太田述正コラム#0438(2004.8.11)
<京都・奈良紀行(その4)>
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東大寺の来歴の話が長くなってしまいましたが、大仏(何度も兵火に伴う補修を行っているため、創建時のものより座高が低い)を見学してから、二月堂、三月堂に向かいました。(ちなみに、大仏殿は1709年の再建であり、創建当時のものに比べれば小さくなっていますが、現存する世界最大の木造建築物です。)
三月堂は後方の正堂部分と前方の礼堂と二つの部分からなっており、正堂部分は東大寺の前身である金鐘寺時代の遺構であり、東大寺で一番古い建物です。
三月堂の中の不空羂索観音(注8)は有名です。
(以上、http://www2.inforyoma.or.jp/~chance/kannon/nanakannon.htm及びhttp://www10.ocn.ne.jp/~mk123456/fuk.htmによる。)
(注8)不空羂索観音について:
「観音(観音菩薩)」とは、サンスクリット語でアヴァローキテシュヴァラ。輪廻からの解脱と現世利益をもたらしてくれる菩薩だと思えばよい。観音信仰の源となっている「観音経」では観音菩薩の三十三変化身が説かれており、日本の各地に70種類以上もある三十三カ所観音霊場巡りはこの数字に基づく。
また、中国の「摩訶止観(まかしかん)」という書物の中で、六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天)各界においてそれぞれ衆生を輪廻から解脱させてくれる六つの観音が設定されたが、これにヒントを得て日本で六つの観音が生まれる。地獄界の聖観音、餓鬼界の千手観音、畜生界の馬頭観音、修羅界の十一面観音、人界については真言宗では准胝観音(じゅんていかんのん)、天台宗では不空羂索観音(「羂索」は「けんさく」と読む。かつて「けんじゃく」と教わった記憶がある)、天界の如意輪観音の六つだ。
結局全部で七観音ということになり、やがて七観音信仰が生まれる。ちなみに、聖観音が観音の本来の姿で、後の五つ(六つ)は変化身であり、変化観音という。
不空羂索観音は、額に第三の眼(アジナーチャクラ)があり、鹿皮の衣を着ているとされる。これは、ヒンドゥー教のシヴァ神の特徴と同じ。鹿皮の衣を着ているところから春日大社を氏神とする藤原氏の守護菩薩とみなされたため、藤原氏以外からは多くの信仰を集めるには到らなかった。
東大寺を出てから、その裏手で運転手のNさんがポップコーンで鹿寄せをやってくれましたが、鹿が集まりすぎて息子が逃げまどう騒ぎになりました。
ここで、一旦ホテルに引き揚げました。
そして夕食をおえてから、もう一度同じ運転手さんの観光タクシーで奈良公園に向かいました。
(7)なら燈花会等
ア 始めに
「なら燈花会(とうかえ)」とは聞き慣れないな、と思われる方が多いと思います。
それも道理で、奈良の町おこしのために1999年から始まった行事であり、お盆前の11日間、奈良公園の随所で地面に多数の蝋燭がともされ、幻想的なムードを醸し出します。
イ 猿沢池(二度目)
かなりの人混みですが、蝋燭だけでなく、池の底にも光が見えます。蛍になぞらえているのだとか。
ウ 興福寺(二度目)
ここも燈花会の会場の一つです。
もともと夜は五重塔がライトアップされているのですが、昼間よりも五重塔の造作の細部までよく見え、その雄大さと精巧さに感動しました。
昼間あえて入らずにいた東金堂も参観しました。何体も仏像が並んでいますが、文殊菩薩(注9)像が有名です。
(注9)サンスクリットではマンジシュリー。仏滅後の実在の人物らしいが、普賢菩薩とともに釈迦の脇侍菩薩となった。「三人よれば文殊の知恵」と言われるように智を司る。(http://www.linkclub.or.jp/~pip/ututu/hotoke/monnjyu.html)
エ 東大寺(二度目)
ここは燈花会の会場ではありませんでしたが、ライトアップされた南大門がお目当てです。
左右の仁王(コラム#452)の迫力は大変なものです。昼間は薄暗い中で薄汚れた感じにしか見えないので、夜に訪れた方がはるかにいいのだそうです。
なお、参道右脇の鏡池の中に臨時に設置された鉄製オブジェがライトアップされていました。
オ 平城宮跡
ここは現在の奈良の西北の郊外であり、燈花会とは全く関係ありませんが、運転手さんがライトアップされている、(復元された)朱雀門(かつての平城宮の入り口)に連れて行ってくれました。
平城宮跡については、後でまたふれることにしましょう。
(続く)
http://blog.goo.ne.jp/seigo_goo/e/eda974a7b239209baf2815c1eb53f20d