太田述正コラム#9017(2017.4.6)
<下川耿史『エロティック日本史』を読む(その15)>(2017.7.21公開)
「日本の歴史で「戦国時代」といえば、応仁・文明の乱がおこった1467(応仁元)年から、1590(天正18)年、豊臣秀吉による天下統一までの120年間を指すことが多い。
しかしそれは政治の動きから見た時代区分であり、庶民の生活史という点からいえば、源平の争いが始まった時から徳川幕府が成立するまでの400年以上、ズーッと戦国時代であった。・・・
⇒下川の戦国時代の捉え方は、私の第一次弥生モードの捉え方と、期間的にはほぼ同じであり、その限りにおいては評価できます。(太田)
なぜならその400年間、庶民の家は焼かれ、田んぼは軍勢が移動する際に踏み荒らされて、まるで津波に襲われた後みたいに使い物にならなくなったからである。・・・
⇒しかし、これはおかしい、というか、少なくとも、この「400年以上」の期間全体の形容としてはおかしい、と言わざるをえません。
現在の各国の国民の広義の幸福度の比較において、平均寿命だけをもっぱら尺度として用いるべきだと私が指摘していることを思い出していただきたいのですが、1150年から1600年の450年間に、日本の人口が700万人から1200万人へと大幅に増えている・・鬼頭宏、及び、Birabenのそれぞれの推計
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E4%BB%A3%E4%BB%A5%E5%89%8D%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E4%BA%BA%E5%8F%A3%E7%B5%B1%E8%A8%88
・・ことからだけでも、第一次弥生モード(広義の戦国時代)は庶民にとってそう悪い時代ではなかったらしいと言えそうだからです。
(このことは、少なからぬ人々が指摘しているところです。例えば、下掲。↓
http://rekishi-note.hatenablog.com/entry/2014/12/03/225641 )(注50)
(注50)支那のケースだが、これとは対照的であり、「前漢末、<6000>万人近かった戸籍登録人口は、短命に終わった新王朝(西暦8-23年)期<を挟む>・・・両漢交代期<に>・・・半減」したし、後漢末の西暦157年から三国時代という乱世を挟んだ西晋初の西暦280年までの間には実に5650万人から1600万人まで激減し、北宋が960年に成立してからしばらく経つまで、前漢末/後漢末の人口水準を回復できなかった。
http://www.geocities.jp/cato1963/jinkou996.html
これぞまさに、全球的標準の長期的内戦がもたらす凄惨な実態だ。
そればかりではない。
合戦に勝利した側が財宝を強奪し、村人を奴隷として連行することが当然の権利とされた。
これを「乱取り」や「人取り」と呼び、大名たちも黙認していた。・・・
庶民は戦乱によって生活を破壊され、あげくのはてに市場で売買されたのである。
<しかも、>これらの戦乱に加えて・・・相次いで飢饉が発生<した>・・・のである。」(167~169)
⇒戦国時代について、こういった、殺伐とした描き方をするのが、最近は流行っているようです。
(例えば、黒田基樹『百姓から見た戦国大名』(2006年9月)。 ↓
https://www.amazon.co.jp/%E7%99%BE%E5%A7%93%E3%81%8B%E3%82%89%E8%A6%8B%E3%81%9F%E6%88%A6%E5%9B%BD%E5%A4%A7%E5%90%8D-%E3%81%A1%E3%81%8F%E3%81%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E9%BB%92%E7%94%B0-%E5%9F%BA%E6%A8%B9/dp/4480063137 )
しかし、「戦国時代の軍隊は、8、9割が農民<・・すなわち、庶民(太田)・・>だった」のであり、「戦国大名は<農民>・・・徴兵の際は、年貢を少なくする免税を約束したり、恩賞を与えたり・・・陣中では食事が<無償で>支給され<たり、>・・・とそれなりに気を使<い、>・・・村側も<徴兵に応じる者は>・・・当番制みたいな<ところ>もあ<ったし、>・・・残った農民も、戦を見物に出かけて行ったりしてい・・・た」
http://sengokurekishi.com/category4/entry37.html
という背景の下、「農民から徴用されたばかりの足軽・・・<というか、>雑兵・・・にとって、手柄をあげない限り報酬は出ないが名のある武将を討ち取るのは難しく、また、大名の方でも彼らの士気が下がらないようにしなければならないため、兵たちの乱取りを黙認あるいは推奨した。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%A6%E5%9B%BD%E6%99%82%E4%BB%A3_(%E6%97%A5%E6%9C%AC)
という事情があった、ということであり、あえて言うならば、牧歌的な風景が見えてきますよね。
なお、飢饉については、平和な江戸時代にだって何度も起こっているところです。(太田)
(続く)
下川耿史『エロティック日本史』を読む(その15)
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