太田述正コラム#8773(2016.12.5)
<米リベラル知識人の内省一(その6)>(2017.3.21公開)
 何か似たようなことが米国でも起こった。
 最も恵まれていない米国人達でさえ、彼らは神ご自身の国に住んでいると言い聞かせられていたわけだが、それだけではなく、白人たる米国人達は、どれだけ貧しくかつ無教育であろうと、より黒い肌の人々からなる一階級・・<この黒い肌の連中は>彼らの特権、或いは偉大さへの要求権(claim)を共有していない・・という、彼らより下の集団がいつもいることで慰められる感覚を享受していた。
 <しかし、>ハーヴァード大で教育を受けた黒人たる<オバマ>大統領が出現したことで、このフィクションは維持することがどんどん困難になった。・・・
 <英米>双方において、「我々の国を取り戻す」、というのは、1945年より後において、英米人達が心に描いた世界からの退却を意味している。
 イギリスのナショナリスト達は、栄光ある孤立(Splendid Isolation)<(注7)>・・逆説的にも、ベンジャミン・ディズレーリの下での英外交政策を描写するために作られた言葉・・の現代版を選んだ。
 (注7)「クリミア戦争終結後の・・・19世紀後半<、>・・・<英国>は、強大な経済力と<英>海軍を中心とした軍事力を背景にした等距離外交<・・>非同盟政策<・・>を展開することにより<欧州>の勢力均衡を保っていた。<これを栄光ある孤立と言う。>・・・しかし<米>国やドイツ帝国といった後発国の発展により、1870年代頃から<英国>の圧倒的な軍事的・経済的優位にも翳りが見え始めた。更にドイツを中心とした三国同盟とフランスを中心とする露仏同盟が形成されると、<欧州>の主要国のほとんどがそのいずれかに傾斜するようになり、<英国>の<欧州>外交における孤立が深刻化してきた。そしてボーア戦争で予想に反した苦戦と消耗を強いられた事により、非同盟政策の前提であるヘゲモニー保持に不安の見え始めた<英国>は1902年、<栄光>ある孤立を放棄し、ロシアの南下(南下政策)に対する備えとして、義和団の鎮圧で評価を受け、極東においてロシアと対立の深まりつつあった日本と日英同盟を結ぶことにより孤立は終結することとなる。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%84%E5%85%89%E3%81%82%E3%82%8B%E5%AD%A4%E7%AB%8B
 トランプは、米国第一(America First)<(注8)>にすること、を望んでいる。
 (注8)今年の4月27日に、彼は、「私の外交政策は、他の何物よりも、米国の人々の諸利害、及び、米国の安全保障、を常に第一にするだろう。それは、私が行うあらゆる決定の基礎になるだろう。米国第一は、私の行政府の主要かつ他の全てに優先するテーマになるだろう。」と述べている。」
 ちなみに、米国第一とは、第二次世界大戦前に、「アドルフ・ヒットラーと宥和すべきである、と促したところの、孤立主義、敗北主義、反ユダヤ主義の<米>全国組織の名前」だ。
http://edition.cnn.com/2016/04/27/opinions/trump-america-first-ugly-echoes-dunn/ 第二次世界大戦前の米国第一委員会については、下掲参照。
https://en.wikipedia.org/wiki/America_First_Committee
⇒トランプは、オバマ同様、日本を使ってまでして対独参戦を果たしたローズベルトを軽蔑していて、あえて、この言葉を用いた、と考えたいところです。(太田)
 ブレグジットの英国とトランプの米国は、パックス・アメリカーナと欧州統合の二本柱を取り壊す彼らの願望によって結ばれている。
 ひねくれた形で、これは、英国と米国の間の「特別な関係(special relationship)」の再来、の前兆なのかもしれない。
 歴史は、必ずしも喜劇としてでなく悲喜劇として繰り返す、という事例だ。・・・
 <一体、我々は>どこに向かいつつあるのだろうか。
 欧米の最後の希望はドイツかもしれない。
 この国は、マイケル・ハワードが戦い、私が子供のころに憎んだ国だ。
 アンゲラ・メルケル(Angela Merkel)の、大統領選当選翌日のトランプへのメッセージは、今なお守る価値のあるところの、欧米の諸価値の完璧な表現だった。
 彼女は、米国との緊密な協力を歓迎しつつも、それは、「民主主義、自由、そして、法の尊重と、出自、肌の色、宗教、性別、性的傾向、或いは政治的諸見解いかんに関わらぬ、人間の尊厳への敬意、に立脚していなければならない」、と述べた。
 メルケルは、大西洋憲章(Atlantic Charter)<(注9)>の真の法定相続人として語ったわけだ。
 (注9)「1941年8月9日から12日に行われた大西洋会談において、<米>大統領のフランクリン・<ロ>ーズベルトと、<英>首相のウィンストン・チャーチルによって・・・ニューファンドランド島沖の戦艦プリンス・オブ・ウェールズ上で・・・調印された憲章・・・太平洋戦争開戦前であり、合衆国はまだ枢軸国に対して宣戦布告をしていなかったが、この憲章は戦後の世界構想を述べたものであった。
 8項目からなり、その内容は要約すると以下になる。
1.合衆国と英国の領土拡大意図の否定
2.領土変更における関係国の人民の意思の尊重
3.政府形態を選択する人民の権利
4.自由貿易の拡大
5.経済協力の発展
6.恐怖と欠乏からの自由の必要性(労働基準、経済的向上及び社会保障の確保)
7.航海の自由の必要性
8.一般的安全保障のための仕組みの必要性
 憲章の第3条については、<ロ>ーズベルトとチャーチルの間で見解の相違があった。<ロ>ーズベルトがこの条項が世界各地に適用されると考えたのに対し、チャーチルはナチス・ドイツ占領下の<欧州>に限定されると考えた。つまり、<英国>はアジア・アフリカの植民地にこの原則が適用されるのを拒んでいた。<ロ>ーズベルトも実際には、「大西洋憲章は有色人種のためのものではない。ドイツに主権を奪われた東欧白人国家について述べたものだ」と側近に語った。この憲章に対して植民地支配の否定と有色人種に対する人種差別撤廃を掲げ、日本が提唱したのが大東亜共同宣言である。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%A5%BF%E6%B4%8B%E6%86%B2%E7%AB%A0
⇒この日本語ウィキペディアは良く書けていますね。
 調印が行われたプリンス・オブ・ウェールズが、太平洋戦争勃発から殆ど時を置かずに日本によってマレー半島沖で撃沈されたことは、この憲章のインチキさ、皮相さへの痛撃であった、と言えそうです。(太田)
 ドイツもまた、一度は自国を例外国家だと思った。
 これは、世界大の大災厄の中で終焉を迎えた。
 ドイツ人達は、自分達の教訓を学んだのだ。
 彼らは、もはや、いかなる意味でも例外的であることを欲していない。
 だからこそ、彼らは、統合欧州の中に組み込まれている(embedded)ことにかくもご執心なのだ。
 ドイツ人達が最も欲していないのは、とりわけ軍事的な意味において、他の諸国を指導(lead)することだ。
 このような形は、ドイツの隣人たちもまた望んでいるところなのだ。・・・」
⇒これがジョークでなかったとすれば、ブルマの精神状態を疑わざるをえません。
 あれだけの蛮行を第二次世界大戦中に行ったドイツ国民が、そう簡単にアングロサクソン文明の完全継受ができるはずがないからです。(太田)
(続く)