太田述正コラム#8751(2016.11.24)
<西側文明?(その3)>(2017.3.10公開)
我々は、学問(scholarship)と議論(argumentation)という、自意識過剰な諸伝統を有している。
<だからといって、>我々が一度たりとも聴き入ったことのないスポティファイ(Spotify)<(注4)>の楽曲リストに載っている録音曲群であるかのように、我々がこれらの諸価値へのアクセスを有することで十分だと考えるのは思い違いだ。・・・
(注4)「<スウェーデンの>Spotify ABがヨーロッパを中心にサービスを提供している音楽のストリーミング配信サービスである。」
http://ejje.weblio.jp/content/Spotify
<とまれ、>ギリシャの文化の粋(best)がローマを経由して西欧に渡された、という観念は、中世の間に、次第に常識化した。
実際、このプロセスは名前を持っていた。
それは、「translatio studii」、すなわち、学識(learning)の移転(transfer)、と呼ばれたのだ。・・・
<但し、>何百年にもわたる、イスラム思想におけるアリストテレスの中心性からすれば、イスラム諸文化の中で<も>、彼<、すなわち、ギリシャの文化、>が重要な場所を占めることは請け合いだ<が・・>。・・・
<さて、>エドワード・バーネット・タイラー(Edward Burnett Tylor)<(注5)>が亡くなった年、我々が、<その後?(太田)>西側文明と呼ぶよう教わ<る運びとな?(太田)>ったところのものは、自分自身との、反則やり放題の時間無制限の戦い(death match)を誤って犯すに至ってしまっていた(stumbled into)。
(注5)1832~1917年。「イギリスの人類学者。・・・文化進化研究の先駆者の一人と考えられている・・・宗教の起源に関してアニミズムを提唱した。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%89%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%BC
両親が亡くなり、父の工場経営を引き継ぐ必要から、大学に行かなかったが、体を壊して工場経営も断念している。オックスフォード大図書館館長兼講師を経て、同大初代人類学教授。
https://en.wikipedia.org/wiki/Edward_Burnett_Tylor
すなわち、<第一次世界大戦において、>連合諸国(Allies)と中央同盟諸国(Great Central Powers)は、死体を互いに投げつけ合い、「文明を守る」ために、若者達をかれらの諸死へと行進させていたのだ。
血にまみれた諸戦場や毒ガスで汚染された諸塹壕は、タイラー<が抱いていたところ>の、進化主義的にして進歩主義的な諸希望に衝撃を与え、文明が本当は何を意味するのかについての、アーノルド(Arnold)<(注6)>の最悪の諸恐怖を裏付けた(confirmed)・・・。
(注6)マシュー・アーノルド(Matthew Arnold。1822~88年)。オックスフォード大卒の「イギリスの耽美派詩人の代表であり、文明批評家でもある。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%8E%E3%83%AB%E3%83%89
アーノルドが訴えたことは以下の通り。
「ヴィクトリア朝、とくにその中期はイギリスの歴史において最高の繁栄を実現した時期で、機械工業の進歩や商業の発達、貿易の好調によって市民の生活は物質的余裕を増し安定の感を得てきた。例えば、病院や孤児院や養老院が多くつくられ、救世軍や教会が慈善事業を広く行なったことは、国民の福祉に対する考慮のあらわれで安定感を与えたものである。またガスや電気を使うようになり交通が便利になったことは、市民生活を安易にしたものである。博物館や図書館など文化的公共施設 が一般のためにつくられ、初等、中等の学校が教育法によって数を増し、大学教育が少数者の独占を離れ、新聞や出版社が増えたことは市民の知的関心の高まったことを表している。だがその反面、ヴィクトリア朝の文化は機械的物質的傾向が強くなり、その社会的変化に乗って勢いを得てきた中産階級の心理を表す思想として功利主義、あるいは理性主義が広がった。そして以前にあった理想主義、あるいはロマン主義より強く人心を支配するようになった。この時代イギリス国民は機械を大切にした。