太田述正コラム#8811(2016.12.24)
<米リベラル知識人の内省三(その3)>(2017.4.9公開)
3 参考:共感(empathy)に関する諸論考から
(1)NYタイムス
上出のポール・ブルーム(Paul Bloom)の『共感に抗して–合理的同情の勧め(Against Empathy: The Case for Rational Compassion)』への書評
http://www.nytimes.com/2016/12/06/books/review-against-empathy-paul-bloom.html?hpw&rref=books&action=click&pgtype=Homepage&module=well-region®ion=bottom-well&WT.nav=bottom-well
(12月8日アクセス)から始めましょう。
「・・・共感は・・・それが公共政策であれ、私的慈善であれ、諸人間関係であれ、人生の殆ど全ての諸分野で「道徳的指針たりえない」、とエール大の心理学教授のブルーム氏は主張する。
<というのも、>「共感は偏していて、郷党心と人種主義の方向へと我々の背中を押す<からだ>」、と彼は記す。
嫌なことを言うもんだ、だって?
まだ、こんなものではない。
<それどころか、共感の問題点は>「数えきれないくらいある」、と彼は続ける。
「ある一人を大勢よりも贔屓(favor)することは、暴力に火をつけることがありうるのであって、我々の近しい人々に対する共感は、戦争や他者達に対する残虐行為に向けての強力な力なのだ」、と。・・・
彼が言いたいのは、共感は、はらわたの濁った緩流から流れ出るものであって、理性によって管理されていない、ということなのだ。
彼は、一種の合理的同情・・思いやり(caring)と冷静な(detached)費用便益分析の混交物・・の方を好む。・・・
共感は道徳性にとって必須である(essential)、と言う人々に対しては、彼は、道徳性の諸源泉は様々だ、と答える。
「ゴミを散らかしたり諸税をごまかしたり、といった多くの諸悪(wrongs)は、<我々が>共感する対象たる明確な犠牲者達を伴わない<ではないか>」、と。
また、最も共感的な人々が最も倫理的にふるまうようにも見えない、とも。
「<倫理的にふるまうことを立証しようとしたところの、>子供達や大人達についての数百の諸研究があるが、全般的に、それらの諸結果は、満足の行くものではない」、と彼は記す。・・・
・・・彼は、どうやら、共感なるものは、諸資源を分配するために用いるには、一般的に言って悪い道具である、と言いたいらしい。
我々が、他者達の痛みを感じる能力には限界があることから、我々自身を思い起こさせる<(、すなわち、自己愛をもたらしてくれる)>人々と我々は同定しがちなのだ、と。
<数的限界があるという、>このひねくれた道徳数学こそ、諸政府や諸個人が、数百万人に影響する諸出来事よりも、井戸にはまった少女に対して、より思いやりを抱く理由の一つなのだ」、と彼は説明する。・・・
「良い子育てとは、自分達の子供の<長期間にわたらない>短期間の<しかも重大ではない>苦しみへの対処に関するものであって、現実には、<あえて>自分達の子供の短期間の<軽い>苦しみをしばしばもたらす<こと、そして、それらへの対処を楽しむ>ことに関するものである」、と彼は記す。<(注1)>・・・
(注1)「<>」の中に記しているのは私の解釈だが、「我々が、他者達の」から「と彼は記す」までの<>内については、100%正しい、と言い切る自信はない。
<ところで、>「ポスト真実(post-truth)」<(注2)>がオックスフォード辞典によって、2016年の世界流行語大賞に選ばれ、ドナルド・J・トランプ(Donald J. Trump)の補佐の一人が、最近、米公共ラジオ局(NPR=National Public Radio)に対して、「諸事実なんてものは、残念ながら、もはや存在しない(There’s no such thing, unfortunately, anymore, of facts.)」・・明らかに、(この文章から見る限り、)「文法」に関してはその通りだ・・と宣言した。
(注2)「客観的な事実が重視されず、感情的な訴えが政治的に影響を与える状況」
http://www.ei-navi.jp/news/983/
<そういう状況なので、>この本の終わりのあたりで、ブルーム氏は、「政治的諸領域においては、合理性は殆ど見いだせない」ということをしぶしぶ認めている。
彼は、それは、人々が、政治をスポーツのように扱うからだ、と理論付ける。
すなわち、彼らの諸意見<に合理性がないの>は、<それらが、>客観的メリットではなくチームへの忠誠心に立脚しているからだ、と。
「政治的諸見解は、スポーツの諸チームについての諸見解と、興味深い属性、すなわち、客観的メリットなどどうでもよい<という属性>、を共有している、と彼は記し、更にこう説明する。
「<そもそも、>自分が小さな強力なコミュニティの成員でもない限り、自分の諸信条など世界に対して何の影響(effect)も持たない<のだから>」、と。
しかし、当然のことながら、政治的諸信条は意味を持っている(matter)。
<実際、大統領選挙が行われる>4年毎に、それらは大いに意味を持つのだ。
今年は、それらはとりわけ大いに意味を持った。
最悪の事態を考えれば、<米国では、>これからの4年間は、共感についてであれ、合理的同情についてであれ、低迷することだろう。
仮にそうだとすれば、我々の世界は、単にポスト真実の世界であるにとどまらず、ポスト道徳(post-moral)の世界となることだろう。」
⇒救いがないのは、ブルームにしても、書評子であるジェニファー・シニア(Jennifer Senior)(注3)にしても、自分達の知的枠組みが個人主義的であることから、人間主義について無知のまま、共感等について論じていることです。
(注3)ニューヨーカー誌(New York Magazine)の記者兼編集者。学生時代には人類学を修める。人類学やカーネマン(Danny Kahneman)(コラム#5212、5214、5216、5218、5220、5222、5431、5567、6250、6689)らの幸福論、を駆使して子育て論等に健筆をふるっている。
https://www.ted.com/speakers/jennifer_senior
そのため、彼らは、米国においてとりわけ利己的ないし功利主義的なきらいのある共感を、人間主義化させるという提案を行うどころか、共感をより一層功利主義的な代物・・合理的同情!・・へ堕落させる提案を、それがまっとうなものであると思い込んで、行っているわけです。
トランプを支持した米国の大衆も、この米国の大衆を操って大統領に当選したトランプも、この二人を始めとする、米国の(概ね、リベラル、つまりは、民主党支持者達、であるところの)知識人達の言説の信憑性などてんで認めていなさそうであることは、その限りにおいては、私としても、強い「共感」を覚えざるをえません。
(続く)
米リベラル知識人の内省三(その3)
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