太田述正コラム#0455(2004.8.28)
<京都・奈良紀行(その13)>

  エ 二条城
 次は二条城です。
二条城は、1603年に将軍宣下されてすぐ、徳川家康(1543??1616年)が京都御所の守護と将軍上洛の際の宿所として造営し、その後、1626年に三代将軍家光が後水尾天皇を迎えるために大改修が行われ、おおむね現在の体裁が整いました(http://www.digimake.co.jp/webtown/nakagyou/nijyou/nijyou.html)。
 二条城の二の丸御殿は桃山時代の武家風書院造りの代表的なものであり、国宝です。
 特記すべきことは、二条城を舞台にして日本の歴史が二度大きく動いたことです。
 その一は、1611年に二条城で徳川家康と豊臣秀頼の会見が行われ(注8)、この会見で秀頼の人物と若さと偉丈夫ぶりに接したことが、家康に豊臣家打倒を決意させたと考えられていることです。
 (以上、特に断っていない限りhttp://www.inv.co.jp/~yoshio/SH/SHOosakanojin.htmhttp://www.geocities.co.jp/HeartLand-Icho/8151/meiyobannkaishitemimasennka6.htmlhttp://www.geocities.jp/senryusai/senryusai.kaisen.html、及びhttp://www5e.biglobe.ne.jp/~hakuga/rekisi/toyotomimetubou.htmによる。)

 (注8)1603年に家康の孫、秀忠の娘の千姫を豊臣秀頼に嫁がせる。1605年に家康は秀忠(1579??1632年)に将軍の座を譲るが、一方で秀頼は右大臣に昇任する。家康は豊臣家に徳川家に対する臣従の形をとらせるため、秀頼に上洛を促した。しかし、豊臣方はこれを拒否した。1611年に家康は再び秀頼に上洛を促すが、今度は片桐且元・浅野幸長・加藤清正・福島正則らが説得したため、実現する。3月28日の二条城での両者の会見には浅野と加藤が警護役で付き添った。(福島は腹痛のため同行できず。)接待役は藤堂高虎がつとめた(http://www.info.city.tsu.mie.jp/guide/taiga/todo/index4.html)。

 その2は、言わずと知れた、十五代将軍慶喜(1837??1913年)が1867年10月に朝廷に大政奉還し、徳川幕府265年の幕を閉じたのが二条城であった(注9)ことです。

 (注9)慶喜は、10月13日在京40藩の重臣を二条城の大広間に集め大政奉還の決意を表明し、翌14日大政奉還の上表を朝廷に提出した。その翌15日に朝廷は慶喜の参内をもとめ、大政奉還勅許の御沙汰書を渡した。(http://www.ibaraki-rekishikan.com/QandA/houkan.htm
     これはその一方で、13日には薩摩藩に、14日には長州藩に朝廷から倒幕の密勅が下される、というあわただしい時期だった。なお、12月9日には朝廷は王政復古を宣言し、慶喜は将軍職を解かれる。(「日本史年表」岩波書店1966年)
     
  オ 金閣寺
 最後に訪れたのは金閣寺です。
 金閣寺の正式名称は鹿苑寺です。1394年に将軍職を義持に譲った足利3代将軍義満(1358??1408年)は、1397年、公家の山荘の跡に「北山殿」と呼ぶ別邸を造って隠棲しましたが、義満の死後、義持により臨済宗の禅刹に改められ、義満の法号(戒名)から二字をとって「鹿苑寺」と号するようになったものです。
北山殿の舎利殿がいわゆる金閣です。現在の金閣は、1950年に放火で全焼し、1955年に再建されたものです。
(以上、http://www.digimake.co.jp/webtown/kita/kinkakuji/kinkakuji.htmlによる。)
大守護の力を削いで幕府に権力を集中させ、1392年に南北朝合一を達成した義満は、将軍を辞してからも引き続き幕府の実権を掌握し続けるとともに太政大臣に任ぜられ、(翌年太政大臣を辞し出家しますが、)武家と公家の頂点に立って権力をふるいました。1401年に義満は明に国書を送って国交を開き、日本国王と認められ、1404年からは日明勘合貿易を始め、幕府財政は潤沢となります。
北山殿はその義満の政庁であると同時に高位高官の武家や公家との社交の場であり、この北山殿(金閣寺)を中心に室町幕府は絶頂期を迎え、北山文化が花開いたのです。
 (以上、http://www5e.biglobe.ne.jp/~hakuga/rekisizinbutu/asikagayosimitu.htm及びhttp://www.shokoku-ji.or.jp/jotenkaku/person/ashikaga_yoshimitsu.htmlによる。)

(完)