太田述正コラム#0454(2004.8.27)
<ワルシャワ蜂起(その2)>

 (前回のコラム#453に大幅に手を入れてホームページ(http://www.ohtan.net)に再掲載してあります。)

 1944年のワルシャワ蜂起と混同されやすい1943年のワルシャワ・ゲットー蜂起についてもこの際、ご紹介しておきましょう。
 1942年の7月から9月にかけて、ポーランドの約30万人のユダヤ人がワルシャワからトレブリンカ収容所に送られました。収容所で、或いは移動殺人部隊によってユダヤ人殺戮が行われているとの噂がワルシャワ・ゲットーに伝えられると、抵抗グループがつくられます。彼らはポーランドのレジスタンス運動から武器弾薬を提供され、訓練を受けました。
 1943年の1月、ワルシャワ・ゲットーにユダヤ人狩りにやってきたドイツ軍部隊にこの抵抗グループは発砲し、ドイツ軍部隊はユダヤ人1,000人を殺し、5,000??6.500人を収容所等(注8)送りにしつつも、数日後に退散します。

 (注8)killing centers(ガス室で収容者を殺すための収容所。トレブリンカやアウシュビッツの一区画等)と concentration camps(ユダヤ人、ジプシー、政治的・宗教的反対者、レジスタンス運動家、同性愛者、その他ナチスドイツが国家の敵とみなした者のための収容所。南ドイツのダハウ等)

 これに勇気づけられた抵抗グループは、4月19日、750人が銃器を持って蜂起します。しかし、5月16日、ついにドイツ軍によって壊滅させられてしまいます。56,000人のユダヤ人が捕らえられ、そのうち約7,000人が殺され、残りは収容所等送りになりました。
(以上、http://www.ushmm.org/outreach/wgupris.htm(7月31日アクセス)による。)

先の大戦中、ポーランドにおいてドイツにひどい目にあったのは、ユダヤ人やポーランド人だけではありません。
8月2日、欧州各地からジプシー(ロマ)の人々が南ポーランドのアウシュビッツ収容所跡に集まり、戦後最大の虐殺ジプシー追悼集会を開きました。
1944年のこの日に、収容所内で生き残っていたジプシーの人々がガス室に送られたのです。
先の大戦中に25万人のジプシーがドイツによって殺され、その中にはアウシュビッツ収容所に送られた23,000人のうちの19,000人の死者も含まれています。(アウシュビッツでの死者の大部分はチフスや天然痘によるもの。)
ドイツの環境相もこの集会に列席し、「ドイツはこのジェノサイドに歴史的・政治的責任を負っている」と述べました。
(以上、http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/3527024.stm(8月3日アクセス)による。)

<エピローグ>

 ワルシャワ・ゲットー蜂起鎮圧後、ゲットーの廃墟に身を隠して捕縛をまぬかれ、やがて翌年のワルシャワ蜂起を経てワルシャワ市街全体が廃墟となるのを目にしつつも、ピアノ演奏によって勇気づけられ、戦争が終わるまで生き延びたユダヤ人が、ロマン・ポランスキー監督の「戦場のピアニスト(Pianist)」という2002年カンヌ映画祭パルムドールを受賞した映画の主人公となったウワディスワフ・シュピルマンです(http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0000896HN/249-4549518-8845137http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=239348http://www.eiga-kawaraban.com/02/02122002.html(いずれも8月26日アクセス)
 1944年のワルシャワ蜂起の際にも、ピアノにまつわるエピソードが伝えられています。
 戦闘が一休止となった時、一人のポーランド市民兵がピアノの前にすわり、ショパンの曲を何曲か弾いたところ、演奏が終わったとき、ドイツ側の陣地から拍手喝采が聞こえた(http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/3937155.stm。8月2日アクセス)というのです。
ポーランド人もドイツ人もいかにクラシック音楽が好きか分かりますね。

ちなみに、近代はことごとくイギリスの産物と言っていいのですが、唯一の例外がドイツの産物であるクラシック音楽、すなわち近代音楽です。
近代音楽は、鍵盤楽器という特異な楽器と記譜法を持ち、平均率音階・和声法/対位法(和声(Harmony)の重視)等の特徴を有する、それまでの音楽に比べて格段に特異にして合理的な音楽であり、マックス・ヴェーバーの「音楽社会学」(邦訳。創文社1986年)がそのドイツにおける生誕の経緯を解き明かしています。
ショパン(1810??1849年)とその同時代人であるリスト(1811??1886年)は、それぞれポーランドとハンガリーを代表するスラブ人作曲家ですが、(二人とも鍵盤楽器の粋であるピアノの名ピアニストでもあり、)もっぱらピアノ曲、しかも旋律の美しい曲、換言すれば和声を重視しない曲を作曲した点で、非ドイツ性・非近代音楽性が際だっています。ショパンやリストは、近代音楽の中に前近代音楽的要素を改めて持ち込むことによって、近代音楽の幅を大きく広げ、現代のポピュラー音楽への道を切り開いた、と言えるでしょう。

(完)

44年の蜂起(http://www.humboldt.edu/~rescuers/book/damski/dlinks/warsupris.htmlhttp://www.warsawuprising.com/timeline.htm(どちらも7月31日アクセス))