太田述正コラム#9015(2017.4.5)
<ナチが模範と仰いだ米国(その2)>(2017.7.20公開)
(2)序
「自分達の国とその1930年代の白人至上主義的法制が、ナチ達と同じ時期において、ユダヤ人達や他の少数派達に対するナチ達自身の人種的排他的諸法のモデルになっていた、または、基礎となっていた、もしくは、何らかの影響を与えていた、かもしれないということについては、米国人達の大半が考えたことも、いや、そんな可能性を考慮したことすら、ないと思われる。
・・・著者は、彼の興味深く目を開かされる、この書物の中で、まさにそのことを論証したわけだが、それは、「全ての人間達は平等に創造されている」、と公言されている地である米国にとって、何はともあれ、ややもすれば当惑させるものがある。」(E)
「米国の人種主義的法制は、ナチスドイツのニュルンベルク諸法の少なくとも一部の模範として用いられたのだ。・・・
結局のところ、ナチスドイツ、または、20世紀初の米国、のどちらの人種主義についても、何も新しい話は出て来なかったけれど、この両者の心穏やかならざる法的諸関係、(connections)が文書化されたことによって、それは、「米国の法的文化の性格についての若干の不快な諸事柄を教えてくれる」、と、著者は結論付ける。
中でも最も不快な事柄は、米国が、「人種主義の国であっただけでなく、世界の人種主義的司法(jurisdiction)の指導的存在」であったところ、ナチスドイツでさえ、そんな米国を霊感を得べく見つめたことなのだ。」(A)
(3)米国への憧憬
「著者は、この彼の新著を、「ルイス・B・ブロッドスキーの霊に捧げている。」
しかし、著者は、1930年代のナチズムは、中世<より前?(太田)>への先祖返りである、とのブロッドスキーの主張には同意しない。
著者は、<そうではなく、>ニュルンベルク諸法が、野蛮な変態的代物(anomaly)などではなく、当時の米国の人種法に部分的に範をとったものであることを示す。
ナチ体制は、自身を、人種主義的法制の最先端に位置していると見ていたところ、米国は彼らの霊感源だったのだ。・・・
1930年代においては、米国の南部とナチスドイツとは、掛け値なしに世界で最も人種主義的な2体制だったのであり、両国は、それぞれ、黒人達とユダヤ人達から、人権を奪ったやり方について、誇りに思っていた。
学者達は、ずっと以前から、米国の優生学運動がナチ達に霊感を与えたことを知っていた。<(コラム#257)>
今回、著者は、米国の、移民政策、及び、人種に関する諸法、の影響を、それに付け加えたのだ。
今回の、ナチズムが米国に霊感源を探したとの著者の観念は、我々を道徳的パニックへと投げ込む可能性がある。
しかし、この物語には他の側面もある。
つまり、とりわけ、トランプの時代においては、我々は本件を注視することで裨益することができる、ということだ。
我らが新大統領は、一部には、外部及び内部の諸敵を容赦なく狩り出すところの、米国第一なるナショナリズムに付け込んだことによって選出されたのだ。
この見解では、根無し草の世界主義者達、移民達、そして、無法の諸都市中心部<居住者達>は、真の米国に対し、恒常的に脅威を与えている、というのだ。
⇒トランプは、米国の醜い真の姿を、日本を含む世界中の人々に晒してくれる、という趣旨のことを私が唱えてきたことを思い出してください。(太田)
(続く)
ナチが模範と仰いだ米国(その2)
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