新プラトン主義、のそれぞれから、有神論的・一神論的部分を削ぎ落としつつ、刺激を受け、この順序で「発展」して行き、大乗仏教が成立した、と見ることを提唱したい。
このようにして、説一切有部→中観派→唯識派、の順序で「発展」した、と見るわけだ。
説一切有部については、初登場だが、下掲を読んでいただきたい。↓
「当時の最大勢力であった説一切有部・・・では、生成変化する事象の背後に、それを成立せしめるための諸要素として、変化・変質しない独自・固有の相を持った、イデアのごとき形而上的・独立的・自立的な基体・実体・性質・機能としての「法」(ダルマ, dharma)が、様々に想定され、説明されていくようになった(五位七十五法、三世実有・法体恒有)。こうした動きに対して、それが「常見」的執着・堕落に陥る危険性を危惧し、・・・ 批判を加えたのが、<龍樹>である。・・・
こうした「独立した形而上的実体を想定する側」と「それを批判する側」としての、説一切有部と・・・中観派の関係は、プラトン<主義>とアリストテレス<主義>・・・の関係に、例えられたりもする。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E8%A6%B3%E6%B4%BE 前掲
上掲のように「例え」るのではなく、まさに、両者は「プラトン<主義>とアリストテレス<主義>・・・の関係」だった、と私は見るのであり、これに加えて、中観派と唯識派の関係についても、アリストテレス主義と新プラトン主義の関係と見る、ということだ。
釈迦は、念的瞑想の実践、及び、念的瞑想が効果的に行われるような環境・・その中にはサマタ瞑想の実践も含まれる・・の整備、によって人間主義への回帰を図るよう勧めたところ、人間主義という何物かが実在すると論じた説一切有部も、人間主義とは何物でもなく縁起(相互関係性)であると論じた中観派も、人間主義への回帰過程の解析を行った唯識派も、いずれも、不要な思弁を行うことによるところの、釈迦の思想・営為の(中核部分たる念的瞑想の軽視を含む)希釈化であり、それが、結果として、念的瞑想の忘失をもたらしてしまった、と思うのだ。
唯識派に関する英語ウィキペディアが、禅まで唯識派の理論に依拠するようになった、としているのは、瞑想の実践を最重視すると標榜している禅(禅派)すら、念的瞑想を忘失してしまったことへの痛烈な皮肉である、と私は受け止めている。
(アショーカがセイロンに釈迦の思想・営為を伝えることで、念的瞑想を含むところの原始仏教(上座部仏教)が思弁による汚染・堕落を免れたまま東南アジアに伝播し、おかげで念的瞑想の人類からの完全忘失を回避できたことは、まことに幸運だったと言うべきだろう。)
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(続く)
またまた啓蒙主義について(その11)
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