太田述正コラム#9003(2017.3.30)
<インディアン物語(その4)>(2017.7.14公開)
「米国、カナダ、及び、グリーンランドにおける原住民達の逆境力<は大変なものだ。>・・・
キングは、「荒廃(devastation)、及び、終わることなき諸艱難、に直面しつつ、今日のカナダ及び米国の原住民のアメリカが成功裏にあるのはなぜかを説明しようと試み」始めた。
「成功裏にある、とは、原住民のアメリカが、想像面上の、そして知的面上の現象の両面において繁栄している、ということを私は意味している」、と。
この本は、スタンディング・ロック(Standing Rock)のこと<(注10)>を扱っていない。
(注10)要するに、スー族の指導者であったシッティング・ブル(Sitting Bull)(コラム#4381、8877)の話。なお、スタンディング・ロックは、南ダコタ州と北ダコタ州にまたがっている、スー族の特別保留地の名称。
https://en.wikipedia.org/wiki/Standing_Rock_Indian_Reservation
(もっとも、仮に<この本の>第二版が出るようなことがあれば、それを扱わなければならないだろう。)
でも、この本は、<アメリカ原住民問題の>本質的な文脈を提供するのに十分なほど包括的ではある。
歴史的な諸並行性(parallels)を見出すのは容易だ。
太平洋沿岸の北西部の諸州と諸部族は、<後者が>鮭を漁労する条約上の諸権利を主張した場合、時に、暴力的に衝突した。
「ビリー・フランク・ジュニア(Billy Frank Jr)は、1945年に14歳の時に自宅で初めて逮捕され、その後、50回逮捕された」、とキングは記す。
しかし、一旦裁判になるや、これらの諸逮捕に関し、最終的に1974年にボルト判決(Boldt Decision)<(注11)>において、(後に最高裁判事になった)ジョージ・ボルト(George Boldt)地方裁判官によって、これら諸条約の部族による解釈が正しく、インディアン達は州の干渉なしに漁労をする条約上の権利を有することに同意した。・・・
(注11)「ワシントン州が1853年に合衆国に併合された後、初代州知事イサーク・インガルズ・スティーブンスは、インディアンの領土を白人入植者のために割譲させ、彼らを保留地に追い込むため、連邦条約交渉を始めた。武力を背景としたこの条約交渉で、スティーブンスはワシントン州のインディアン部族と、1854年の「メディスン・クリーク条約」を始めとする6つの条約を結んだ。結果、約25万9千<平方km>の土地を州のものとした一方で、条約はその文言において、「州下のすべての市民と共用して・・・in common with all citizens of the Territory・・・、ごく普通の場所でのいずれでも、魚を獲る権利をインディアンが保有する」と認めた。・・・
この文言の定義について、ボルト判事は次のように述べている。
「辞書の定義によれば、そしてインディアン部族との条約や、今回の判決において意図され用いられているこの『共有する(in common with)』という文言が意味するところは、『魚を獲る機会を均等に共有する』ということであり、したがって条約に定められていない(白人)漁師たちは漁獲可能量の50パーセントの魚を獲る機会を有しており、条約で権利を保障されている(インディアン)漁師たちも同様に50パーセントの魚を獲る機会を有している。」
こうしてついにインディアンの自決に繋がる伝統的な投網漁が、条約の再確認と共に認められ、インディアン側の大勝利となった。・・・
1979年に最高裁は、「ボルト判決」を是認し<た。>」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%AB%E3%83%88%E5%88%A4%E6%B1%BA
タオス・プエブロ(Taos Pueblo)<(注12)>の、(ニューメキシコ州内の)ブルー湖(Blue Lake)<(注13)>の返還を求めたところの、60年間にわたる戦いは、(タオスの学童達が自分達のアイデンティティの説明の一部として聞かされる事柄の一つである、)原住民アメリカの最も鼓吹的な諸物語の一つだ。
(注12)プエブロ(西:Pueblo)は、メキシコ北部と<米>国南西部、特にニューメキシコ州やアリゾナ州に残るインディアンの伝統的な共同体、集落を指し、またそこに住むインディアンを集合的に呼んだ言葉。・・・
現在知られているおよそ25のプエブロ民族が、それぞれ現存するプエブロ集落を構えている。タオス、アコマ、ホピ、ズニなどが有名である。いくつかのプエブロ民族は、何世紀も続いているアドベで作られた集落に居住していて、そのうちタオス・プエブロはユネスコの世界遺産に登録されている。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%82%A8%E3%83%96%E3%83%AD
(注13)「タオス・プエブロの歴史は、1680年のプエブロの反乱の企み、1847年のアメリカ軍による包囲攻撃、そして1970年のニクソン大統領による48,000エーカーの山地の返還(セオドア・<ロ>ーズベルト大統領によって奪われ、20世紀の初めにカーソン国有林として指定された)を含んでいる。プエブロの人々が伝統的に神聖であると考えるブルー湖(Blue Lake)も、このタオスの返還された土地に含まれている。プエブロのサイトでは、この神聖なブルー湖の獲得は、タオスの人々が湖それ自体から生まれたというスピリチュアルな信仰から発生した、歴史上最も重要な事件と名付けている。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%AA%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%97%E3%82%A8%E3%83%96%E3%83%AD
この聖なる湖は、1906年にセオドア・ローズベルト大統領によって盗まれて国有林になった。
しかし、プエブロ族(<P>ueblo)の指導部は決して諦めることなく、米政府に対して正しいことをするよう圧力をかけた。
最終的に、行政府は聞く耳を持った。
「14世紀以来、タオス・プエブロは、これらの諸地域を宗教的かつ部族的諸目的のために用いてきた」、と、1970年7月に、リチャード・ニクソン<大統領>は、米議会宛の特別教書(message)の中で述べた。
「ブルー湖の諸土地をタオス・プエブロのインディアン達に返還することは、この国全域のインディアン達にとって、独特かつ枢要な重要性を持つ件だ。よって、私は、この機会に、彼らがこれらの諸地を伝統的諸目的のために用いることができ、かつ、かかる形での諸使用を除き、この諸地が永久に原野のままに留められるとの法律の中で規定される約束と共に、48,000エーカーの聖なる地がタオス・プエブロ族の人々に返還されることを、心から支持する」、と。」(A)
⇒あの、石もて大統領職を追われたニクソンだって、在任中、いいこともしたのだ、ということですね。(太田)
(続く)
インディアン物語(その4)
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