太田述正コラム#8667(2016.10.13)
<またまた啓蒙主義について(その15)>(2017.1.27公開)
(7)啓蒙主義哲学者達:各論2–ヒューム
この本の中で、著者は、彼のお仲間の英国人たる哲学者達である、トマス・ホッブス、ジョン・ロック、そして、デイヴィッド・ヒュームについて、格別の愛情ををもって記している。
⇒生きていた当時は英国人であったバークリーが、ここで除かれているのは、著者ないしこの書評子が、バークリーについてこの3人に比べて低い評価をしているのか、それとも、アイルランドはアングロサクソン文明ではなく欧州文明に属し、アイルランドで生まれ人となったバークリーの思想も欧州文明的である、と考えているからなのか、分かりませんが、私としては、後者だ、と思いたいところです。(太田)
通説たる物語では、デカルトとスピノザが、純粋な演繹的論理を通じて現実(reality)に迫った(come to grips with)のに対し、ロックとヒュームは諸間隔の証拠に価値を置いた、ということになっている。
後の2人の経験主義は、今日まで続いているところの、英国と<欧州>大陸の哲学の間の違いを定義づける、英国独特の類の徳である、としばしばされている。
すなわち、<こちらの>一方は、経験と実験に立脚しない知識に対する懐疑であるのに対し、<あちらの>もう一方は、無制限の推論(ratiocination)に立脚する奇怪な(outlandish)諸理論なのである、と。
著者は、この本を、<このような考えに対する>反対論を基軸して構成しているわけではなく、<このような考えは>事実に若干は立脚していることを示している。
彼が取上げた哲学者達全員の中で、そのお気に入りは、ヒュームのように見える。
ヒュームは、哲学における帰納的・幾何学的理想を拒否する点で、最も徹底していた。
スピノザは、数学の諸真実と同じくらい確かな、世界についての知識を欲したけれど、ヒュームは、これは範疇(category)の誤りであると指摘した。
我々の、世界についての全ての知識は経験に依拠しており、それは絶対ではなく、不確かなもの(contingent)であることを意味する、と。
もちろん、我々は、昨日、かつ、それより前の日々、においてと全く同様に、明日、太陽が東から昇るであろうことを信じている。
しかし、2プラス2が4であることを証明するのと同じ方法で太陽が昇るであろうことを証明することはできない。
「よって、我々の生活を導くものは、理性(reason)ではなく、慣習(custom)なのだ」、とヒュームは結論付けた。
ヒュームの見解では、この世界を疑問でもって取り壊してから、その後、論理でもって再建する、という計画(program)は、失敗を運命付けられているのだ。
そうではなく、我々は、いくら我々がそれを望んでいたとしても、我々のこの世界についての知識は絶対でないことを受容しなければならないのだ。
主観的なものと客観的なもの、すなわち、我々の頭の中で起きることと<その外の>世界の中で起きること、との間の溝を突破する成功疑いなしの(surefire)方法など存在しない。
これは、後の世についても同様にあてはまる。
すなわち、ヒュームは、宗教における死の後の生の約束について、懐疑的であることに吝かではなかった(comfortably skeptical)。
著者は、サミュエル・ジョンソン(Samuel Johnson)<(コラム#225、2901、3754、3941、4197、5216、5748)>の伝記を書いたジェイムズ・ボズウェル(James Boswell)<(注17)(コラム#1259)>が、臨終のヒュームを訪問した時、彼がその諸疑問を正式に取り消してキリスト教を抱懐するのを発見することをどれほど期待していたかの物語を伝える。
(注17)1740~95年。「スコットランド出身の法律家、作家。・・・エディンバラ生まれ、父は裁判官であった。グラスゴー<大>で法律を学んだ(アダム・スミスの教えを受けた)。・・・オランダのライデン大学で<も>学<ぶ。>」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%83%A0%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%82%BA%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%AB
イギリス人のジョンソンは、1755年に「英語辞典」を完成させたことで知られるが、「1763年、30歳年下のジェイムズ・ボズウェルと知り合い、以後交友を結んだ。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%83%B3
しかし、ボズウェルは、ヒュームが、「我々が永遠に存在し続けるはずであるというのは、最も不合理な空想である」、と断言するのを聞いて失望した。
⇒ヒュームの宗教観は、多神教(polytheism)への共感を抱き、カトリシズムや過激プロテスタンティズムに批判的でありつつも、外形的にはスコットランド教会信徒である
https://en.wikipedia.org/wiki/David_Hume
というわけで、私の言う自然宗教の信奉者なのであり、同情(sympathy)・・私の言う人間主義・・の重要性を主張した
https://en.wikipedia.org/wiki/An_Enquiry_Concerning_the_Principles_of_Morals
ことといい、ヒュームがイギリス人の何たるかを熟知した上で、自身、イギリス人化していたことの証である、と考えています。
そんな、ヒュームは、ボズウェル等の同時代のスコットランド人達には無神論者であると映った
https://en.wikipedia.org/wiki/David_Hume 前掲
わけです。(太田)
近代初期の哲学の多くは、今では、我々には、それもまた、不合理な空想の類として衝撃を与える(strike)<代物な>のかもしれない。
しかし、我々は、今なお、これらの思想家達が定式化し、解こうと試みた諸問題と共に生きているのだ。」(B)
(続く)
またまた啓蒙主義について(その15)
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