太田述正コラム#9001(2017.3.29)
<下川耿史『エロティック日本史』を読む(その11)>(2017.7.13公開)
「源頼朝が鎌倉幕府を開いたのは1192(建久3)年である。・・・
その前年、摂津国有馬温泉<(注33)>・・・に「湯女(ゆな)」<(注34)>という新しいサービスガールが登場したのである。・・・
(注33)「日本三古湯の温泉。林羅山の日本三名泉や、枕草子の三名泉にも数えられ、江戸時代の温泉番付では当時の最高位である西大関に格付けされた。・・・日本最古泉とも言われる。・・・631年に舒明天皇が約3か月滞在したことが日本書紀に見られる。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%89%E9%A6%AC%E6%B8%A9%E6%B3%89
(注34)「中世には有馬温泉など温泉宿において見られ、次第に都市に移入された。当初は垢すりや髪すきのサービスだけだったが、次第に飲食や音曲に加え売春をするようになったため、幕府はしばしば禁止令を発令し、江戸では明暦3年(1657年)以降吉原遊郭のみに限定され・・・幕府によって200軒以上あった江戸町内の風呂屋が打ち壊された。・・・<しかし、>上方ではなおも風呂女の売春が続いた。東京でも明治12~13年ごろまで、風呂屋の2階に2~3人の女を置き、売春が行なわれていた。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B9%AF%E5%A5%B3
⇒戦後・・異説あり・・、日本に出現したトルコ風呂(ソープランド)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%B3%E9%A2%A8%E5%91%82_(%E6%80%A7%E9%A2%A8%E4%BF%97)
は、この「輝かしい」伝統の、非合法下の、というか、売春が非合法化したからこその、復活であったと言えそうです。(太田)
40人の湯女のうち、遊女の務めを果たすのは小湯女の20人で、・・・<そ>の様子については、田中芳男[編]の『有馬温泉誌』<(注35)>・・・に次のように記されている。
(注35)田中芳男(1838~1916年)編集で1891年自費出版。
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000426983-00 (すぐ上の本文中の[]も。)
「白衣に袴をつけ、歯を染め眉を描き<(注36)>て、あたかも上臈の如き姿をなし、専ら高位公卿の澡浴せらるる前後、休憩の折に当り、座に侍りて或いは碁を囲み、或いは琴を弾き、または和歌を詠じ、今様をうたいなどして、つれづれを慰むるを以てわざとせり」
(注36)これが、いつ頃の有馬温泉の湯女のことなのか知りたいところだが、江戸時代のお歯黒に関しては、次の通り。
「皇族・貴族
都市部の既婚女性全般(引眉する、但し武家では出産後に引眉する)
18~20歳以上の未婚女性(引眉する場合としない場合有り)
遊女(江戸、上方、共、一人前、引眉しない)
芸妓(上方のみ、一人前、引眉しない/江戸は付けない)」
なお、お歯黒は、奈良時代以降は、「鑑真が<支那>から伝えた<鉄を用いた>製造法」で造られ、「歯並びや変色を隠すだけでなく、口腔内の悪臭・虫歯・歯周病を予防する効果があった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E6%AD%AF%E9%BB%92
この記述から、湯女とは高級遊女の走りとされる白拍子をマネたものだったことがうかがわれる。
またある貴族が残した「入湯記」には、・・・<客が>湯女をもてなすため<に>、・・・湯を借り切って、自分もいっしょに入浴したという<記述が>ある。・・・
これまでは<遊女は>・・・宴席に呼ぶことを前提にしていたが、湯女の制度では、”そこ”に行けば、いつでも女を抱くことができ<るようになっ>たのである。
<つまり、>後の遊郭制度の萌芽とでもいうべきものであったのだ。」(144、146、150)
⇒金持ちが対象であった場合はもちろん、普通の人が対象であった場合でも、売春にセックス以外のプラスアルファ・・芸事や垢擦り/髪漉き/入浴・・が付き物だったことは、日本文明の基層たる縄文文化においては、セックスが日常的にかつ開けっ広げに行われるものであるだけに、人々の、この場合は男性達の、性衝動が弱められ、彼らがセックスに飢えていなかったからこそ、セックスだけの売買が成り立ちえなかった、ということではないでしょうか。
また、後ほど、白拍子の箇所でも改めてご確認いただきたいのですが、日本では、芸人というものは、芸を売るだけではなくて、セックスも売るところの、文字通りのセックスシンボル、というのが原型であったということです。
ですから、「一般」女優がAV女優になることがあたかも身を窶すことのように取り沙汰されたり、AV女優が「一般」女優に転じることが奇異の目で見られたりする、現在の日本に、私は強い違和感を覚えています。(太田)
(続く)
下川耿史『エロティック日本史』を読む(その11)
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