太田述正コラム#9041(2017.4.18)
<ナチが模範と仰いだ米国(その8)>(2017.8.2公開)
 「米国の30州の人種間婚姻禁止諸法・・・のうちの若干は・・・いかなる人も、一滴でも黒人の血が入っておれば、好ましからざる人種に属すると見なしていた。
 識字諸試験のような巧妙な諸装置を通じ、広範に投票権を否定されていたところの、黒人達は、事実上の二級市民達だった。
 米国の法律家達は、フィリピン人達、プエルトリコ人達等に対して、法律によるところの、新しい二級市民資格も発明した。・・・
 悪名高い反ユダヤ法制であるニュルンベルク諸法は、1935年9月のナチ党ニュルンベルク決起集会のお祭り騒ぎの最中に宣言(proclaim)された。・・・
 ナチ人民法廷の裁判長になるローラント・フライスラーは、米国の法律学は「我々に完全にふさわしい」と宣言(declare)した。
 そして、醜悪な皮肉は、ナチ達が米国の法を拒絶したのは、しばしば、彼らがそれを過酷過ぎると判断した場合だったことだ。
 例えば、概ね白人の外見をしている人々を黒人達と分類したところの、「一滴」ルールについて、ナチの監察者達は戦慄した。
 彼らにとって、米国の人種主義は、時として、まさに、余りにも非人道的だったのだ。
 そんなの、余りにもひどい話ではないか、と、にわかには信じられないかもしれない。
 しかし、初期においては、ナチ達は、<ユダヤ人問題の>「最終的解決」を考慮してなどいなかったのだ。
 彼らは、最初のうちは、ドイツにおけるユダヤ人集団(Jewry)に対して、異なった運命を念頭に置いていたのだ。
 ユダヤ人達は二級市民資格へと貶められ、彼らが仮に「アーリア人達」と、結婚しようとしたり性交渉をしようとしたら処罰されることになっていた。
 <そして、その>最終目標は、ドイツのユダヤ人達を恐れさせて<外国に>移民させることだったのだ。・・・
 ・・・米国の人種主義の歴史は、米国的革新(American innovation)が逸脱(go awry)してしまった、ということでもある。
 今日においては、吾々は企業法の創造におけるリーダー達だが、当時は、人種法においてそうだったのだ。」(M)
⇒著者のウィットマンに対しては、こういう研究を行い、その成果を上梓してくれたことについては心から敬意を抱かざるをえませんが、ここは、この著者自身による解説であり、彼の限界が露呈してしまっていることを残念に思います。
 まず第一に指摘したいのは、米国的革新は、権力ないし金力増進という非人間主義的目的のために行われるものであって、人種主義・・特定の少数派の差別・搾取・迫害の一形態・・とは本来的親和性があるのであって、逸脱などでは決してない、という点です。
 そして第二に指摘したいのは、米国的革新は、人種主義同様、(もっぱら株主が企業を権力的・金力的に支配する)原理主義的資本主義とも親和性があるのであって、米国が「革新」してきたところの、原理主義的資本主義企業に係る規範である企業法もまた、全球的観点からすれば、一種おぞましい存在なのである、という点です。(太田)
 (4)米独の事情の違い
 「とりわけ米国人達は、米国の人種法の主目的(thrust)が、諸トイレ、諸水飲み器、諸軽食用カウンター、及び、バスの諸座席、といった公共諸施設における分離に係るものだと誤って思い込んでいる。
 しかし、このような<人種>分離がドイツ人達の念頭に長く蟠ったことは一度もなかった。
 というのも、彼らの嫌いな(disfavored)少数派は、彼ら自身と殆ど<外見が>違ってはいなかったからであり、ユダヤ人達は、究極的には、彼ら自身をその他の人々と区別するために、彼らの衣類に黄色い諸星を付けることが求められることになった。
 このような「非関連性(disconnect)」が、過去の、米国とドイツとの間の人種法の諸関係(connections)の究明者達をして、関係は皆無ないし殆どなかった、と結論付けさせたのだった。
 著者は、これは大きな誤りであった、と指摘する。・・・
 「より優れている」多数派との社会的/再生産的な諸関わり(interactions)の制限を別にして、ドイツ人達には、米国の諸法の諸狙いとは折り合いが余りうまくつかないところの、その他の人種主義的諸目標があったのだけれど、学ぶのに熱心だったドイツ人達にとって、米国の法制は、決してイレレバントなものにはまずもってならなかったのだ。
 例えば、著者が繰り返し主張しているように、国家社会主義的な人種諸政策の目標は、ユダヤ人達を、まず、政府、学界、及び諸専門職から、次いで、ユダヤ人達をドイツの領域から、除去することだった。
 <一方、>解放された黒人達のための大量追放(mass-deportation)の夢がぽしゃってからというもの、米国の法制にこのような成り行きが盛り込まれることはなかった。
 黒人達は<米国に>残っていてもいいけれど、そうである以上、彼らは(白人達によって)圧伏(keep dowan)されていなければならなかった。
 政府、学界、及び諸専門職からの除去は、彼らの排除を確実なものにすることを超えて問題にはなりえなかったのだ。
(続く)