太田述正コラム#8877(2017.1.26)
<米帝国主義の生誕(その7)>(2017.5.12公開)
諸国民国家は、「それぞれが、諸価値の諸星座との関係で自分達自身を」どう「定義」するか、という点で諸帝国と異なる。
諸帝国は、支配的となったり、収縮したりする。
諸帝国が統治するのは国の臣民達ではない。
すなわち、征服されたスー族(Sioux)<(コラム#3668、3764、4046、4072、4381、5875)>は、この国が、政治的にして文化的な粉砕機にかけられて彼らにそれを強いるまで、米国人達ではなかった。
例えば、フィリピン人達は、決して米国人達になることなく従属せしめられた。
<それに対し、>諸国民国家は、諸帝国とは違って、「それまで存在していた、個人としての、そして、集団としての諸主権の諸形態を掘り崩すところの、市民たる諸観念と帰属(belonging)」を打ち立てる。
諸国民国家は、長く覆い被さっていた地域的諸コミュニティーの荒っぽい正義の代替物として立つ「法の支配」を擁護し、それぞれの臣民達が「諸事を行う近代的で正しいやり方」を抱懐するよう強いる。
諸国民国家は、好まれると否とに関わらず、諸コミュニティーを形成し、<地域の住民ならぬ>国の臣民達、この場合は米国人達、を生み出す。・・・
著者は、彼の本を、出現しつつあった米国民国家、と、次第に声高に宣明されるようになったところの、顕示的な諸形態の帝国主義、との間の最も顕示的な交差(intersection)でもって完結させる。
すなわち、内では統合された(consolidated)「進歩主義的」な国を構築し、外では、それを、フィリピン、キューバ、及び、プエルトリコ、へと広げた(spread)、セオドア・ローズベルトのような人物群の出現だ。
全球的帝国主義と国内の進歩主義の<時期的な>同時発生(coincidence)が、著者にこの分析(resolution)を提供している。・・・
フィリピン人達について行われたすべての主張は、アパッチ族(Apaches)<(コラム#4432、4436、4725、5926、7801、8873)>について行うことができよう」、とセオドア・ローズベルトは説明した。
アギナルド(Aguinaldo)について言えることは、シッティング・ブル(Sitting Bull)<(注9)(コラム#4381)>について言えるのだ」、と。
(注9)タタンカ・イヨタケ(Tatanka Iyotak。1831~90年)(シッティング・ブルはその英訳)。「アメリカインディアンの・・・スー族の・・・戦士、呪術師。しばしば誤解されるが酋長、族長、指導者ではない。・・・
拡大する<米>国の植民は、1860年代にミシシッピー河を越え、スー族の住む大平原に伸びてきた。すべてのインディアン部族がフロンティアの障害として駆除され、保留地に隔離され、その領土が軍事力によって強奪されていた。保留地で飢餓状態となったダコタ・スー族が1862年に起こした(ダコタ族の大暴動)は、・・・リンカーン大統領と米軍によって徹底的に弾圧され、多くのスー族同胞がミネソタの領土を奪われ、西部の保留地に強制移住させられてきた。彼らダコタ族から、シッティング・ブルはインディアン保留地での暮らしがいかにひどいものかを聞いた。・・・
スー族の社会は他の平原インディアンと同様、高度な個人主義であり、シッティング・ブル<ら>が白人との交戦を率いたわけでも指導したわけでもない。戦士たちは大戦士である彼らを慕って共に<白人>の侵略から家族を守ろうと戦った・・・。<他方、米国政府は、>インディアンの酋長と盟約を結びたがり、「大酋長」を探し、・・・彼らと署名することでスー族を従わせようとしたのである。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%83%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%AB ☆
⇒フィリピンは、アギナルドという最高指導者の下で概ね組織的に米軍と戦った(典拠省略)のであり、アギナルドとシッティング・ブルを一括りにするローズベルトは、19世紀から20世紀にかけての頃に至っても、いまだ、自国領域内のインディアンのことさえ碌に理解する能力がなった米国人達を象徴しています。
仮に、この時、フィリピンにいたのが縄文人であったならば、かかる米国人の侵攻にどう対処したかでしょうか。
縄文社会は地域差が大きかったようです
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B8%84%E6%96%87%E6%99%82%E4%BB%A3
が、例えば、三内丸山遺跡「ほど大規模な建造物を建てるには<高度の技術と>多くの労働力を必要としたはずであり、集落居住者の団結力と彼らを的確に指導できる指導者がいたことも推測できる。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%86%85%E4%B8%B8%E5%B1%B1%E9%81%BA%E8%B7%A1
ことから、相当多くの地域で、(インディアン同様、米国人の武器等を鹵獲ないし「購入」しつつ、)最初から組織的な抵抗を行ったのではないでしょうか。
そして、抵抗地域を束ねるような統一指導者が現れ、やがて、全縄文人による戦いへと発展していったのではないか、と想像したくなります。
いずれにせよ、結果は、インディアン同様、敗北してほぼ絶滅に追い込まれた可能性が高いですが・・。
なお、シッティング・ブルの白人への言である、「私は<お前さんたちに>土地を売るつもりはないし、川辺の木、ことに樫の木をワシチューに切らせるつもりもないことをすべての<白人>に知ってもらいたい。私は樫の木の小さな森が大好きだ。私は樫の木を見るのが好きだし、樫の木を尊敬している。彼らは夏の暑さにも冬の寒さにも耐え、我々同様にすくすく育ち、茂って見せているからだ」や、「我々にとっての戦士とは、お前さんたちが考えるような、ただ戦う者ではない。本来誰にも他人の命をとる権利はないのだから、戦士とは、我々のためにあり、他者のために犠牲となる者だ。その使命は、歳取った者やかよわき者、自分を守れない人々や将来ある子供たちに注意を払い、守りぬくことにあるのだ。」(☆)からすると、インディアン、というか、少なくともスー族等は、人間主義者達であったように思われるけれど、いかんせん、縄文人に比べても、彼らは格段に未開であったという感が否めません。
ちなみに、オバマは、彼が最も感銘を覚えた「米国人」3人のうちの1人にシッティング・ブルを挙げていることを以前(コラム#4381で)紹介したところです。(太田)
(続く)
米帝国主義の生誕(その7)
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