太田述正コラム#8923(2017.2.18)
<米帝国主義の生誕(幕間)(その3)>(2017.6.4公開)
彼らに比べれば、アンドリュー・ジャクソンの方は、多い時には数百人の黒人奴隷を自分の農場で使い、また、対インディアン戦闘では、女子供も容赦なしのジェノサイド作戦を敢行した人物ですが、表裏がなく、インディアン孤児を養子にしたことからして、少なくともインディアンに対して人種差別意識は持っていなかったようであり、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%AF%E3%82%BD%E3%83%B3
相対的に好感が持てる、というものです。(太田)
著者から基本的に我々が受け止めなければならないことは、諸帝国は世界史において生起を繰り返してきたのであり、見通しうる将来においてなくなることはないだろう、という点だ。
彼の見解では、米国は、慈悲深き帝国主義大国であって、諸過誤を犯しては来たけれど、概ねは良いことをした、というのだ。
⇒近現代における諸帝国主義国の良し悪しは、同国の行った諸外国人の直接的間接的殺戮中、同国にとって実質的な勝利・・同国にとって好ましい国際秩序が維持/回復されたということ・・をもたらした殺戮の割合が高い(良い)か低い(悪い)かで決まる、というのが最近到達したところの、私のメルクマールであって、米国は最悪の帝国主義国であり続けている、というのが私の判断なのであり、著者の主張はナンセンスです。(太田)
どの国かが担当しなければならない以上、例えば、プーチンのロシア、中共、或いはEUと比べてさえ、米国の方が優っている、と。
⇒中共/日本連合が最善である、というのが私の見解であることはご承知の通りです。(コラム#省略)(太田)
旧世界から大洋によって隔てられ、他のいかなる国よりも最も航海可能な諸河川を持っている、という具合に、地理的に恵まれていて、その力の多くをこの単純な事実のおかげで活用している、と、彼は、説得力ある形で主張している。
⇒核兵器(核弾道弾)による攻撃を完全には防ぎえない現代においては、米国の地理的優位性は、日本や英国のような島嶼諸国家と大同小異です。(コラム#省略)(太田)
しかし、関わっているところの、地理よりも何かもっと大きなもの、第二次世界大戦後の米国の筆頭者としての役割のいわゆる徳と利他主義に係る若干の文化的諸説明、が存在する、とも彼は考えている。・・・
⇒キリスト教の利他主義の人間主義と比較しての危険性は以前(コラム#省略)指摘したところですし、米国に「徳」など皆無である、というのが私の主張(コラム#省略)であって、かかる著者の主張は笑止千万です。(太田)
著者が、征服のイデオロギーが、徐々に、自然主義(naturalism)のロマンティックな雰囲気(romance)とセオドア・ローズベルトの保守主義、によって置き換えられことを説明する部分が、この本の白眉だ。
⇒近現代の帝国主義中、最も醜悪な代物を生み出した、とこの3シリーズ中にも口を酸っぱくして指摘してきたところであり、著者の極楽とんぼ性はここに極まれり、といった趣があります。(太田)
この点では、彼は、南北戦争の兵士で地理学者のジョン・ウエズリー・パウエル(John Wesley Powell)<(注2)>によって助けられている。
(注2)1834~1902年。「<米>国の軍人、地質学者、<米>西部の探検家・・・イリノイ・・・ウィートン・・・オーバリン・・・<の各単科大学>で古代ギリシャ語、ラテン語を学んだ。・・・1881年に<米>地質局の副局長に任じられ、1894年まで務めた。スミソニアン協会の民族学事務局の局長を務め、北アメリカのインディアンの言語の分類に関する・・・出版を主導した。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%82%BA%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%91%E3%82%A6%E3%82%A8%E3%83%AB
彼は、南北戦争の中で片方の腕を失いつつも、敵対的諸風景<の地域>の勇猛果敢な探索者だった。
フロンティア的個人主義と公による土地管理への信条を結合させつつ、パウエルは、「不毛の西部の利用と入植を研究すると共に規制するために作られた政府諸機関の設立に決定的な役割を演じることとなる」。
粗暴な(gruff)西部の自給自足性についての今日の隠語(cant)とは違って、著者による物語は、入植地が、地質的な諸調査、連邦による土地の諸供与、灌漑の諸事業、そして、立ち退かされた原住民達からの軍事的保護、なくしては不可能だった、と主張している。
要するに、入植は、協力なくしてなし遂げえなかった、ということだ。
内陸諸州に住んでいる米国人達は、往々にして、一人でやる(go-it-alone)精神構造の持ち主だが、町々への移動に選択肢が殆どなく、彼らの沿岸部の同輩者達からの文化的孤立感を次第に募らせる、というわけで、彼らの物理的現実は、そんなことを事実上不可能にしているのだ。・・・」(C)
(続く)
米帝国主義の生誕(幕間)(その3)
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