太田述正コラム#8967(2017.3.12)
<下川耿史『エロティック日本史』を読む(その2)>(2017.6.26公開)
「『日本書紀』の「神代編」に・・・「(イザナギ、イザナミは)遂に交合せんとす。しかし、その術を知らず。時にセキレイ<(注1)>ありて、飛び来たりその首尾を揺(うごか)す。二柱の神、それを見て学び、即ち交(とつぎ)の道を得つ」<と>・・・ある。小鳥の交尾は甲は後背位であるから、・・・日本人のセックスは・・・後背位からスタートしたということになる。・・・
(注1)「台湾のアミ族の神話で<も>、東海の孤島ボトルに男女2神が天下り、ホワック(セキレイ)が尾を振るのを見て交合の道を知った<とされる>(生蕃伝説集)。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%82%AD%E3%83%AC%E3%82%A4
静岡県三島地方や広島県などではセキレイを神の鳥と称し、みだりに捕まえてはならないものとされている。その理由は神に交合の道を教えた万物の師であり、神の使い以上の存在とされているからという。これに類する風習は熊本県南関地方や岐阜県高山地方でも報告されている・・・。 <また、>伊勢神宮の神衣である「大和錦」にはセキレイの模様がある・・・
<更に、>小笠原流・・・<の>新婚初夜の決まりごと<では、>・・・寝所に比翼枕、犬張子、乱箱、守刀、セキレイ台などを置き、床盃が行われることになっている。・・・
セキレイ台というのは床飾りの一つで、全体は鳥の形をしている。台上にはセキレイの一つがいが飾られ、根固めとして岩が置かれているというものである<(注2)>。これ<は>イザナギ・イザナミの故事に習ったもので、新婚夫婦が上気してうまくいかない時、これを見て落ち着くようにという配慮から置かれたものといわれている。
(注2)鶺鴒台。画像。↓
https://www.google.co.jp/search?q=%E3%82%BB%E3%82%AD%E3%83%AC%E3%82%A4%E5%8F%B0&hl=ja&rlz=1T4GUEA_jaJP671JP672&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ved=0ahUKEwj80IH3ptDSAhWJVbwKHRjyCdEQsAQIMg&biw=1644&bih=902#hl=ja&tbm=isch&q=%E9%B6%BA%E9%B4%92%E5%8F%B0&*&imgdii=dl1uK-XiaAiUnM:&imgrc=T9zAwy4CC2mrdM:
江戸の町民も小笠原流にならったか、セキレイ台が結婚式の調度品として欠かせないものになった。」(20~22)
⇒貴族や大名家以下が性教育に春画を用いたという話
http://trushnote.exblog.jp/13378866/
は周知していましたが、浅学菲才にして、セキレイの話は知りませんでした。(太田)
「いまだ風呂のなかった時代には、人々は<汚れを>・・・川で洗い、近くに温泉がある場合には温泉で流していた。これを川浴(あ)みや湯浴みと呼び、2つを合わせて「湯川浴み」と呼ぶこともあった。
<やがてそれは、>禊ぎなどの宗教的な意味合いで行われることも多くなったから、「斎(ゆ)川浴み」という字が使われることもあった。斎とは潔斎して神に仕えるという意味である。「斎戒沐浴」という言葉は現代でもしばしば使われるし、修行者が滝に打たれて修行したり、空手など武道の選手が厳寒の時期に海に入って修行する姿もなじみ深いものである。それらは湯浴み、川浴みの伝承された形である。
・・・湯浴みや川浴みは・・・いつでも混浴で、しかも大人数で盛大に行われていた・・・
混浴はフリーセックスの場も兼ねていた・・・「歌垣」<(後出)>・・・は神話の時代から有史時代への移行の過程で混浴から分化したものであ<ると>・・・想像される。
その想像を裏打ちさせてくれるのが、黄泉の国にイザナミを訪れたイザナギが彼女の醜悪な姿に恐れをなして逃げ帰ったシーンである。・・・イザナギは・・・穢れを洗い流すための禊ぎを行うのだが、生まれたのが・・・天照大神<や>・・・スサノオ命<である。>・・・
これは混浴やフリーセックスを抜きには考えられない。」(26~28、30)
⇒目から鱗が落ちる思いですが、禊のウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8A
は、さりげなく、「日本神話で、伊弉諾<(イザナギ)>命が、水で心身を清めたことに由来するとされる」と記すだけで、セックス色を払拭した説明でお茶を濁していますね。(太田)
(続く)
下川耿史『エロティック日本史』を読む(その2)
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