機械と科学の進歩によって文明の施設を整え、イギリスの偉大を築き、富と幸福を獲得したと考えた。そしてそれが高まって、ある場合には機械の信仰にまでなった。アーノルドはこのような精神的状況に批判の眼を注いだ。・・・『教養と無秩序』ではイギリス人の俗物性を批判して、無秩序の社会を救うのは教養であると説いた。アーノルドは物質的に栄える時代は精神的に貧困であると考え、機械に対する信仰によって人間の心が機械のとりこになり、やがて物質崇拝に陥ることを懸念した。彼が教養を説いたのは、ここから起こる精神の錯乱を救うためであった。アーノルドは教養の目的を、われわれに関係するすべての問題に関し、世界で考えられ、述べられた最上のものを知ることによって、その知識を通じてわれわれの古くさい考え方や習慣に新鮮な自由な思想の流れを注ぐことによって、われわれ全体の完成を追求することであると述べている。そして教養には二つの動機があり、一つは事物をありのままに見る喜びの追求、もう一つはわれわれの隣人への愛であり、行動、援助、慈悲に対する衝動であり、人間の過ちを除き、人間の混乱をなくし、人間の不幸を少なくしようとする欲求であると述べている。アーノルドの説く教養は、世界で知られた最善を知ろうとする好奇心と共に、人々を幸福にしようとする道徳的、社会的使命感を持っていたのである。さらにアーノルドは、教養は人間の思想と感情とを調和させて人間性の拡大発展をはかる点で宗教に劣らず、人間の内面性の完成を目指す宗教と教養はその目的において一致しており、教養は宗教にとってかわることが出来ると考えた。『教養と無秩序』の無秩序とは、過剰な自由主義による混乱である。19世紀のイギリスは自由を謳歌し、国民には自分の欲するままに振る舞うのを特権であるかのような考える者が多くなった。だからアーノルドは秩序を失う危険に直面していると考えた。さらに個人だけではなく、階級としてもそれぞれに自由を主張していた。アーノルドは当時勢力を得た中産階級を、産業によって金を儲け、統制を嫌って自由な企業を好み、余暇を低俗な娯楽に費やす「俗物」、また貴族階級を、頑固な個人主義者たちで思想や感情に錬磨を知らず、大きな領地を所有して狩猟と野外遊戯に日々を送っている「野蛮人」、そして労働者階級を、物質的必要に迫られて働いている「大衆」と決めつけ、無秩序状態を解決するためにはこれら既成の三つの階級どれかに権威を与えようとしてもどの階級もその日常的自己においてはお互いばらばらであり、相争い無秩序を救うことはできないと考えた。そのためアーノルドは、どの階級にあっても卓越した人間性が彼らをその日常的なものから引き離している、共通に存在する偉大なものを「最上の自己」と呼び、国家の権威にしようと考えた。アーノルドはヨーロッパ文化における二大潮流、すなわちヘレニズムとヘブライニズムの二つの精神を個人において併せ持つならば、教養を達成することができると考えた。彼は、ふつうこの二つの精神は互いに相反するように思われるが、実は人間の精神的訓練の両面である。ヘレニズムは正しい知恵、とくに美を感じる力を獲得して人間的完成に達すること、ヘブライニズムは知識より実行を重んじ、キリストにならって自己を克服し、卑しい感情を逃れることを教える。二つの精神はヨーロッパ文化の形成に絶えず参与してきたものなでどちらを欠いても文化の発展は望めない。そこでヴィクトリア朝の物質的傾向に対してはヘレニズムを強調し、功利的な自由主義に対してはヘブライニズムを教える必要があると述べ、両者を併せ持つことによって人間は完全性に到達できると考えたのである。」
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Oak/2132/3.pdf
⇒私が、かねてから、アングロサクソン文明の恒常性と至上性(但し、日本文明を除く)を指摘してきたことはご存知のとおりですが、最初に結論的に申し上げれば、アーノルドは、恒常状態から堕落しつつあったアングロサクソン文明を回復させなければならないと主張したのに対し、タイラーは、至上のアングロサクソン文明の世界への普及を期し、いかなる文明も基本的に同じ段階を経て至上の文明状態に到達しうる・・より露骨に私の言葉で言えば、イギリス以外も、所定の段階を辿ることで最終的にアングロサクソン文明を継受することができる・・と主張した、と私は受け止めた次第です。
(続く)
西側文明?(その3)
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