太田述正コラム#8789(2016.12.13)
<渡正元『巴里籠城日誌』を読む(その9)/私の現在の事情(続x87)>(2017.3.29公開)
「10月6日・・・パリ城を攻囲するプロイセン軍はこの2、3日、14か所に布陣し、全軍50万である。
今、フランス国内に駐留するプロイセン軍を加えると100余万になる。
かくて、プロイセン王はヴェルサイユ城に本陣を構えた。・・・
10月10日・・・プロイセン軍の動静を察するに、<その後更に増えた>60万の兵をもってパリ城の周囲を囲み、強いて攻めもしなければ、また敢えて戦いも求めず、沈着して陣に長く留まるようすを示しており、残って籠城する7市にパリからの援軍が駆けつけるのを断つことに専念する。
すでに攻め落としたストラスブールの砦のように、日夜、要塞を攻撃して徐々にこれを侵略し、その後、続々と落城させる。
諸兵を合わせてパリの本城に迫り、戦わずして人心を委縮させ、ただ手をじっと組んで、限りある食料が城中で払底するのを待つという成り行きである。
また、パリ城内の事情を察すると、市内の防戦兵士は自ら死地に赴いて敵を追い払おうとする勢いもなければ、囲みを破って道を開こうとする気力も乏しい。
ただ固く守るだけである。・・・
10月17日・・・私の知人のレスピオー歩兵中佐は先日の負傷が全快し、再び出陣し、パリ城郭外の東南にある砦の先端に進み、5千の兵とともに前衛として布陣した。
彼は昨日、一文書を私に送ってきた。
それには、自分の陣営に来て敵味方の布陣と土地の形状等の状況を巡察したのち昼食を一緒にしようとあった。
それで、私はこの朝9時、1台の小さな車に乗り、陸軍省の通行証を受け取り、城郭の砲台門を出て、遠く離れた彼の陣営に向かったが、この時、レスピオーは砲台に布陣する兵の指揮を執るため外出していた。
幸い、途中で出会って、直ちに握手をして、分かれた後の無事を祝し、同乗して彼の陣営に着いた時は正午に近かった。
ほどなく昼食に臨んだが、同席者は皆、この軍の諸将、すなわち歩兵隊長、歩兵指揮官、築城官などである。
昼食が終わると、レスピオーは私を陣地先端の前衛砲台に来るよう誘った。
ここから望むとプロイセン軍前衛が眼前にあり、その間の距離はおよそ五町ほどである。
付近の砲台を巡回し、その後また一緒に付近の村落や市中を歩きまわる。
そこから、一つの器械所の6階建ての高い建物に登り、敵味方の布陣を望んでいたとき、後方のイヴリー要塞よりプロイセン軍前衛に向け2、3発砲弾が発射された。
しかし、プロイセン軍は応戦しない。
私はこれらの形状を見終わったのち、元の陣地に戻った。
それから別れを告げ、パリ城郭内に入り、帰宅したのは黄昏時だった。
今日は同行した諸将士の真心のおかげで実に最高の眺望を満喫できた。」(118、122~123、130~131)
⇒ここは、編集者達が、正元が「日本人として普仏戦争の戦場査察をした人物の第一号」であることの証としてしている箇所ですが、私は、この時点で、まだフランス滞在7ヵ月余(3頁より)しか経っていないのに、彼が、フランスの軍人とこれだけの友情をどうやって築き上げたかに興味があります。
正元は武士だったわけですから、レスピオーと軍人としての共通の言葉を(語学のハンディキャップを乗り超えて)有していたことがあげられますが、それだけではなかったはずです。(太田)
(続く)
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–私の現在の事情(続x87)–
1 体調
退院後、体調が入院前よりよくなったように思います。
入院前は、味覚障害気味に時々なっていたのですが、全然そういうことがなくなったばかりか、何を食べてもおいしく感じるようになりましたし、朝早く目が覚めてしまった場合はもちろんのこと、普通に目覚めた日も、眠くなって昼寝を時々していたのも、全くなくなりました。
おかげで、パソコン環境とオーディオ環境の整備に、K.K、komuro両コーチのご指導を得ながら悪戦苦闘するために必要十分な体力がある、というわけです。
ただ一つ困っているのは、これらの整備をするために時間をとられ、オフ会での「講演」の準備をする時間が、これまで殆ど取れていないことです。
2 iPhone7
バックアップがとれなくなった、写真も撮れなくなったiPhone6を、この際と思って、11日、蒲田でのスタンフォード「同期」会の忘年会(11:30~)が始まる前に、蒲田駅上の東急プラザのAUショップでiPhone7に切り換えました。
(自転車で行ったのですが、初めて時間を測ったら、蒲田駅前までちょうど15分でしたね。銀行の有料駐輪場に自転車は置きましたが、一日以内100円でした。)
料金の話は、ざっと聞いただけではよく分かりませんでしたが、機種変更に伴う料金体系切り替えの際、モノを買った方がトクだという示唆を真に受けて、いつか買おうと思っていた、コードレス掃除機を購入しました。(まだ、届いてませんが・・。)
これで、パソコン部屋で自動掃除機が入れない部分の掃除を3年ぶりくらいに行えるようになります。
(もちろん普通の掃除機はあるのですが、押し入れから取り出して組み立てるのが面倒だし、コードが邪魔で掃除する気にならなくなっていた次第。)
ところが、自宅に戻ってから、(最後にバックアップがとれた3月時点の)iPhone6環境へとiPhone7をリカバリしようとしたら、(バックアップだけでなく)リカバリもできなくなっていることを発見し、アップルのサポートにお世話になりながら、リカバリを行いました。
まず、一旦EpsonにインストールしてあるiTunesをアンインストールして入れ直さなければならないと言われたのですが、このアンインストールが一筋縄では行かないのです。
一般的なアンインストールをした上で、iTunes関係の残滓ファイル中、悪さをするものを正しい手順で次々に手動で削除して行かなければならないからです。
こうして、やっとのことでアンインストール/インストールができ、リカバリもでき、iPhone6では使っていなかったGoogleマップを使えるようにし・・これを行っておれば、スイス大使館に行く道を間違えるなんてことはなかったはずです・・、また、パソコン上で作成しているGoogleカレンダーに連動するアプリを新たにインストールして使えるようにしました。
これでもって、ようやく、私にも本格的なスマホ時代が到来した感があります。
ところで、AUショップの担当者が、iPhone7が壊れたら、Suicaの残金がパーになってしまうので、アップル・ペイを使ってSuicaを取り込もうなんて考えない方がいい、と忠告してくれたのですが、これホントですかね。
バックアップをとってあってもダメなんでしょうか。
どなたか、お詳しい方、教えていただければ幸いです。
また、クレジットカードを取り込んだ場合はどうなんでしょう?
渡正元『巴里籠城日誌』を読む(その9)/私の現在の事情(続x87)
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